あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-2 フェルドマンの最晩年の楽曲

 「Words and Music」に登場するのは、カラスなどのしゃがれた鳥の鳴き声[9]を意味する「クロウク Croak」という名の老人、「言葉 Words」、「音楽 Music」の3人(正確には、この中での人間はクロウクだけだが)。劇中で「言葉」はジョー Joeという名で、「音楽」はボブ Bobという名で擬人化されている。この作品の中でのベケットの関心は「言葉の表現力の限界 the limitations of the expressive powers of language」[10]にあった。クロウクは、自身の「老い」、幻想のように現れて彼を苦しめる「愛」の記憶、そしてその「愛」の記憶を蘇らせる(おそらく彼が愛した女性の)「顔」に対峙して身悶えしている。苦悩の渦中にいるクロウクは「言葉」に問いかけ、扇動し、時に激しく叱責したかと思えば、ひとりで自己憐憫に浸ることもある。「音楽」はジョーという名前を持っているが、何かを語る人物の姿をしているわけでもなく、可視化された存在でもなく(舞台形式での上演の際、室内アンサンブルがオーケストラピットではなくステージ上で演奏し、「音楽」の存在を観客に印象付ける演出されることもあるが)、その名の通り劇中に鳴る音楽として存在する。「音楽」は英語による原書ではイタリック体で記され、安藤信也と高橋康也による日本語の翻訳[11]では全て( )で括られており、どちらの場合もト書きのように表示されている。「音楽」にはセリフがない代わり、ベケットは「音楽」に対して場面ごとにどんな音や音楽がそこで鳴るべきかを言葉で指示している。このような、やや変わった構成の台本にフェルドマンはどんな音楽で応じたのだろうか。

 「Words and music」の上演(演奏)時間は約42分。フェルドマンが書いた音楽の編成はフルート2人(第1奏者はピッコロ兼)、ヴィブラフォン、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの7人の奏者による室内アンサンブル。スコアは全14ページからなる。ページごとのスコアのレイアウトには、前回解説したグリッドが用いられており、14ページ目を除いて1段あたり9小節で揃えられている。スコアには台本の節に応じて、「音楽」に対するト書きが出てくる順番に4から36までの番号が振られている。この番号は台本のそれぞれの節とスコアとの対応関係を知るのに役立つ。ベケットによる台本には番号が記されていないことから、これらの番号はフェルドマンが独自に付けたものと考えられる。

 室内アンサンブルのA(ラ)のチューニング音から「Words and Music」が始まる。ここでは台本に「音楽」へのト書き「(小編成のオーケストラが静かに音を合わせている)[12]Small orchestra softly tuning up.[13]」が指示されているのみで、フェルドマンのスコアにはチューニングの場面の音楽は記されていない。アンサンブルが本当にチューニングしている様子がそのまま音楽として用いていられている。スコアに1-3の番号が記されず4から始まるのは、1-3までがチューニングの場面なのでフェルドマンはこれらの部分をわざわざ記譜しなかったからである。

 フェルドマンがこのラジオドラマの音楽の作曲に少なからず不安を抱いていたことは、先に引用したフロストの回想からも明らかだ。Lawsは「多くの点で、フェルドマンは『Words and Music』にはなおさら不向きな音楽家に見えるだろう。In many ways, Feldman would appear an even more inappropriate composer for Words and Music.」[14]と述べている。その理由として次の事柄が考えられる。それは、フェルドマンが音楽の歴史、機能、物語性や記号の性質といった要素を参照せずに「音そのもの」を追求した作曲家だったことだ。フェルドマンの作曲の関心は、音が持つ様々な響きを客観的に提示し、いかなるメッセージからも切り離した状態で常に音を「音そのもの」にさせておくことにあった。[15] この信念は彼のキャリアの最初期から晩年まで一貫している。しかしながら、既に解説したように「Words and Music」ではベケットが「音楽」に対して具体的な注文をつけており、その多くは愛や魂など、フェルドマンの音楽には相容れない要素と見なされる情動的な言葉や概念を含む。このようなベケットの注文は、「音楽の主な機能は感情の喚起である」という概念に断固として挑んできた作曲家[16]に対して難問を突きつけた。「Words and Music」の音楽にも短いモティーフの反復、7度音程の頻出、半音階的に構成されたモティーフといった、フェルドマンの他の楽曲にもよく用いられる要素が散見される。しかし、「Words and Music」の音楽はこれらの馴染みあるフェルドマンの音楽とは違う一面を見せており、柔らかな響きや叙情性が聴き手を驚かせる。フェルドマンの音楽を知っていればいるほど、「Words and Music」の音楽に驚きを隠せなくなるだろう。