あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-3 フェルドマンの最晩年の楽曲

 フェルドマンの音楽はその時代ごとに音楽以外の事柄や人物からの影響を大きく受けている。それに伴って記譜法や編成にも変化が生じていることはこの連載でも何度も解説してきた。彼の晩年に当たる1980年代は中東の絨毯からの影響が最も大きい。オペラ「Neither」の時のような直接的な共同作業ではなかったが、再び登場したベケットの存在も重要だ。1986年から制作が始まったラジオドラマ「Words and Music」は言葉と音楽との関係を熟考する機会を彼にもたらした。次いで作曲された「For Samuel Beckett」は豊穣な音響による極めて抽象的な音楽をさらに追求する端緒ともいえる楽曲だ。この2曲だけをとってみても、フェルドマンの音楽が新境地に到達しようとしていた兆しが感じられる。しかしながら、「For Samuel Beckett」の次に完成した「Piano, Violin, Viola, Cello」が彼の最期の作品となってしまう。

Feldman/ Piano, Violin, Viola, Cello (1987)

UE: https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/piano-violin-viola-cello-4187

 フェルドマンが最期の楽曲「Piano, Violin, Viola, Cello」を書き上げたのは1987年5月28日。亡くなる数ヶ月前のことだ。編成はタイトルの通り、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。常に一体となって動く弦楽パートと、それに呼応するピアノという構成からピアノ四重奏曲とみなすこともできる。彼は1985年に事実上のピアノ五重奏編成による「Piano and String Quartet」も書いている。どちらも全体的に静けさを湛えつつ、音楽がゆっくりと微かに変化する様子を聴き取ることができる曲だ。「Piano and String Quartet」には随所に現れるチェロのピツィカートでの半音階的なモティーフや、ピアノによる4〜6音程度のアルペジオ状のモティーフなど、いくつかの印象的なモティーフやパターンがちりばめられており、様々な出来事が曲の中に立ち現れては消えていく。「Piano, Violin, Viola, Cello」はモティーフとその反復を中心としている点で「Piano and String Quartet」と同様の傾向を持っている。しかし、前者はより限定された音高による素材からできているので「Piano and String Quartet」よりもさらに抑制された音楽にも聴こえる。

Feldman/ Piano and String Quartet (1985)

UE: https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/piano-and-string-quartet-4167

 「Piano, Violin, Viola, Cello」でもスコアのレイアウトはグリッドの方法が採られていて、1段が9小節に整然と分割されている。拍子は短い周期で頻繁に変化するが、常に全てのパートの拍子が一致している。演奏時間は約75分。弦楽器には弱音器の指示が記されている。「For Samuel Beckett」と同じかそれ以上に、ゆったりとしたテンポ♩=63-66での起伏のないテクスチュアが続く。曲が始まってからしばらくは弦楽器、ピアノともにB♭、B、C、D♭、D、E♭の6音を中心に曲が構成されており、これらの音が様々な音域や組み合わせで現れる。ピアノは和音を静かに打鍵し、それに応えるように弦楽パートが同じく静かにそれぞれの音を奏でる。弦楽器は3パートがひとまとまりで動くことが多く、弦楽の音色による和音を作り出す。対してピアノの動きは柔軟で自由だ。ピアノと弦楽器が音高を共有しており、また、パートで和音を呼びかわす場面が多いことから、この曲にはピアノと弦楽器との関係に親密さが感じられる。この親密さは、限られた範囲の音高を全てのパートが共有することで生じる同質性ともいえる。しかし、奇妙なことに、曲中で同種の素材がその都度、姿を変えて反復されるので、フェルドマンの音楽には同質性の中に差異と多様性が内包されているのだ。表面上は違っているように見えているが、実は同じ。その逆の、同じように見えていても実は違う。「Piano, Violin, Viola, Cello」では、この2つの状況が錯覚のように常に隣り合わせになっていて、曲の前半では先にあげた6つの音高が無限に変容し続けている。