あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(18)-1 (最終回)フェルドマンの音楽がもたらした影響

文:高橋智子

1 フェルドマンとクリスチャン・ウォルフ

 1987年3月にラジオドラマ「Words and Music」の録音を終え、その後、6月12日に「For Samuel Beckett」のアムステルダムでの初演を終えたフェルドマンは、7月にオランダのミッデルブルクで連続講義を行い、また、そこで彼の事実上の最期の楽曲となった新作「Piano, Violin, Viola, Cello」を初演した。この慌ただしいスケジュールの合間の6月に彼はバッファロー大学の学生だった作曲家のバーバラ・モンク・フェルドマン[1]と結婚した。その数日後、フェルドマンが膵臓癌に冒されていることが判明する。彼は7月のミッデルブルクでの講義と「Piano, Violin, Viola, Cello」初演に病を押して参加した。バッファローに戻って治療を再開するも1987年9月3日に逝去。[2] 61歳だった。フェルドマンは9月9日にロサンゼルスでジョン・ケージ75歳の誕生日を祝した講演を行う予定だったが、急遽予定が変更され、ケージがフェルドマン追悼として「Scenario for M. F.」を朗読した。この詩はフェルドマンの60歳の誕生日を記念して前年の1986年に書かれたものだった。[3] 同じ日(1987年9月9日)にクイーンズ地区のサイナイ教会にてフェルドマンの葬儀が行われた。その後、彼はニューヨーク州ウェスト・バビロンにあるユダヤ人墓地、Beth Moses Cemeteryに埋葬された。[4]

 1950年代前半、ケージ、アール・ブラウン、デイヴィッド・チュードア、クリスチャン・ウォルフとともに「ニューヨーク・スクール」と呼ばれた作曲家の中で一番早くこの世を去ったのがフェルドマンだった。時は過ぎ、ケージが91年に、ブラウンが2002年に、チュードアが96年にそれぞれ亡くなり、2021年秋現在、存命のニューヨーク・スクールの作曲家は1934年生まれのウォルフだけになってしまった。

 1950年にケージを通じて、当時16歳のウォルフと当時24歳のフェルドマンが出会った。音楽やその他の創作活動に焦点を当てて活動してきたニューヨーク・スクールの他のメンバーと異なり、ウォルフは西洋古典学を専門とし、ハーヴァード大学やダートマス大学で教鞭を取っていた。彼はハーヴァード大学進学に伴ってニューヨークをすぐに離れてしまったため、彼と他のメンバーとの地理的な隔たりは常について回った。それでも彼らは生涯に渡って互いに交流を続けており、なかでもフェルドマンとウォルフは友好な関係を築いてきたようだ。フェルドマンはウォルフに無伴奏混声合唱曲「Christian Wolff in Cambridge」(1963)、フルートとピアノ/チェレスタによる「For Christian Wolff」(1986)を献呈している。「Christian Wolff in Cambridge」はスコア1ページ、演奏時間約4分の短い合唱曲。1960年代の楽曲を占める自由な持続による記譜法で書かれている。

Feldman/ Christian Wolff in Cambridge(1963)
Feldman/ For Christian Wolff

UE: https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/for-christian-wolff-2511

 「For Christian Wolff」は現在までに確定している作品リストの中で、フェルドマンが生涯最後に書いた長時間の楽曲。UEのカタログでは演奏時間120分と記載されているが、リンク先の演奏では3時間22分を要している。1986年7月23日、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会の中でエバーハルト・ブルム(フルート)、ニルズ・ヴィーゲラン(ピアノとチェレスタ)が初演した。この時期の他の曲と同じく、1段を9小節で区切るグリッドの方法が採られている。曲の始まりからおよそ45分間、フルートは様々な7度の跳躍を繰り返し、その合間を縫うようにピアノとチェレスタが単音や和音を鳴らす。フルートの跳躍パターンは、繰り返しの度に音の長さや休符による間の取り方が異なる。この曲では、80年代の微かな変化を伴いながら繰り返される反復技法と、50年代の散発的なテクスチュアが混ざり合っているといえる。

 「For Christian Wolff」を構成する1音、あるいは2~4音からなる切り詰められた素材はウォルフのフルート、チェロ、トランペットのための「Trio Ⅰ」(1951)を想起させる。「Trio Ⅰ」はG3, A4, A♭5, C6の4音のみで構成されていて、音高の変化に伴ってダイナミクスも変化する。この点が終始控えめなダイナミクスで演奏されるフェルドマンの書法と異なるが、短い素材を様々な方法で配置するやり方は両者に共通している。

 「For Christian Wolff」演奏の際、ピアノとチェレスタを同時に弾くことができるよう、2つの楽器はできるだけ近くに配置される。ピアノとチェレスタの音色は各々の特徴を持っているので、通常この2つを聴き分けることはそれほど難しくない。だが、この曲では、ピアノとチェレスタが1音ずつ分担して1つのアルペジオや短いフレーズを作り、おそらく意図的にこの2つの音色の境界が曖昧にされている。楽器固有の音色の特徴をあえて消すやり方は既に「For Franz Kline」(1962)や「De Kooning」(1963)で試みられていた。これら60年代の楽曲には反復の要素が皆無だ。「For Christian Wolff」では反復技法によって楽器の音色の個性が徐々に剥奪されていく方法が採られている。リンク先の動画の1時間11分26秒前後の箇所で始まる様々な音域でのD-D#-E-Fによるモティーフの繰り返しでは、フルート、ピアノ、チェレスタのそれぞれの音色が繰り返される度に混ざり合う様子を耳で追うことができる。

 タイトルを「For Christian Wolff」にした経緯について、フェルドマンは次のように述べている。

この曲を書いている時、生まれて初めて気付いたことがある。私は意識的に厳格な曲を書こうと決めていたのだ。絶対的に。まるで美的感覚なんてなかったかのような曲を。そして私は気を取り直して、とりあえず「For Christian Wolff」とタイトルを付けた。

And as I was writing the piece, I found that for the first time in my life, I consciously decided to write a piece that was austere. Absolutely. As if it didn’t have a taste. And then when I got back, for whatever reason, I titled it, For Christian Wolff.[5]

 この曲のタイトルに関するフェルドマンの説明はそっけない。ただなんとなくウォルフの名前が彼の頭に浮かんだのだろうか。フェルドマンの頭の片隅にウォルフの存在があったのかどうか定かでないが、ここで彼が採った手法――切り詰められた素材とその微かな変化――は50年代のウォルフの、厳格で簡素な作曲法との結びつきを感じさせるのは確かだ。