ショータの楽譜探訪記(3)「ピアニスト探訪(1)」

こんにちは、ショータです。前回の記事から随分と期間が空いてしまいました。楽譜の蒐集に励んでかれこれ13年ほど経ちますが、この世の中にはまだ出会ったことの無い楽譜が沢山あります。去年、私の友人の紹介により素敵なご縁があり、明治~昭和の激動の時代を生きたピアニストが遺した歴史と貴重な楽譜を拝見する機会がありました。

ご遺族から詳しいお話をお伺いすることができました。今回、ご紹介する方はピアノ教師・ピアニストの池田春江さんです。

池田春江 (1901-1984)

1901年(明治34年)4月5日、横浜で生まれ、東洋英和女学院(東京都)を卒業後、神戸女子学院に入学するも直後に母親の急逝に伴い中退し、横浜に戻ることとなりました。

その後は、YMCA(キリスト教青年会)などで音楽や英語など学び、ピアノはルーマニアから亡命したカテリーナ・トドロヴィチ(Katerina Todorović)女史に師事しました(トドロヴィチ女子は後にアメリカに亡命)。その後は、ピアノ教室を横浜を拠点に主宰し、1927年からは池田春江門下生によるピアノ発表会(白百合会)を戦時中も中断することなく毎春に半世紀に渡り主催しました。また、ご長男が結核で早世してから熱心なキリスト教徒となって以来、日曜日の礼拝ではオルガニストも務めました。教会のチャペルや納骨堂の建築にも援助してたそうです。

海外には渡航したことが無かったそうですが、英語が大変堪能だったということと、横浜という土地柄もあり、戦中を除き戦前・戦後を通じて半数近くの生徒が外国人でした。門下生発表のプログラムによると、池田春江さん自身も発表会の最後に恩師のトドロヴィチ女史と共にグリーグやアントン・ルービンシュタインなどのピアノ協奏曲を2台ピアノで演奏することもあったそうです。1984年(昭和59)7月3日に横浜で83歳の生涯を閉じました。

カテリーナ・トドロヴィチと池田春江
池田春江門下生 ピアノ演奏会 プログラム

ピアノ演奏会では、トドロヴィチ女史の伴奏で難曲として知られるアントン・ルービンシュタインのピアノ協奏曲第4番の第1楽章を演奏しています。当時は(今も!)滅多に聴くことができない作品だったでしょう!

池田春江門下生 ピアノ演奏会 プログラム

先述したように横浜という土地柄、そして米軍関係者並びにその家族にピアノを教えていたこともあり、門下生演奏会のプログラムにはアメリカのピアノ作品も数多く並びました。また、池田春江さんの遺品の中にはアメリカのピアノ雑誌「ETUDE」もあり、アメリカのピアノ事情には大変詳しかったことでしょう。それらの雑誌や貴重な楽譜は、幸運なことに横浜空襲などの戦火から逃れ、ご遺族によって大切に保管されていました。

今回、ご遺族より譲り受けました池田春江さんが所蔵していた楽譜を紹介いたします。

レオポルド・ゴドフスキー:F. ショパンの作品25-4の左手のための編曲 (G. Schirmer)
1899年に刊行された初版。後に出版されたLienau(Schlesinger)版とは異なるプレートです。
松平頼則:ミュジック・ボックス(チェレプニン・コレクション:龍吟社)
本楽譜は1000部のみ印刷。チェレプニン・コレクションは滅多に流通しない超貴重な楽譜です。
ハインリヒ・ヴェルクマイスター:ピアノ作品集 第2番「間奏曲」(初版)
なんと作曲者本人による献辞付き!池田春江さんに贈られています。
左)アントン・ルービンシュタイン:ピアノ協奏曲第5番(初版・Bartholf Senff)
右)ツェルニー:トッカータ(Kistner)

2021年現在から見ても、あまり知られていない隠れた作品の楽譜も多く、お歳を召されてからも多種多様な作品の楽譜を手に取っていたことが池田春江さんによって楽譜の表紙に書かれた西暦から伺えました。生涯にわたって探究心を持って学び続ける姿勢に頭が下がる思いです。

現在はインターネットを使えば容易に楽譜の注文ができ、1週間も経てば楽譜が手元に届きます。当時はどのようにしてこれらの楽譜を入手していたのでしょう?楽器店で注文できたとしても数ヵ月は平気で待つことになったことでしょう。また当時出版されていた楽譜が必ず入手できるとは限りませんし、社会情勢にも大きく影響されたことでしょう。これらの初版を含む貴重なコレクションを池田春江さんがどのように入手されていたかは分かりません。楽譜には池田春江さんのサインも書き込まれ、楽譜に対する愛着を感じます。

今回、池田春江さんのご遺族から譲り受けた楽譜は次の世代に残すために大切に保管することにします。本記事の執筆のために写真やプログラム等の資料を快くご提供いただきました池田春江さんのご遺族に心より感謝申し上げます。

孫たちと共に

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記事作成:ショータこと江崎昭汰


江崎昭汰
福岡県出身。大分県立芸術短期大学を卒業後、ベルギーのリエージュ王立音楽院ピアノ科に入学。5年間に渡るベルギー滞在中において、ヨーロッパ各国でピアニスト及び伴奏家として演奏活動の傍ら、各国の図書館や中古楽譜店を巡り楽譜の蒐集を行った。修士課程を卒業後は日本へ帰国。現在はIT関係の仕事に従事しつつ、休日には演奏活動や合同会社ミューズ・プレスの共同代表を務める。これまでにCD『黛敏郎の秘曲/江﨑昭汰のピアノ演奏による』(スリーシェルズ)をリリース。

ショータの楽譜探訪記(2)「スペインの思い出(1)」

こんにちは、ショータです。連載記事「ショータの楽譜探訪記」の第1回目から随分と期間が空いてしまいました。先週、私のもとに信じがたいニュースが舞い込んできました。アレクシス・ワイセンベルクのご息女であるマリア・ワイセンベルクさんの訃報です。マリアさんは父アレクシスが遺した膨大な音源、コラージュ、ピアノ曲、ミュージカル等の数々の作品を少しでも多くの人々に知ってほしいという情熱からAlexis Weissenberg Archiveというウェブサイトを数年前(少なくとも6年前)から運営していました。なお後から触れますが、ミューズプレスから刊行中の「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」は、マリアさんの多大な尽力なしには実現できなかったと強く思います。

マリア・ワイセンベルクと私
(2017年1月・スペインにて)

あまりにも突然すぎる訃報に私は居ても立っても居られず、マリアさんとの出会いから「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」の出版までの思い出をここに書き残すことにしました。

マリアさんと実際にお会いしたのは2017年1月11日、アーカイブ兼住居のあるスペインのマドリードに訪れたときでした。しかし、実際にお会いする前からもメールで情報交換を行っており、メールの送信履歴を覗くと初めてのコンタクトは2016年5月でした。未だについ最近の出来事のように感じます。

マリアさんとやりとりを始めるきっかけとなったのは、Alexis Weissenberg ArchiveのCompositions/Other Scoresのセクションに一部掲載されていたワイセンベルクのピアノのための作品「Variation on a Popular Japanese Theme」(左画像)でした。ちなみに、”a Popular Japanese Theme”とは山田耕筰の「この道」を指しています。当時、私は日本歌曲をベースとしたピアノのための編曲作品がどのくらい存在するのか、個人的な興味でリサーチしていたのですが、日本人による編曲は見つかるものの、海外の音楽家によるものはあまり見かけませんでした。そんな中、大ピアニストであるアレクシス・ワイセンベルクが「この道」を主題とした変奏曲(Variationと単数形)を書いていると知った私は、すぐさま出版予定があるのか伺うメールをサイトのContact Usから送ったのでした。

知らない人にメールを送ったあとは、本当に返事がもらえるものかとそわそわするものです。有難いことにメールを書いた翌日にはすぐにお返事をいただけました。その時からマリアさんとのやりとりが始まりました。「My father loved Japan and I suppose this is a tribute to your country and its art.(私の父は日本を愛していました。この作品は日本、そして日本の芸術に対する敬意でしょう)」という文面で始まるメールには、今回は特別ということで無償で楽譜データも添付されていました。当時は”a Popular Japanese Theme”が何の曲かをマリアさんはご存じではなかったので、原曲の音源(YouTube)のリンクをお送りしました。

当然ながらマリアさんから頂いた「Variation on a Popular Japanese Theme」は自筆譜でした。当時、私は楽譜浄書家としてボランティアで自身が興味を持った楽曲の浄書を行っていましたので、すぐさまその自筆譜の浄書に取り掛かりました。2ページの短い楽曲だったので、3時間ほどで作業が終わりすぐにマリアさんにお送りすることができました。それまで私はあのワイセンベルクの楽譜を浄書することができるなんて、夢にも思っていませんでした。その後、マリアさんとは何度か連絡を交わし、ワイセンベルクのクラシック作品やジャズ作品などの出版計画があることを知ります。ヨーロッパの大手楽譜出版社にも声をかけていたそうです。一部ジャズ作品については著作権関係の問題の解決にも奔走されていました。

約2か月後、私は別件でマリアさんに再びご連絡をしました。ワイセンベルク編曲の「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」について尋ねるためです。この編曲はご存じの方も多いでしょうが、ワイセンベルクが1950年代にMr. Nobodyという匿名でLumen社よりリリースした作品として現在は知られています。2008年にピアニストのマルク=アンドレ・アムランが上記の編曲を含むCD「Marc-André Hamelin in a state of jazz」をリリースしたことにより話題となりましたが、2008年当時は「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」の楽譜は存在しないとワイセンベルクが語っていたために、アムランが採譜を行っての録音でした。CDがリリースされた頃、私はまだ高校2年生、どうしても楽譜を手に入れたいと高校の英語の先生に手助けを求め、アムランが所属する音楽事務所に英語でファンレターを送ったのでした。結局は返事は来ませんでしたが、後々(と言っても2018年あたり)になってアムランと話す機会がありトレネの話題にもなり「私が採譜したトレネ/ワイセンベルクの楽譜が欲しいというお便りをこれまでに沢山もらったが、著作権の関係もあって誰にも渡すことができなかった」と語っていました。ミューズプレスによって出版されるまで「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」は超入手困難の伝説の楽譜となっていました。

トレネ/ワイセンベルク「街角」:マルク=アンドレ・アムランの自筆譜

次回は、「シャルル・トレネによる6つの歌の編曲」がどのように出版に至ることになったのか、そして実際にスペインでお会いした際にマリアさんがどうしても取り上げたいお父様の作品があるとも仰っていました。そのことについて書きたいと思います。

ショータの楽譜探訪記(1)

こんにちは、突然ではありますが、本日から「ショータの楽譜探訪記」というお題でこれまでに蒐集してきた楽譜コレクションについて月1回の目安で連載を行っていきます。

軽く自己紹介を。私、小学5年生を迎えた頃、ベートーヴェンの「月光」を自宅の自動演奏ピアノで聴いて衝撃を受け、ピアノの学習を本格的に始めたわけですが、その頃から楽譜には異常な関心を抱いていました。この関心がどこから湧いてきたのか…今考えても理由はよく分かりません。まず買い集めたのは春秋社刊行の世界音楽全集(井口基成・校訂)でした。楽譜蒐集の第一歩が世界音楽全集だったのは、当時習っていたピアノの先生宅のレッスン室壁一面に世界音楽全集が並んでいたからでしょう。両親と近所の楽器店に寄る度に楽譜をせがんでいたのが懐かしいです。そこから主にネット上でアマゾン、国内輸入楽譜屋、海外楽譜屋やオークション、ヨーロッパ留学中は海外の図書館まで行動範囲を広げ今に至るわけです。

第1弾は今月手元に届いた楽譜について話をしてみようと思います。

先々月の真夜中、ネットサーフィンをしていたところ、イギリスのオークションサイトで驚愕のロットを見つけました。それは、去年亡くなったアメリカの大ソプラノ歌手であるジェシー・ノーマンの遺品、楽譜80冊でした。(詳細はコチラから)

生前、ジェシー・ノーマンの音楽コレクション 約29000点(!)はアメリカ議会図書館に寄贈されたというニュース記事を見かけたことがあり、もう市場に出回ることはないと思い込んでいました。

今回、オークションに出品された楽譜の数多くはノーマン本人による書き込みがあり、彼女の演奏解釈を読み解く上で一級の資料となり得ます。中には、フランシス・プーランクのオペラ「人間の声」の楽譜も入っていました。この作品は、2004年、ノーマンによる日本公演で話題となっています。幸運なことに、当時の公演模様はコチラで見ることができます。

恐らく、この機会を逃したら一生出会うことはないでしょう。楽譜との出会いは常に一期一会です。悩みに悩んでオークションに参加することにしました。結果、無事に落札することができたわけですが、諸手続きにそれなりの日数を要し、1か月半ほど経って遂に手元に届きました。

厳重な梱包を解くと、そこにはA3ほどの大きさの紙製の箱が8個が入っていました。今回受け取った楽譜1冊1冊を丁寧に確認をしていくと約2/3の楽譜に、ノーマンによる速書きのサイン “JN”がありました。そして、約1/4にノーマンによる演奏に関する膨大な書き込みがありました。ちなみに、前知識が無ければ、サイン”JN”がノーマンによるものだと認識するのは困難なのではないでしょうか。なお、アルノルト・シェーンベルクのオペラ「期待」についてはフルスコア、ピアノスコア、ポケットスコアなど合わせて10冊ほどありました。彼女が得意としていたレパートリーなだけあります。

他には、ピアニストのロバート・ウィルソンと共演した際に使用したフランツ・シューベルトの歌曲集「冬の旅」の楽譜がありました。例えば、その歌曲集の「回想」では”turn head to begin song(歌い始めるために振り返って)”など、それぞれの歌曲の冒頭に舞台上の動きに関する注釈が見受けられます。また、ロベルト・シューマンの「女の愛と生涯」では、ドイツ語歌詞、一単語ずつを丁寧に翻訳(逐語訳)した跡もしっかりと残っています。他にはEMIから録音が出ているリヒャルト・ワーグナーの「ヴェーゼントンク歌曲集」(ピアノ伴奏版)の書き込み入り楽譜もありました。その楽譜にはブレスの個所、テンポ感、フレーズ、協調するべき子音などが鉛筆で書かれています。音楽に対して一切の妥協を許さなかった様子がこれらの楽譜から伝わってきます。

今回購入した楽譜は状態が悪いものも多いために近いうちにスキャンしてデータ化を急ごうと思います。これからの連載の中でそれらの楽譜を定期的に紹介をしていくつもりです。最後までお読みくださりありがとうございます。

最後に…
私はミューズ・プレスの創業当時から代表社員として働いていましたが、私事で2019年8月末に一線を退いていました。ですが、先月から休日のみの稼働のもと代表社員としてミューズ・プレスの出版業務に携わっていくことになりました。上質な楽譜が皆様にお届けできるように努力して参ります。