吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (23) 珍曲へのいざない その2 麗しき泥船、その名は「全集」

珍曲を探し求める泥沼旅には頼りになる気がする泥船が浮かんでいます。その船の名は「全集」。私の嗜好領域のピアノ音楽の世界で言えば「Complete piano works of “作曲家”」と銘打たれたCDです。とにかく一人の作曲家のピアノ音楽が全部聴ける。主要作品から半端作品、場合によっては未完成や断片作品まで聴ける。しかも人生全般にわたってピアノ曲を書いた作曲家の場合は、作風の変遷を通じて作曲家の人生行路まで辿れるような気がして来る、それが麗しき泥船「全集」の魅力です。

今のCD業界の全集発売攻撃は凄まじいものがあります。ピアノCDの世界で全集をよく出している3つのピアノ重視レーベルから「ピアノ作品全集」が出ている作曲家を並べてみましょう。(2020年9月現在)

★PIANO CLASSICS★
DebussyPintoBernsteinShamo武満RavelUstvolskaya

★TOCCATA CLASSICS★
PeykoRespighiHermannEllerEnglundBeckLevitzkiHurlstoneR. MalipieroTajčevićLyadovO’BrienReichaBuschRameau

★GRAND PIANO★
Saint-SaënsWeinbergA. TcherepninBalakirevPonceSamazeuilhVoříšekBabadjanianLe FlemMosolovEnescuKaprálováArutiunianLouriéKvandalGlinkaRoslavetsKalomirisSatieStanchinskyBersaLutosławskiAntoniouKuulaBarjanskyBalassaHarsányiRotaMokranjacBottiroli

「全集」以前に「誰やこいつ」という人がたくさん並んでます。ドビュッシーなど有名作曲家の全集も今更作ってどうすんのと思いがちですが、新発見作品とか異稿とか編曲ものとかが次々と加わり、よりパワフルになってきています。例えばGRAND PIANOから出ているSaint-Saëns全集などは、VOXから40年くらい前に出ていたDosse盤には収録されていなかった作品が世界初録音9曲含めて13曲入っています。さらに聞いたことのない作曲家の数々。そのピアノ曲がコンプリートで聴けてしまうのですから、ほんと、イイ時代です。もちろん他のレーベルからも有象無象の作曲家の「ピアノ作品全集」が出ていますので泥船の楽しみは尽きません。もうひとつ。「全集」の有難いところは、刊行中の出版物にもIMSLPにも楽譜がなく、存在すら掴みづらい楽曲を知ることができる点にあります。「全集」企画者たちの楽譜集めの苦労は相当なものと思われますが、世界には結構無名の作曲家でも研究対象にしている人がいるので、研究者さえ見つかればなんとかなるものかもしれません。

さて、これまでに手にした「全集」の中で印象に残っているものを3つほどご紹介しましょう。

【Grieg Piano Music  Einar Steen-Nokleberg(p)  NAXOS 全14集】 1995年

収録曲の多さで度肝を抜かれたSteen-Noklebergのグリーグ全集。音楽的に重要な作品ではないでしょうが「ノルウェーの旋律 全152曲」がCD3枚に渡って収められていたのには驚きました。さらにはいくつかの短いスケッチだけで終わったピアノ協奏曲ロ短調(断片)とかも収められていました。有名なイ短調の協奏曲と比べたらイマイチな音楽だったのは否めないものの、なかなかに興味の湧く素材です。この全集録音(発売当時は1枚ずつ出た)は何よりも演奏のレベルが素晴らしく高いのです。ピアノの音やフレージングから北欧音楽の香りが凛と漂い、この録音さえあればもうグリーグのピアノ曲の他の録音はいらんなぁとしみじみ思わせた、まさに「全集録音の鑑」。

【Mily Balakirev The Complete Pino Music  Alexander Paley(p)  ESS.A.Y 全6集】1994年
【Mily Balakirev Complete Piano Works  Nicolas Walker(p) GRAND PIANO 全6集】2013~20年

今から40年くらい前、バラキレフに「ショパンの2つの前奏曲の主題による即興曲」というけったいなタイトルのピアノ曲があることがわかったのですが、ネットもIMSLPもなかった時代に実態が全く分からずにいました。1994年にPaleyのバラキレフ全集が出て、ようやく確認できた喜びは今も記憶に残っています。ショパンの前奏曲op.28の第14番変ホ短調と第11番ロ長調の動機を使って5分くらい拡大・展開させた作品でした。特に第14番。原曲は急速な両手ユニゾンの作品ですが、少しテンポを落として分厚い和音交互連打作品へと大化けさせています。残念ながらPaleyの演奏は技巧的に不満要素が多く、GRAND PIANOレーベルから出ているNicolas Walkerの全集録音(他には音楽史上の即興曲を集めたアルバムのMargarita Glebovの演奏)の方が遥かに良く、バラキレフのアホさ加減がもりもりと伝わってきます。なお、Paleyより後から出たNicolas Walkerの全集録音にはピアノソナタop.3などの世界初録音曲に加え、バラキレフがショパンのスケルツォ第2番のラスト2ページくらいを大胆に書き換えたびっくりヴァージョンも収録されています。後出し全集充実の法則ですね。

【Cyril Scott  Complete Piano Music  Leslie De’Ath(p)  DUTTON  全5集(9枚)】2005~9年

異国情緒あふれるピアノ曲「Lotus Land」で有名なスコットは、他にもピアノ曲を沢山遺しています。この全集録音を買って初めて知った珍曲が、第3集に収められている「2台のピアノのためのバッハによる3つの小品」。2声のインヴェンション第8番BWV 779、イギリス組曲第2番BWV 807のサラバンド、フランス組曲第5番BWV 816のジーグを2台ピアノ用に自由にアレンジした作品です。最も手の込んでいるのはBWV 779で、イギリス民謡系近代音楽風味のゆったりとした序奏部(*1)が1分くらいあった後、おなじみのBWV 779が始まります。当然ピアノ2台なので次第に音は足されて行きます。1分ほどで原曲通りの進行が終わると、スコットによる独自の展開が始まります。これが近代和声に彩られ、中々にお洒落で面白い。正直、他のスコットの膨大なオリジナルピアノ曲より優れモノです。続くBWV.807は和声を厚めにしているくらいであまり変えていません。BWV 816もほぼ原曲通りの進行ですが、曲の最後の構成を変えて前半のジーグ主題を回帰させ、高らかに鳴らして締めくくるようにしています。この流れは自然であり、高揚感も原曲以上です。この全集録音盤を買わなかったら、作品の存在に気付くことも無かったでしょう。スコットくらいの知名度ではWikipediaにも作品リストがろくになかったりするのです。本当にありがたい泥船です。

これらの作曲家以外にも沢山の全集録音が出ています。主要作曲家以外で聴いたのは、Sgambati、Turina、JongenFieldGraingerC. Schumann、Wiklund、RodrigoMompouGuastavinoGinasteraPaderewski等々。GodowskyBortkiewiczSéveracも全集に近い状況になってきています。その一方でMoszkowski、Friedman、Tournemire、Pierné、Chasinsは出そうで出ないですねぇ。世界の誰か、がんばって! 

AmazonやYouTube Musicの配信にも多くの全集録音が登録されています。泥船はすでに乗り易い船団となって貴方をお迎えする準備を整えています。ぜひ皆様のご乗船を心よりお待ち申し上げます。泥沼の泥船ではありますが……。

*1:この序奏部がスコットのイギリス民謡風のオリジナルではなく、バッハの何らかの作品の変容である可能性もあるが、筆者の知識の中ではわからなかった。CDの解説にも何の言及もない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (22) 珍曲へのいざない その1 往年の大ヒット曲

Francis Planté The Complete Issued Recordings Marston LAGNIAPPE L002 2004年
Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer Marston 52054-2 2008年
The Art of the Transcription Earl Wild(p) AUDIOFON CD72008-2 1982年

さて、ミューズ・プレスの細谷代表から「最近は珍曲ブームらしいですよ。F間K太朗さんがレア曲だけの配信リサイタルシリーズを主催したり、F田M央さんがアルカン弾いたりしてますよ。」というお話をいただきました。なので数回、“珍曲的なるもの”を扱ってみようと思います。筆者は「もっと良い曲がこの世にはあるに違いない」と信じて30年間くらい素敵な珍曲を探し求めてましたので、その流浪の結果としてひとつ言えることがあります。

珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」

IMSLPの作曲家の一覧を見るとわかるように、歴史上「クラシック音楽の作曲家」はごまんといます。恐ろしい数です。正直、9割近くの人の名前は初めてですし、その作品を聴いたことある人となると50人に一人いるかいないかでしょう。つまり、ここには「珍曲」が溢れんばかりに隠れているのです。探してください、一生懸命。いい曲なんてほとんど見つかりませんから。無名の作曲家が無名なのはやはり才能が乏しいからです。人の心にしっかり届いて残り続ける音楽を書けないのです。音楽の長い歴史の中で光を浴びるべき人や作品は、光度のバラツキや明滅はあるにしろ光をすでに浴びています。前述した珍曲扱いのアルカンだって19世紀末の頃にはショパンなどと並ぶ大作曲家と言われていたのです。

さて、否定的なことばかり言ってしまうと夢と希望とこの文章を読む気が無くなるだけです。実際のところ、珍曲の中にも稀に聴き手の珍なる個性とマッチングして(あくまでも個人的な)名曲が見つかることがあります。その時の(あくまでも個人的な)随喜の悦楽と言ったら、麻薬的な泥沼以外の何物でもありません。だから(あくまでも個人的な)珍曲探しはやめられないのです。珍曲探しとは自分にとって音楽とは何かを見つめる旅でもあります。どうぞ、さらなる深みへとお進みください。

さて、今回は一時期は輝く光を浴びていたがすっかり忘れられた作品を2つご紹介します。

Francis Planté
The Complete Issued Recordings

ピアノ演奏録音を遺した音楽家の内で生年が古い人はブラームス(1833年)サン=サーンス(1835年)、プランテ(1839年)あたりではないでしょうか。前二者は主に自作を録音したので、職業ピアニストらしいレパを録ったのはプランテが最も古い一人でしょう。プランテは19世紀フランスを代表するピアニストで優雅極まりないスタイルで人々魅了したようです。彼が18曲ほど録音したのは1928年の89歳の時。ショパン本人にも会ったといわれる人の演奏でしたから、ショパンの演奏(練習曲7曲)はじめ貴重な記録として注目されるのですが、残念ながらあまりよい演奏ではありません。89歳の爺さんがよっこらよっこら弾いてるといった感じで、音楽が結構不自然に流れます。ま、味があるといえば味があります。

Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer

さて、プランテから少し時代が下って1852年生まれのプーニョもフランスを代表したピアニストでした。彼は1903年に18曲ほど録音を遺します。まだ51歳なので技術的にもバリバリで、自由に舞うような洗練された音楽創りを聴くことができます。特にかなりのスローテンポで弾かれるショパンの夜想曲第5番はショパンの弟子直伝の作法ですし、ショパンのワルツ第2番では「真珠奏法」という秘技を披露しています。(真珠奏法とは色々な文献によればプーニョの特殊なスタッカート奏法らしいが、正直、聴いてもよくわからない。)

で、この歴史的な二人の貴重な録音(ともに18曲)には共通した楽曲があります。それはメンデルスゾーンの無言歌から「狩りの歌」「紡ぎ歌」そして「スケルツォop.16 no.2」です。ここでふと気づきます。スケルツォop.16 no.2 って他のピアニストも結構録音してたような気が???、と。

早速、2020年夏に公開されたイギリスのCD会社APRのピアノSP録音データベース(以降APR/DBと表記)を調べてみましょう。APR/DBは12268ものピアノSP録音データが登録されていて、まさに爆涙ものの情報源です。早速メンデルスゾーンのスケルツォop.16 no.2 を検索してみると……出るわ出るわ、33種類のSP録音が登録されていました。しかもピアニストが凄い。コルトー、フリードマン、モイセイヴィッチ、ザウアー、ケンプ、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなどなど。33種類が多いのか少ないのかを知るにはショパンのワルツ各曲の録音回数と比較するとわかりやすいと思います。APR/DBでは、

ショパンのワルツ・SP録音回数
1番2番3番4番5番6番7番8番9番10番11番12番13番14番
34403222557611119351854111358

となっていました。メンデルスゾーンのスケルツォ op.16 no.2 は華麗なる大円舞曲や別れのワルツ並みの人気楽曲だったのです。しかし、現代のピアニストでこの曲を基本レパートリーにしている人なんて聞いたことがありません。拙文をお読みいただいている貴方も、どういう曲が頭に浮かばないでしょう。有名どころのピアニストがこぞって弾いた曲でしたが、おそらくは20世紀の中ごろに急速に人気を失ったと思われます。20世紀初頭になぜ人気があり、そしてなぜ人気を失ったのか、これに関しては全く見当がつきません。確かに作曲家は有名ですが、もうみんな知らない往年の大ヒット曲、立派な“忘れられた珍曲”の部類に入ってしまっています。

The Art of the Transcription Earl Wild(p)

昔の大ヒット曲という点では、ショーンバークの名著「ピアノ音楽の巨匠たち」に気になる記述があります。それは「70年前には、バッハ=タウジヒのニ短調のトッカータとフーガでリサイタルを始めないのは決まりに反するという感があった。」(新版:p274)です。この本が刊行されたのが1963年ですから70年前とは19世紀末頃。そのころのピアノリサイタルはタウジヒ編のBWV 565から開始するのがお決まりだったというのです。今、この編曲を演奏会の冒頭どころか弾く人さえ稀になりました。理由はいくつか考えられます。BWV 565が鼻から牛乳が出るくらい有名すぎる事、タウジヒ以外にブゾーニやコルトー、レーガー、ブラッサンなどの多彩で優れた編曲版が登場した事などです。特にタウジヒ編曲は冒頭に奇妙な改変が施されています。ど頭の「チャラリ~」というところを、音の上下を変えた上でトレモロ風に二回回すのです(楽譜参照)。これでは「チャリラリラ~ 鼻から牛乳*」となって緊張感は薄れ、ま、少しずっこけます。嘉門タツオ先生もさぞや歌いにくくなったことと思われます。ピアノでBWV 565を弾こうと思った人がいても、この部分を観ただけで他の編曲を手にしたくなることでしょう。20世紀以降でライブでこの編曲を弾いているCDは、アール・ワイルドの「The Art of the Transcription」しか私は知りません。ちなみにこのライブでも演奏会の冒頭には置いていません。 もう「ピアノリサイタルはタウジヒ編で開始」が復活する日はないでしょう。ただ、おかげでこの編曲も珍曲の仲間入りです。

タウジヒ編「トッカータとフーガ ニ短調」はおそらくこの曲の編曲でも最古のもの

一時でも聴衆の人気を博した楽曲には何らかの真実があります。少なくとも人の心を掴んで離さないナニモノかがそこには息づいています。忘れ去られた昔のヒットナンバーを探し出して「底力のある珍曲」として世に問い直すのは一興と思います。昔のヒットナンバー探しはまずはAPR/DB内を探しまくるところから始めましょう。やたらと弾かれている知らない曲、たぶん……ありますよ。

*注:クラシック音楽一筋の皆様へ。「チャラリー 鼻から牛乳」というのは、大阪のシンガーソングライター嘉門タツオが1992年に発表した「鼻から牛乳」という作品において、バッハのBWV.565の冒頭部分のメロディーを引用し、そこに付与した歌詞です。これは偉大なるクラシック音楽に対する冒涜であり、決して許されることではありません。皆様の怒りの声を日本の文化行政にぶつけ、音楽の父たるヨハン・セバスチャン・バッハ(たぶん)の真の姿を無知蒙昧なる庶民に知らしめねばなりません。クラシック音楽の守護神たる貴殿の蜂起を、鼻から焼酎垂れ流しながら待っております。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (21) 凄腕社長様のご立派な愉しみ

The Celebrated New York Recitals, Vol. 1~13  Mordecai Shehori(p)  Cembal d’amour

クラシック・ピアニスト・オリジナルアルバム数ランキングなんていうものはないとは思いますが、現役ピアニストの中では、アメリカのピアニスト Mordecai Shehoriの47枚という数はトップクラスではないでしょうか。けれども、ふと思います。Mordecai Shehori って誰?と。なんでそんなにアルバムが多いの?、と。

その答えは明快です。Mordecai Shehoriはピアニストであると同時に、Cembal d’amourというCDレーベルのオーナー様なのです。自分の会社なので自分のCDをバンバン出せます。もちろん自分のCDだけでなく、ハイフェッツ、バレル(親子)、チェルカスキー、カッツなどのCDも出しており、零細で厳しいクラシック音盤業界においてレーベル立ち上げから25年以上続いていますので、経営者としてなかなかの腕前と思われます。

では、ピアニストとしてはどうなのか。Shehoriはイスラエル生まれで、渡米してジュリアードで学び、ニューヨーク中心に活動。ホロヴィッツとも親交を結び、晩年のホロヴィッツが協奏曲の練習をする時に第2ピアノを務めていました。発表された47枚をすべて聴いたわけではないですが、なかなかのピアニストではあるようです。なにせあの他人に厳しいホロヴィッツのピアノのお相手として認められたほどですから、並大抵のことではありません。

今回取り上げるのは、彼が1970年代以降にニューヨークで開いたリサイタルのライブ録音のシリーズ「The Celebrated New York Recitals」です。すでに第13集まで出ていますが、これが実に面白い。ライブならではのドラマや羽目外しが所々にあり、Mordecai Shehoriという(少なくとも日本では)無名のピアニストの実像を堪能することができます。なお、このライブシリーズは一つの演奏会をまるごとリリースしたものではなく、前後30年くらいの演奏会の録音からいいとこ取りして組まれています。また録音状態の芳しくないものも少なからずあります。

では、全13集の中から、特におもろいのをピックアップして行きましょう。

【第1集】  CD 107

シリーズの最初を飾るだけあって、おそらくは本人が最も気に入っている自慢の演奏が並んでいると思われます。冒頭のブラームスの第3ソナタは、荒々しいまでの情熱にあふれた巨大なスケール感の演奏です。ショパンのスケ3も同傾向。さらになんとラヴェルの「夜のバスガール」(……40年前の学生ネタ)までも同傾向で、フランス音楽とは思えない野太い咆哮が随所で聴こえてきます。これらの演奏からリリースしたということは彼は彼なりに自分の演奏の本質がこういうところにあると考えているのでしょう。

【第3集】 CD 113

続いては第3集。ショパンの「スケルツォ第1番」では、わりと普通の演奏が続いた後、最後の2ページでいきなりブチ切れ、不協和音を異常に強調した血反吐を吐くようなグロ重いコーダを爆走します。リスト編の「魔王」は、逆に他では聴いたことないほどに淋しげで、ほとんどメゾ・フォルテ以下で弾かれている感じです。最後の2和音も消え入るような弱奏で、客の拍手が来るまでかなりの間があります。何があったのでしょうかねぇ。ローゼンタールの「ウィーンの謝肉祭」は随所にShehoriの手が加わっていて、特に4分40秒目くらいからの盛り上がりでは、ワルツなのに2拍子的なリズムを刻んだり、オクターブ進行装飾を大幅に追加してたりとかなりやってくれます。で、一番呆れるのが曲の最後。楽譜通りの終わり方をしたと思った瞬間、定番のピアノ派手派手フレーズをさらに弾き出し、「いつもより余計に回しておりま~す(*1)」と15秒ほど鍵盤上で暴れまくって終わるというサービスを展開します。いやいや、お見事。冷静なスタジオ録音では絶対やらない、いや、やれない記録です。

【第6集】 CD 166

第6集のセールス的な売りは、ホロヴィッツの作曲作品(ワルツ、練習曲「波」、変わり者の踊り)のライブ演奏です。が、おもろいのはコンフレイの「Humoretless」の演奏。ドヴォルザークのユーモレスクのパロディ作品ですが、観客の笑い声が絶えません。特に1分20秒くらいに観客大爆笑のポイントがあるのですが、たぶんShehoriが仕草でなんかしているためで、残念ながら録音からでは笑いのツボはわかりません。いずれにしろクラシックのピアノライブ録音で観客がこれほど笑ってるドキュメントはレアです。

【第11集】 CD 187

ここにはクライスラーの「美しきロスマリン」の演奏が収められています。クライスラーのバイオリン小品のピアノ編曲ものとしてはあまり弾かれることがない曲ですが、Shehoriは実に優雅にしかもタメをたっぷり入れて奏でます。タメで観客か笑いのどよめきがありますので、仕草上なんかやっていると思われますが録音からはわかりません。なお、曲のクレジットはきちんと書くShehoriですがこの曲の編曲者は記載されていません。

【第12集】  CD 189

Shehoriの録音の中でも怪演中の怪演、リストの「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」が入っています。寄せる波を描いた左手の荒海ぶりはかなりのもので、うねり、逆巻き、時折、数回余計に波が押し寄せたりします。その後も音楽はますますヒートアップし、立派な爆演状態となって突き進みます。コーダ前のLentoの直前でもShehoriは独自のフレーズを入れたりしますが、一番の吃驚はラスト。第3集のローゼンタールと同様に、ここで終わった、と思った瞬間、ド派手なフレーズをガリガリ弾きだし、さらに激しく打ち寄せる波を数発かましてから、盛大に終わります。そうか、最初の頃にあれほど打ち寄せた波がどこかに行ってしまって物足りなかったんだね、と優しい気持ちになれば、このあまりに過剰な付け足しを受け止めることができます。Shehoriは同じ曲をスタジオ録音もしていますが、さすがに終わりの過剰付け足しなどはしておらず、音楽の熱さも控えめです。

このライブシリーズはCDでも配信でも聴くことができます。録音時期や録音状態がバラバラという欠点はありますが、意外と凄いピアニストの生な記録として十二分に楽しめます。少なくともオーナー社長がわがままで自分の演奏CDを出しまくったというレベルではないことは確認できるでしょう。

*1:昭和期の太神楽師、海老一染之助染太郎が、傘の上などで升や毬を廻した際に、お客の拍手に応えてさらに芸に続けた場合の決め台詞。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(6) 1960年代前半の創作 音色の観点から

(筆者:高橋智子)

 前回は、1954年にケージらニューヨーク・スクールとして近しい関係にあった仲間たちがマンハッタンを離れたことをきっかけに、フェルドマンの音楽にも若干の変化が見られた様子をたどった。彼の音楽様式が記譜法の変遷と連動していることは初回に述べたとおりで、このことは1960年以降の創作を語る際にも当てはまる。連載6回目にしてようやく1960年代に入った今回は、記譜法の議論に入る前に触れておきたい、フェルドマンのこの当時の音楽における音色や楽器編成に焦点を当てる。

1. フェルドマンの映画、映像音楽

 ケージたちが1954年頃を境にマンハッタンを離れてからも、フェルドマンはこの地にとどまった。ハンス・ネイムス監督によるポロックの映像作品へ音楽を書いたり、ヨーロッパ・ツアーに出たケージとチュードアを介して作品が演奏されたり、1962年にペータース社と楽譜出版の契約を結んだりと、この頃のフェルドマンは作曲家としてのキャリアを順調に積み上げているかのように見えるが、実はまだ専業作曲家になってはいなかった。当時も彼は家業である子供服会社で働いて生計を立てていた。1963年のある日、そんな彼の様子を見た作曲家のルーカス・フォスはフェルドマンが作曲に専念できるよう、彼のために大学教員のポストを探すが、この時点ではフォスの尽力は実らなかった[1]。このような事情で、フェルドマンは1960年代のある地点まで昼間は子供服会社で働きながら音楽活動を続けていた。

 1960年代のフェルドマンの創作において看過できないジャンルとして映画や映像のための音楽が挙げられる。フェルドマンは1960年から1969年の間にいくつかの映画音楽と映像作品の音楽を書いている。また、実際には制作されなかった映画のために書かれたと思われるスコアも残存している。[2]

[フェルドマンが1960年代に手がけた映画と映像の音楽][3]

Something Wild (1961) 監督:Jack Garfein 約113分
The Sin of Jesus (1961) 監督:Robert Frank 約37分
Willem De Kooning: The Painter (1961) 監督:Hans Namuth&Paul Falkenberg 約14分
Room Down Under (1964) 監督:Dan Klugherz(1964) 約64分
Time of the Locust (1966) 監督:Peter Gessner 約13分
American Samoa: Paradise Lost? (1969) Dan Klugherz 約55分

 上記のリストの1番目「Something Wild」はブロンクスとマンハッタンを中心に撮影され、当時のニューヨークの街並みを知るうえでも貴重な作品と見なされている。この映画がフェルドマンにとっての本格的な長編映画音楽デビューになるはずだった。だが、彼が書いた音楽はこの映画に採用されなかった。ジャック・ガーフェイン監督の妻だったキャロル・ベイカー演じる主人公、メアリー・アンが映画の冒頭でレイプされるシーンにフェルドマンはチェレスタ、ホルン、弦楽四重奏による変ホ長調の短い曲(「Mary Ann’s Theme」として録音されている)を書いたのだ。この曲がガーフェインの逆鱗に触れて彼はこの映画音楽を降板させられる[4]。彼の代わりを務めたのは既に映画音楽の作曲家としての実績を充分に持っていたアーロン・コープランドだった。

コープランドの音楽によるメアリー・アンのシーン
https://www.cnvill.net/SomethingWild-Copland.mp4

フェルドマンの音楽によるメアリー・アンのシーン
https://www.cnvill.net/SomethingWild-Feldman.mp4

Aaron Copland/ New York Profile (opening theme of Something Wild) (1961)

 当初フェルドマンが書いたサティ風の幻想的な変ホ長調の音楽と、コープランドによる劇的な効果を活かした緊張感の高い音楽を同じシーンで聴き比べてみてほしい。理屈のうえでは、どんな音楽もその映画の映画音楽になりうるのだとしばしば言われるが、フェルドマンとコープランドの音楽を並べてみた場合、生きる目的を失いつつも自分の道を見つけようともがき続ける若者の様子を描いたこの映画にはコープランドが適任だったと思い知らされる。後にコープランドはこの映画音楽を独立した管弦楽曲「Music for a Great City」(1964)として再構成した。

Copland/ Music for a Great City (1964)

 「Something Wild」での降板劇をふまえるとフェルドマンは映画や映像の内容と背景を一切省みず傍若無人に音楽を書いた作曲家のように思えるが、決してそうではない。1951年に制作されたジャクソン・ポロックの短編ドキュメンタリー映像でのフェルドマンの音楽を評価していたハンス・ネイムスとパウル・ファルケンベルクは、ウィレム・デ・クーニングに迫った短編ドキュメンタリーで再び彼に音楽を依頼した。この時のフェルドマンの音楽は無事に映像に使われている。フェルドマンはこの映像のために作曲した「De Kooning」を「(ポロックのドキュメンタリー映像の音楽のチェロのデュオとは対照的に)映像の文脈がなくても独り立ちできる viable even without the film context (as opposed to the Pollock duo)」[5]曲とみなし、その完成度にある程度満足していたようだ。出版された楽譜においてはデ・クーニングのドキュメンタリー映像のことは言及されていない。現に、フェルドマンの楽曲リストの中で「De Kooning」は映画音楽ではなく独立した楽曲として位置付けられている。

 結局は採用されなかった「Something Wild」のサティ風の小曲の例からわかるように、フェルドマンの映画音楽は、音楽における抽象性を探求し続けた彼の「通常の」楽曲とは明らかに趣が違う。職業映画音楽家ではない作曲家にとって、映画や映像の音楽は既に確立された作曲家としてのパブリック・イメージとは違う音楽を書く実験の場でもある。このことはフェルドマンにも当てはまるだろう。これまでこの連載でとりあげてきた彼の楽曲のほとんど全ては、標題を持たず(放棄している、背を向けているともいえる)、旋律(メロディ)や伴奏といった声部間の明確な機能と役割分担もほとんどなく、その概要の説明に骨の折れる類の音楽である。だが、例えばサモア諸島の東側、アメリカ領サモアの人々の生活を追ったドキュメンタリー「American Samoa: Paradise Lost?」のための音楽を聴くと、やはりフェルドマンも映画音楽の中で普段の彼のパブリック・イメージとは違うことを大胆に行っていたのではないかと考えられる。

 「American Samoa: Paradise Lost?」はサモア諸島の人々の暮らしと、アメリカ統治下で彼らが直面している様々な社会問題を扱ったドキュメンタリーだ。当然ながら、フェルドマンはサモアの風土や文化を彷彿させる要素をこの音楽に何一つとりいれていない。青年がカヌーで海に繰り出す冒頭のシーンには、ハープの伴奏によるコルネットの穏やかで素朴な旋律の音楽がつけられている。この旋律にはしばしばフェルドマンが単音楽器に課す1オクターヴ以上にもおよぶ極端な跳躍や、三全音などの不穏な音程がほとんど用いられておらず、人間が無理なく身を委ねることのできる自然な音楽の流れが形成されている。このコルネットの旋律はフルートなど他の楽器でもその都度少しずつ違うかたちで演奏されることから、この映画音楽におけるライトモティーフのような機能を持っているともいえる。コルネットによる旋律の他に、チェロ、トロンボーン、マリンバ、ヴィブラフォン、ピアノで構成された輪郭のはっきりした快活な曲が劇中で何度か聴こえてくる。もしも、このような雰囲気の曲を「Something Wild」のために書いていればフェルドマンは降板させられなかったかもしれないが、「American Samoa」でのフェルドマンによる仕事ぶりから彼は映画音楽の作曲家としての任務を果たしていて、その能力も充分に持っていたことがわかる。従来のフェルドマンの曲に慣れている人にはこの映画における一連の穏やかで、時にロマンティックな音楽がかえって不気味にも聴こえ、裏に何かあるのではないかと勘ぐってしまいたくなるだろう。しかし、何度聴き返してもこの映画音楽には聴き手を不安にさせる要素はほとんどないので最初から最後まで安心して聴くことができるし、映画を観る際の妨げにもならない。

American Samoa: Paradise Lost?
part 1 https://www.youtube.com/watch?v=pF3wieHjtPM
part 2 https://www.youtube.com/watch?v=ssrzxlTePfA

 旋律は従来のよく知られたフェルドマンの音楽において異例で特殊な要素だ。だが、60年代に彼が映画音楽で試みた旋律による実験は一過性のものではない。フェルドマンは映画音楽で初めて旋律を書いたわけではなく、既に1947年、ライナー・マリア・リルケの詩に曲をつけた無伴奏の独唱曲「Only」を作曲している。また、旋律の要素は60年代以降の創作の一部に引き継がれている。未出版だが、フェルドマンは1960年にボリス・パステルナークの詩に曲をつけたピアノ伴奏付き歌曲「Wind」を作曲している。70年代を代表する楽曲「The Viola in My Life 1-4」(1970-71)と「The Rothko Chapel」(1971)にも旋律が現れる。これらの楽曲での旋律はシナゴーグの鐘の音に触発されたといわれているが「American Samoa」でのコルネットの旋律ともそう遠くない関係に聴こえる。映画や映像の音楽に着目すると、その作曲家のこれまでの創作やその後の動向を知る手がかりとなる。映画音楽の中で突然出てきたように見えるフェルドマンの旋律だが、このように視野を広げて見てみると、彼の創作の変遷において旋律の要素が実は密かに連続しているとわかる。

Feldman/ Only (1947)

2. 60年代前半の室内楽曲の編成 

 先に触れた「Something Wild」や「American Samoa」の音楽ではチェレスタ、ヴィブラフォン、コルネット、ハープといった、50年代までの楽曲にはほとんど登場しなかった楽器が用いられている。この傾向はフェルドマンの映画音楽に限ったことではなく、「通常の」彼の音楽も1960年頃から楽器の編成に変化が見られる。むしろ彼の音楽全体が1960年前後を境に新たな段階に突入したといった方がよいかもしれない。1950年代のフェルドマンの楽曲に頻繁に用いられているのはピアノ、チェロ、ヴァイオリン、フルートで、図形楽譜による室内楽編成の楽曲にはトランペット、ホルン、チェレスタがしばしば登場する。1960年に始まる「Durations」シリーズを皮切りに風変わりな編成による室内楽作品がこの時期のフェルドマンの作曲の中心となっていく。1960年以降の室内楽編成の楽曲に頻出する楽器として、主にフルート、アルトフルート、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ヴィブラフォン、打楽器、ハープがあげられる。1961年の図形楽譜の楽曲「The Strait of Magellan」でのエレクトリックギターの使用と1963年の無伴奏の合唱曲「Christian Wolff in Cambridge」も1950年代までのフェルドマンの楽曲には見られなかった試みだ。1960年代前半の主な室内楽作品の編成を見てみると、この時点でフェルドマンが用いた木管楽器は主にフルートとアルトフルートで、オーボエ、クラリネット、ファゴットはほとんど使われていない。弦楽器と金管楽器には偏りがないものの「Durations 3」はヴィオラとピアノにチューバという、やはりあまり見慣れない組み合わせでできている。「Vertical Thoughts」3と5、「For Franz Kline」など、この時期のいくつかの楽曲には声のパートもアンサンブルの一員として登場する。「Vertical Thoughts」3と5ではヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典タルムードTalmudの詩篇 Psalm第144篇からの1節を英訳した「life is a passing shadow」がテキストとして用いられている。「Vertical Thoughts 5」においては、チューバとティンパニと太鼓類が轟く中でソプラノがひきのばされた1音にテキストのうちの1語か2語をのせて歌う。ソプラノが1音ないし1語を歌い終わると、次の音が出てくるのはそれからしばらく間を置いてからだ。このように途切れ途切れの断片としてソプラノの声部が書かれているので、この声は歌の旋律とはいえないかもしれない。通常、楽器の音に対して人間の声は聴き手に特別な注意を引くが、曲が進むにつれて、ソプラノの声色としての認識さえ曖昧になってくる。ここでのソプラノはどちらかというと楽器のパートと同等な一声部の意味合いが強いといえるだろう。打楽器にかんしては、フェルドマンのこの時期の楽曲ではヴィブラフォンが、鍵盤楽器にかんしてはピアノの他にチェレスタが頻繁に用いられている。チェレスタは1970年代以降の楽曲にも特によく登場し、多くの場合、ピアノ奏者がピアノとチェレスタを兼ねている。映画と映像の音楽においてもこの2つの楽器の音が聴こえてくる瞬間がいくつもあり、70年代、80年代の楽曲でもこれらの楽器の登場回数が多い。

Feldman/ The Straits of Magellan (1961)
Feldman/ Christian Wolff in Cambridge (1966)
Feldman/ Vertical Thoughts 5

1960年代の主な室内楽曲の編成
Durations (1960-1961)
1: アルトフルート、フルート、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ
2: チェロ、ピアノ
3: ヴィオラ、チューバ、ピアノ
4: ヴィブラフォン、ヴァイオリン、チェロ
5: ホルン、ヴィブラフォン、ハープ、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ

The Straits of Magellan (1961): フルート、ホルン、トランペット、ハープ、エレクトリックギター、ピアノ、コントラバス

Vertical Thoughts (1963)
1 : 2台ピアノ
2 : ヴァイオリン、ピアノ
3 : ソプラノ、フルート/ピッコロ、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、打楽器2(トムトム、ティンパニ、アンティーク・シンバル、ゴング、ヴィブラフォン、モーター付きグロッケン)、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス
4 : ピアノ
5 : ソプラノ、チューバ、打楽器(大太鼓、トムトム、ティンパニ、アンティーク・シンバル)、チェレスタ、ヴァイオリン
*6番、7番は未完

For Franz Kline (1962): ソプラノ、グロッケンシュピール、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、チャイム

De Kooning (1963): ホルン、打楽器(テナードラム、大太鼓、アンティーク・シンバル、ヴィブラフォン、モーター付きグロッケン)、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ

 上記の一覧を見ると、たしかにこの時期からフェルドマンの楽曲は編成の幅が広がっている。しかし、彼はこれらの試みを通して楽器や声固有の豊かな音色の世界を探求していたのではない。むしろフェルドマンの場合はその逆で、楽器や声の音の特性を引き出すよりも覆い隠す方に注力する傾向が見られ、それぞれのパートを出どころのわからない音として響かせようとしていた。この傾向は1962年の「For Franz Kline」でも顕著だ。この曲は1961年5月13日に脳卒中で急逝した抽象表現主義の画家、フランツ・クライン[6]を偲んで作曲された。この曲はフェルドマンが親しい友人の名前をタイトルに付けたシリーズの最初の作品でもある。グロッケンシュピールとチャイムが用いられているので、きらびやかな音の響きを期待してしまうが、実際の鳴り響きは必ずしもそうとはいえない。グロッケンシュピールとチャイム、そしてホルンが用いられているにもかかわらず、なぜかくすんだ音色が聴こえてくるのだ。もしもクラインとフェルドマンの創作の態度に通じる事柄があるならば、それは絵画における色彩と音楽における音色の関係に見出すことができるだろう。

Feldman/ For Franz Kline (1962)

 クラインの晩年はあたかも色彩を邪魔者として扱うか[7]のような、黒と白のモノトーンを基調にした作風だった。絵画なのに色彩を邪魔とみなし、用いる色を黒と白に限定するクラインのやり方は、楽器本来の音色の魅力を引き出すのではなく全体的にくすんだ響きを志向したフェルドマンの書法と重なっている。Bernardはこの曲の音色の特徴を楽器の組み合わせ、抑制されたダイナミクスと最小限のアタック、楽器と声との垂直な(和音として重なる音)組み合わせの3つの観点から述べている[8]。1つ目の楽器の組み合わせについては、フェルドマンの楽器法がその楽器の特性を活かす音型をあえて回避していることが指摘されている。たとえば、呼吸に基づいた滑らかな連続と持続は声(ソプラノ)の音楽的な特徴の1つだが、フェルドマンはこの曲において断片的な音型や単音をソプラノのパートに課すことが多い。

ホルン、歌詞のないソプラノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロの組み合わせは最大限「カラフルに」することを狙っているように思えるが、実際、この組み合わせはまったくそんな風に鳴り響かないのだとわかる。奇妙なまでに個性が抑制されている効果の理由は、これらの楽器が「通常の」オーケストレーションの中でその楽器だとわかるような固有の音型やパッセージの中で用いられていないからだ。これらの楽器は単音で構成された声部、安定しない時間の中でひきのばされた、あるいは孤立した和音の中に現れる。時間的に隣接しているソプラノの音高は、跳躍によって分断されていて、たいていの場合大きく離されている。

The combination of horn, wordless soprano, piano, chimes, violin, and cello seems destined to be “colorful” in the extreme. Yet somehow it turns out not to sound that way at all. One reason for the curiously neutral effect is that the instruments are not displayed in any of the characteristic figures or passagework that often serve to identify them in “normal” orchestrational situations: the parts consist of single notes, sustained for varying lengths of time, or isolated chords; the soprano’s temporally adjacent pitches are all separated by leaps, usually large ones.[9]

 2つ目の、全体的に低く抑えられたダイナミクスと最小限に留められたアタックは、「パート間に生じるはずの差異を均すことにつながる (which) tends to smooth out the differences that might emerge among the instruments in these dimensions」[10]効果に一役買っている。通常、声、弦楽器、管楽器、打楽器、ピアノといった種類の異なる音色を用いる目的は多様な響きを獲得するためだが、フェルドマンは違う。彼は様々な種類の音色を駆使してモノトーンを目指しているのだ。これは絵の具を何色も混ぜていくと最後には黒や茶色のよくわからない色に行き着いてしまう現象とも似ている。3つ目の楽器と声との垂直な組み合わせは各パートが同時に響くことを意味し、Bernardは3つの中で最も重要な事柄とみなしている。

3つ目の要因はおそらく何よりも重要だ。それは楽器と声が作り出す垂直な組み合わせで、そのどちらも慣習的な楽器や声として認識されない。響きに対するフェルドマンの完全に独創的な耳(訳注:聴き方)は、どのパートが最も低く、どのパートが最も高く、どのパートがその中間なのかをしばしばフラストレーションを感じながら特定しようと試みる練習であることを意味する。

A third factor, perhaps the most important of all, is the kind of vertical combinations that the instruments and voice form, none of which are recognizable as conventional. Feldman’s utterly original ear for sonority means that it is often an exercise in frustration to try to identify which part of lowest, which highest, which in between.[11]

 この3つ目の指摘は若干の説明が必要だ。フェルドマンの多くの曲、特に50年代のピアノ曲によく見られるのが、例えばC4からD3のように隣接した音高間の移行を、あえて1オクターヴかそれ以上の広い間隔で行うことによって音の高低の間隔と感覚両方をあいまいにさせる手法だ。曲中、この手法が和音の重なりとして試みられている。これまで、この手法はある音からある音へ移る際に用いられてきたが、今度は同時に鳴らされるひとまとまりの音の中で音の高・中・低の感覚を混乱させようとしているのだ。実際に、この曲の中でどの音がどのパートによるものなのかをスコアを見ずに聴き分けるのはあまり簡単ではない。冒頭にテュッティで鳴らされる和音でさえ、ホルンとソプラノとチェロという全く違う種類の音なのに、どれがどのパートの音なのかを正確に特定するにはある程度訓練された耳でないと難しい。それぞれの楽器の音色と、その楽器の特性を活かした音楽に慣れてしまった私たちの耳は、この曲のように楽器の個性をできるだけ抑えた響きに対してBernardがいう「フラストレーション」を感じてしまうだろう。「For Franz Kline」を聴いて、それぞれのパートが特定できなければできないほど、この曲でのフェルドマンの試みは成功しているともいえる。

 詳しくは次回に解説する予定だが、この曲のスコアは拍子や小節線のない自由な持続の記譜法で書かれている。曲の随所に記された数字とその上に書かれたフェルマータは通常の五線譜における全休符と同じ役割である。Bernardはフェルマータで記された休止と静止の空間をクラインのモノトーンの絵画における白の部分に、音符を黒の部分に見立てている[12]。しかし、この曲では静寂と音とがはっきりと区分けされておらず、白と黒とが混ざり合った灰色の状態を作り出している。これをBernardは次のように描写する。

実際にこの曲の静寂の性質は音の性質と不可分で、音の響きは1つ、2つ、3つかそれ以上の楽器が同時に鳴っている事実を以ってしても、はっきりと階層付けられるわけではない(おそらくその理由の一部として、同じタイミングでのアタックであれ、楽譜の中の音符が記譜された通りのタイミングで同時に鳴ることがほとんどないからだ)。

The quality of silence in this work, actually, is inseparable from the quality of sound, in which sonorities are not markedly hierarchized by the fact of one, two, three, or more instruments sounding at once (probably in part because notes sounding at the same time are rarely if ever attacked at the same time).[13]

 前回とりあげた「Piece for 4 Pianos」と同じく、この曲でも記譜と実際の鳴り響きが完全に一致しない。一斉に始まる冒頭を除いてそれぞれのパートが各自のペースで進むので、楽譜の上では同じタイミングで垂直に整然と重なっている音やフェルマータであっても実際はそれぞれの出来事が起こるタイミングには微妙なずれが生じる。フェルドマンは各パートの随所にフェルマータを記すことで音の鳴っていない状態を作り出しているが、この曲ではすべてのパートに同じタイミングでフェルマータが付けられている箇所はなく、いくつかのパートにフェルマータが付いていようと常にどこかで音が鳴っている。このようなはっきりしない音と静寂の混ざり合いも、フェルドマンにとってはモノトーンの音楽を具現する1つの手段だったのだろう。

 通常、音楽における豊かな色彩の感覚は概ね肯定的な特性として歓迎されるはずだが、フェルドマンは「For Franz Kline」において「豊かな」音色や色彩という美的価値観とは逆のことを試みているのだ。この曲に見られるように多様な楽器を用いるが、その楽器の特性を活かすのではなくて、できるだけ抑えることで、どっちつかずのよくわからない音響を創出する手法は1960年代のフェルドマンが新たに到達した境地の1つでもある。

3. 打楽器作品における音色へのアプローチ 「The King of Denmark」

 図形楽譜の楽曲でもフェルドマンは楽器法と音色に対する独自のアプローチを追求していた。1964年に作曲された「The King of Denmark」は打楽器の独奏曲で、フェルドマンの楽曲の中では演奏される頻度が高い。この曲のスコアはこれまでに紹介してきた図形楽譜の楽曲――「Intersection」シリーズ(1951)、「Ixion」(1958)――とほとんど同じ形態をとっていて、縦の段が音域、横の方向が時間の経過を示す。他の図形楽譜の楽曲と同じく具体的な音高は記されず、マス目(スコアの指示書では四角形、またはボックスと記されている)に演奏すべき音の数と演奏指示が記されている。テンポは1つのマス目あたり1分間に66-92と幅がある。図形楽譜を約5年ぶりに再開した1958年以降の楽曲ではマス目に装飾音や八分音符も書かれるようになり、50年代前半の図形楽譜よりも緻密になったことは前回解説したとおりだ。「The King of Denmark」の最後はヴィブラフォンと、グロッケンシュピールかアンティーク・シンバルで演奏する音が五線譜で書かれており、フェルドマンの図形楽譜の書法に新たな側面が加わっている。

The King of Denmark (1964) スコアと演奏を同期させた映像
The King of Denmark (1964) 同じ演奏者による演奏の映像

 この曲で興味深いのはやはり打楽器の種類と音色との関係である。予め明記されているゴング、シンバル、トライアングル、ティンパニ、ヴィブラフォン以外の楽器の選択は演奏者に委ねられている。スコア冒頭には以下の演奏指示が記載されている。

  1. グラフに記された高・中・低の四角形1つをMM 66-92のテンポとみなす。最上段あるいはそれより少し上の場所は最高音域。最下段あるいはそれより少し下の場所は最低音域。
  2. 数字は1つの四角の中で演奏される音の数を示す。
  3. 全ての楽器はスティックやマレットを使わずに演奏しなければならない。演奏者は指、手、あるいは腕のどの部分を使って演奏してもよい。
  4. ダイナミクスは極端に抑えてできるだけ均等に。
  5. 太い水平線[14]はクラスターを示す。(可能ならば様々な楽器で演奏すべき)
  6. ローマ数字は同時に鳴らす音の数を示す。
  7. (高・中・低の四角の全部に及ぶ)大きく書かれた数字は全ての音域でどのような時間のシークエンスでも演奏できる単音を示す。
  8. 破線は引きのばす音を示す。
  9. ヴィブラフォンはモーターを使わずに演奏する。
  • 各種記号:
    • B ベルのような音
    • S 膜鳴楽器(訳注:あるいは太鼓類)
    • C シンバル
    • G ゴング(訳注:銅羅)
    • R ロール
    • T. R. ティンパニのロール
    • △ トライアングル
    • G. R. ゴングのロール
  1. Graphed High, Middle and Low, with each box equal to MM 66-92. The top line or slightly above the topline, very high. The bottom line or slightly beneath, very low.
  2. Numbers represent the number of sounds to be played in each box.
  3. All instruments to be played without sticks or mallets. The performer may use fingers, hand, or any part of his arm.
  4. Dynamics are extremely low, and as equal as possible.
  5. The thick horizontal line designates clusters. (instruments should be varied when possible.)
  6. Roman numerals represent simultaneous sounds.
  7. Large numbers (encompassing High, Middle and Low) indicate single sounds to be played in all registers and in any time sequence.
  8. Broken lines indicate sustained sounds.
  9. Vibraphone is played without motor.
  • Symbols Used:
    • B-Bell-like sounds
    • S-Skin instruments
    • C-Cymbal
    • G-Gong
    • R-Roll
    • T. R.-Tympani roll  
    • △- Triangle
    • G. R.-Gong roll [15]

 即興演奏と混同される可能性や、演奏者の手癖やパターンが入り込んでしまう余地のあった50年代の図形楽譜に比べると「The King of Denmark」は具体的で明確な演奏方法が記されているように見える。だが、スコアにはこの演奏指示には含まれていない記号がいくつか存在する。クラスターは太線で示されているが、曲中にはグリッサンドも登場する。斜線がグリッサンドを示し、1つの音域で完結していることもあれば、複数の音域をまたぐこともある。装飾音もしばしば登場するが演奏指示では言及されていない。たいていのフェルドマンの楽曲における装飾音はあまり速すぎないように演奏することが指示されているので、おそらくこの曲の装飾音にも同じ演奏方法が適用される。数字のみが記されている箇所ではその音域に即した楽器を選んで、その数字と同じ数の音を1つのマス目の中に収まるように演奏しなければならない。これは最初期の図形楽譜「Projections」シリーズから一貫した方法だ。初期の図形楽譜はほとんどがチェロ、ピアノ、ヴァイオリンなど音高のある楽器で演奏されるため、マス目に書かれた数字の数だけ指定された音域内で異なる音高を演奏すれば、音高による差異の効果が音楽にもたらされる。打楽器で演奏され、さらに楽器の選択も演奏者に任されているこの曲では、初期の図形楽譜の場合とやや事情が異なる。例えば冒頭の高音域のマス目に7と書かれた場所では、この7つの音を高音域の同じ楽器、同じ音色で演奏しても間違いではない。しかし、できるだけ違った種類の楽器や音色で高音域の7つの音を鳴らした方がより多様な音色による効果が得られるのも事実だ。リンク先の映像では、演奏者はこの7音をガラスの皿、陶器、鈴、カウベル、小型の太鼓など様々な楽器で鳴らしている。選択肢が広がった分、演奏者は効果的な楽器の組み合わせを考える必要がある。

 冒頭の7音のように、異なる楽器の組み合わせによる多様な音色を狙った箇所もあれば、同属の楽器の響きでの演奏が各種記号や文字によって指定されている箇所もある。スコア1ページ目2段目の後半はゴング、2ページ目の2段目の後半は皮(膜鳴楽器)、3段目はシンバルが指定されている。3ページ目1段目はベルのような音がこの段の半分以上を占めている。ゴングとシンバルの場合は大きさや種類の異なるそれぞれの楽器を用意すれば3つの音域に応じた音を出すことができる。だが、3ページ目の「ベルのような音」の指示はやや漠然としていて、演奏者に音のイメージの構築が求められる。リンク先のスコア付きの映像では4分11秒、演奏の映像では4分18秒頃からこの「ベルのような音」の箇所が始まる。この演奏では演奏者は大きなカウベル、アンティーク・シンバル、ヴィブラフォン、金属製のボウルなどを使ってベルのような音を作り出している。この「ベルのような音」は金属の音とも解釈できるが、この曲の演奏とその分析を行った打楽器奏者のDaryl L. Prattは、トライアングルのパートが別個に三角形の記号で書かれているので、ここに含めない方がよいという見解を示している[16]。演奏実践の視点から考えると、この曲では奏法、音色、楽器の属性が響きの性格を決める重要なパラメータとして機能しているといえる。では、フェルドマンは打楽器の音色についてどのように考えていたのだろうか。

 実際のスコアの演奏指示と違いがあるが、1983年のジャン・ウィリアムズによるインタヴューの中で、この曲を作曲した当時フェルドマンは打楽器の音を楽器の大きな一群とみなし、金属、ガラス、木の音に分類した[17]と語っている[18]。だが、これらの分類に基づくそれぞれの音は金属製の楽器で金属の音を出すことや木製の楽器で木の音を出すことを必ずしも意図しているのではなく、どんな種類や素材の打楽器でも「耳にとって金属のように聴こえる音、ガラスや木に聴こえる音sounded like metal, sounded like glass and wood to the ear」[19]を出すことができればこの分類に適った音になる。「The King of Denmark」は奏者が指定された箇所にどの楽器を割り振るかによって演奏の結果生じる音の響きが大きく変わってくる点で不確定性の音楽である。だが、演奏指示とスコア、そして上記の発言から、フェルドマンはどこをどの音色で演奏すべきか、この曲の中で自分が理想とする音色のイメージをある程度具体的に持っていたようにも思われる。おそらくここで彼が求めていたのは、その出自が特定されている「〜という楽器の音」よりも、出どころのあまりはっきりしない「〜のような音」や、既存の楽器から生じる「〜とは思えない音」だったのかもしれない。通常、打楽器は様々な度合いのアタックがその音響や音色を特徴付けるが、スティックとマレットを用いた演奏を禁じたこの曲では、従来の打楽器奏法では得られないアタックの音響的な効果も期待されている。

 フェルドマンによれば「The King of Denmark」はガムラン音楽、ジョン・ケージの1940年代初期の楽曲、ヴァレーズの楽曲をモデルにして書かれた[20]。彼はロングアイランドのビーチに座って数時間でこの曲を書き上げた時の様子を次のようにふりかえっている。

作曲していた時の記憶を実際に呼び起こすことができる――遠くで微かに聴こえる子供たちの声、トランジスターラジオの音、ブランケットを敷いた他の人たちの場所から漂う会話といった音がこの曲に入り込んできたことを覚えている。私が言っているのはこの種の断片のことだ。私はこの断片にとても大きな印象を受けた。長く続かない物事の印象がこの曲のイメージとなった。それは周りで起きていたことのイメージだ。このイメージを補強するために、いかなるマレットも使わず、指と腕を使うことを思いついた。そうすることで全部の音がそこにただ漂っては消え、長い時間そこに残らないのだ。

And I can actually conjure up the memory of doing it—that kind of muffled sound of kids in the distance and transistor radios and drifts of conversation from other pockets of inhabitants on blankets, and I remember that it did come into the piece. By that I mean these kinds of wisps. I was very impressed with the wisp, that things don’t last, and that became an image of the piece: what was happening around. To fortify that, I got the idea of using the fingers and the arms and doing away with all mallets, where sounds are only fleetingly there and disappear and don’t last very long.[21]

 これを読むと、フェルドマンがビーチで見聞きした様々な出来事とその音の断片がこの曲の音の響きのイメージを形成していることがわかる。彼は、打楽器奏者がスティックやマレットを使わず、全ての楽器を自身の指と腕で演奏しなければならないアイディアを作曲中に思いついたといっているが、これについては別の説がある。1964年秋に行われたニューヨーク・アヴァンギャルド・フェスティヴァルでこの曲を初演したマックス・ノイハウスによれば、指や手だけを用いる演奏はフェルドマン立ち合いのもとで行われた練習の中で現れたアイディアだったらしい。

2回目と3回目のセッションでも彼(フェルドマン)はまだ「違う、音が大きすぎる、うるさすぎる」と強く主張した。打楽器科の学生だった頃、コンサートが始まる直前のステージで自分たちのパートをいつもどのように練習していたかを突然思い出した。観客に自分たちの練習の音が聴こえないようにスティックではなくて指を使っていたのだ。私はスティックを下に置いて、自分の指だけで練習した。モーティは仰天して「それだ、それだ!」と叫んだ。

In the second or third session, he was still insisting, ‘no, it’s too loud, too loud’. I suddenly remembered how, as percussion students, we used to practice our parts on stage just before a concert started. In order that the audience not hear us, we used our fingers instead of sticks. I put down my sticks and started to play with just my fingers. Morty was dumbstruck, ‘that’s it, that’s it!’ he yelled.[22]

 2人の間での記憶の違いがどうであれ、打楽器曲にもかかわらず「The King of Denmark」ではフェルドマンの他の多くの楽曲と同じく、できるだけ控えめに、ダイナミクスを抑えた演奏が求められる。具体的な楽器の種類が全て特定されていないものの、太鼓類やトライアングルでアタックや音量を曲の間中できるだけ抑えて、しかも可能な限り平坦なダイナミクスで演奏しなければならない。この点からも先に触れた「For Franz Kline」と同じく、この曲はその楽器本来の特性を活かす書法とは逆の方法で書かれているといえる。

 最初から最後までダイナミクスを控えめに静かに演奏しなければならないことの狙いには、実は別の背景がある。エバーハルト・ブルームによれば、フェルドマンはニューヨークでカールハインツ・シュトックハウゼンの「Zyklus」(1959)を聴いた後、自身の打楽器曲(「The King of Denmark」)を「「Zyklus」に対するアメリカ的な返答 the American answer to “Zyklus”」[23]と述べた。シュトックハウゼンの「Zyklus」はトムトムやログドラムの強打が印象的な、どちらかというと「うるさい」類の楽曲だ。一方、「The King of Denmark」は終始アタックとダイナミクスを抑えて演奏される「静かな」類の楽曲である。誰か(シュトックハウゼン)が大きな音の打楽器曲を書いたので、自分(フェルドマン)は大きくない音の打楽器曲を書いてみたといったところだろうか。「Zyklus」の存在を視野に入れることで、打楽器曲にもかかわらずフェルドマンが静かさや最小限のアタックにこだわった理由がより明確になる。

 フェルドマンは作曲が終わってからこの曲に「The King of Denmark」とタイトルをつけた。タイトルについて彼は「長続きしないもの、はかなさ、絶対的に静寂であることへの哀愁があった。There was something about the wistfulness of things not lasting, of impermanence, and of being absolutely quiet.」[24]と語っている。作曲当時のフェルドマンはこれらのイメージと、第二次世界大戦期のナチスに抵抗してダビデの星をつけ、何も言わずに街を歩き回ったデンマーク王クリスチャン10世の逸話とを重ねた[25]。クリスチャン10世の逸話は事実とは異なるという説があるが、ダビデの星をつけた彼の行動は無言の抵抗の象徴として今も語り継がれている。なぜクリスチャン10世がビーチにいたフェルドマンに去来したのか、彼自身その理由を明かしていないが、この2つは「その時の自分の頭の中で強く結びついていた。there was a strong connection in my mind at that time」[26]。一方、ブルームは「The King of Denmark」をフェルドマンの他の楽曲には見られない唯一の政治的な性質を帯びた楽曲だとみなしている[27]。デンマーク王クリスチャン10世にまつわる逸話をふまえると、この曲は音から人間に対する無言の、あるいは小さな声での抵抗とも考えられるのかもしれず、フェルドマンが人の手によって音を操作する、秩序付けることについて逡巡し続けていた作曲家だったことも思い出される。1960年代の彼の創作においても「音そのもの」は引き続き重要な命題として彼につきまとっていた。

 今回は映画音楽、室内楽、図形楽譜の楽曲における音色の観点から1960年代前半のフェルドマンの創作をたどった。ここでとりあげたいくつかの例からわかるように、彼は音色に対しても独自の考え方を持っていた。次回は1960年代の五線譜の楽曲の大半を占める、自由な持続の記譜法について考察する予定である。


[1]Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 265
[2] “Untitled film music”としてCD, Morton Feldman: Something Wild-Music for Film(KAI0012292, 2003)に収録されている。この映画音楽集の詳細はhttps://www.gramophone.co.uk/review/feldman-something-wild-music-for-film 参照。
[3] Morton Feldman Page https://www.cnvill.net/mfhome.htm 内の Morton Feldman Film Music https://www.cnvill.net/mffilmmusic.htm に各作品の詳細、映像や音源の抜粋が掲載されている。
[4] Feldman 2006, op. cit., p. 264
[5] Peter Niklas Wilson, “Canvasses and time canvasses: Comments on Morton Feldman’s film music” https://www.cnvill.net/mffilm.htm このテキストは脚注2で言及したアルバムのライナーノーツとして書かれた。
[6] Franz Kline (1910-1962) MoMAによるFranz Klineのページ参照 https://www.moma.org/artists/3148
[7] Jonathan W. Bernard, “Feldman’s Painters,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, p. 196
[8] Ibid., p. 196
[9] Ibid., p. 196
[10] Ibid., p. 196
[11] Ibid., p. 196
[12] Ibid., p. 197
[13] Ibid., p. 197
[14] 原文に“The thick horizontal line”と書いてあるので水平線としたが、スコアではクラスターは太い垂直線で記されている。
[15]The King of Denmark, EP 6963, 1965
[16] Pratt, p. 77
[17] Feldman 2006, op. cit, p. 151
[18] Ibid., p. 151
[19] Ibid., p. 151
[20] Ibid., p. 151
[21] Ibid., p. 152
[22] Max Neuhaus, https://www.cnvill.net/mfneuhaus.htm このテキストはCD The New York School: Nine Realizations by Max Neuhaus (22NMN.052, 2004)のライナーノーツとして書かれた。
[23] Eberhard Blum, “Notes on Morton Feldman’s The King of Denmark,” English translation by Peter Söderberg, https://www.cnvill.net/mftexts.htm
[24] Feldman 2006, op. cit, p. 152
[25] Ibid., p. 152
[26] Ibid., p. 152
[27] Blum, op cit.

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は10月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (20) いくらなんでも速すぎでんがな

Condon COLLECTION HOROWITZ SBSM0003-2 BMG 1991年(他にも収録盤多数) 
Encores & Rarities  Mark Hambourg(p) APR 6023 2018年

通常より速いテンポで演奏すること自体は何の問題もありません。たとえばゾルタン・コチシュのラフマニノフ協奏曲全集。濃厚ロシア風味はありませんが実に爽快です。永く聴き続けるには意外と適した演奏かもしれません。たとえばTESTAMENTから出ているジョン・オグドンの弾くリストの小人の踊り。2分14秒で完奏という驚異の速度で、常軌を逸したピアノテクを堪能できますし、音楽としてもある種の狂気を孕んでいて圧倒されます。

しかし、ものには限度というものがあります。曲自体が崩壊しかねない、または何の曲かわからないほど速いというのは如何なものなのでしょうか。第13回で取り上げたFalossiのモーツァルトのピアノソナタK.545の第2楽章もこの類に入る気がします。で、あるのですね、さらにひど……スゴいのが。

Condon COLLECTION HOROWITZ

まずは大ホロヴィッツ様。1928年、まだ20代半ばのホロヴィッツが自動ピアノに記録したラフマニノフの前奏曲op.32 no.8。この曲を知ってる人のみならず初めて聴く人でも、あまりに急速に動く音の渦に呆気にとられることでしょう。もはや“音楽”として成立していないレベルの高速音塊です。もともとテンポの速い音楽で、通常のこの曲の演奏は1分40秒くらいです。で、ホロヴィッツは1分08秒。この短い曲でこれだけ尺を縮めるとなると、平均的な演奏テンポ♩=160を♩=240近くに上げなければなりません。しかも楽曲は16分音符の連続。♩=240ということは16分音符を毎秒16、1分では960弾くことになります。これだけ音を高速で詰め込むと“音楽”が変質してしまうのがご理解できるのではないでしょうか。で、一つの疑問が浮かびます。この演奏は自動ピアノによる記録なので、機械的にテンポを速めている、もしくは再生ミスではないかと。これに関して「ホロヴィッツの遺産」の共著者である木下淳氏によれば、「このop.32 no.8が記録されたロールにはもう1曲、ラフマニノフのop.32 no.10も記録されていて、そちらの演奏は普通のテンポ感であるため、op.32 no.8の異常高速はトリックや再生ミスではなく本来のものであろう」とのこと。うーーむ、状況証拠的に納得。ただ、納得はしましたが、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

Encores & Rarities
Mark Hambourg(p)

さて、お次は第1回に続いての登場、マーク・ハンブルク。もっぱら熱血暴れん坊タイプの演奏をする御仁です。彼が1921年に録音したセヴラックの「古いオルゴールが聞こえるとき」が異様に速い。この曲はオルゴールの動きや音色を模した可愛らしい作品で、ピティナ・ピアノ曲事典では標準演奏時間1分30秒となっています。実際、多く演奏は平均的にそのくらいのスピード感で可愛くキラキラッと弾いています。それに対しハンブルクは1分00秒。正直、速過ぎてオルゴール感はゼロ。可愛らしさもゼロ。どうしてもいうなら「ネジ巻きすぎてぶっ壊れる寸前!半壊オルゴール、戦慄の暴走」のような音楽になってしまっています。私も正直この演奏を最初に聴いたとき、セヴラックのこの曲だとは気づかないほどでした。しかし、ハンブルクの場合さらに上には上があるのです。ハンブルクが同じ1921年に録音したクープランの「神秘的なバリケード」。この曲はゆったりとした分散和音を慈しむように奏でる作品で、ある種の崇高感すら漂う柔らかな音楽です。ピティナ・ピアノ曲事典によれば演奏時間は2分20秒くらいです。かの暴れん坊シフラも2分30秒程度、人によっては3分30秒くらいかけて厳かに弾く人もいます。これに対し、ハンブルクはたったの1分08秒。クープランからはかけ離れた超快速お指の練習曲のようにしか聴こえません。この演奏を聴いて「あぁ、クープランの神秘的なバリケードだな」と思う人は皆無でしょう。私もまったく気づきませんでした。なんかごちゃごちゃ凄い勢いで分散和音弾いてるなぁ位にしか聴こえなかったのです。もちろん神秘性なし、バリケード(=障壁)って早弾きの難しさの事?という演奏です。ハンブルクがこれら2曲においてなぜ異常高速演奏を行ったのかはわかりません。収録時間の短かった1921年当時の録音盤に無理矢理押し込むためとも考えられますが、他の楽曲では部分的に省略するなどして時間を削り、音楽としてのテンポ的な体裁は保つ場合が多いのです。やはりこの2曲に関してはハンブルクの確信犯的解釈ではないかと思う次第です。うーーむ、ただ、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

やたらと遅いコブラの演奏。一方ではやたらと速いこれらの演奏。どちらが音楽破壊度が高いかと言えば、やたらと速い方に軍配が上がると思います。常軌を逸した速さ。その意気は大いに認めましょう。ただ、何の曲かもわからないほど速いというのは、ゲテモノ好きの私でも考え込んでしまいます。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (19) 演奏事故物件鑑賞会

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL  CD27/28 – SONY CLASSICAL, 2013年
EMIL GUILELS en concert – RODOLPHE RPC 32491, 1987年
Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt – ASdisc AS 123, 1993年

演奏は生ものです。アクシデントは付き物。単なるミスタッチくらいなら、アクシデントに入らないでしょうが、人生と同様、何が起こるかわからないものです。

誰もが動画を撮り、誰もが世界に発信できる時代、YouTubeでいくつか有名になっている演奏事故動画があります。たとえば、ラローチャがモーツァルトの27番だと思ってリハに行ったら、ラフマニノフの2番をオケは用意していて急遽変えたという1983年の動画。わりと冷静に曲の変更をこなしていますが、出来ちゃうのが凄い。さらに有名なのが、ピリスがモーツァルトの協奏曲をアムステルダムのランチコンサートで弾こうとしたら、予定してたのとは違う20番の協奏曲が始まって愕然とし、オケの演奏が続く中、絶望的な表情で指揮者と交渉する動画。ピリスが「この曲の楽譜は家に置いてあるわ」と言えば、指揮者が「最近どこかで弾いてたみたいから大丈夫でしょ」と返し、結局、絶望的な表情のまま、弾き出して弾いてしまします。ピリスの暗い表情が20番の曲想にとてもよく合っています。ブラジルのロドリゲスという女性ピアニストは演奏中にピアノが故障。結局、スタッフが色々努力するも修理できず、舞台上の(せり)(昇降リフト)で壊れたピアノを下ろし、新しいピアノを迫で上げてセッティングして再開します。で、このピアニストの凄いのは、その間、ずっとトークと色々なピアノ演奏を続けて客は大ウケ大喝采という一部始終の動画があります。もちろん彼女もピアノと一緒に迫に乗り一旦は舞台下に消えますが、ずっと弾き続けます。すばらしい芸人魂です。

演奏中のアクシデント、巨匠はどう対応した?

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL

こうしたアクシデントの記録を正規に商品として販売してしまった例はさほどありません。そりゃ普通は録り直すか、こんなの売らないでくれ、となりますからね。有名なのは1946年にシュナーベルがモーツァルトの協奏曲第23番の第3楽章で度忘れして全然違うことを弾き出し、演奏が止まった例があります。これは海賊盤っぽいレーベル含めて過去に数回発売されています。では正規盤で出たのはといえば、私の知る限りホロヴィッツが多いのです。細かいことを言えば1930年スタジオ録音のラフマニノフ第3協奏曲第3楽章再現部で何をとっちらかったか違う調で数小節弾いてしまった例や、1931年録音のラフマニノフの前奏曲op.23 no.5の後半でおそらく興奮のあまり何を弾いてるかわからなくなってる例があります。これらは録り直しや発売中止も出来たはずですが世に出ました。そのころ本人希望でお蔵入りになった録音も他の曲では沢山ありましたので不思議な「OK」です。で、これらとは違い本人ミスではないアクシデントは1968年11月24日のカーネギーホール・ライブ。ホロヴィッツ・ファンならご存知でしょうが、ラフマニノフの第2ソナタの第2楽章4分06秒のところで、ばちょ~~ん、という音がして弦が切れます。ホロヴィッツはそこから数小節は弾くのですが、ほどなく断念。客席からは拍手が起こります。伝えられている話では、調律師が真っ青になって舞台袖から駆け付け、切れた弦を必死に取り除いている最中、ホロヴィッツは調律師に優しく声をかけてニコニコしながら脇に立っていたとのこと(*1)。当然、弦を取り除き、調整して弾けるようになるまでにはかなりの時間がかかったと思いますが、そこは割愛されています。ホロヴィッツは弦の切れた個所の少し前から演奏を再開し、彼の弾いたラフマニノフのソナタの中でも一段と気合の入った演奏を繰り広げます。お見事なカバーリングです。

EMIL GUILELS en concert

さて、弦が切れたのにずっと弾いていたライブ盤もあります。演奏者はエミール・ギレリス。1966年7月20日、エクサン・プロヴァンス音楽祭のライブ中の出来事です。この日はベートーヴェンのソナタ21番と28番に続き、リストのソナタを弾きました。事件はリストのソナタで起きます。演奏開始から14分33秒後、第2部で盛り上がる395小節の2拍目の右手、fffで叩かれるBがバシッとキレます(参照楽譜の赤矢印の音)。ギレリスは動揺したのか396小節の左手の低音を濁らせます。さらに旋律線内に切れたBの音が出て来る399小節ではBの音の個所で楽譜にはないトリルを入れて瞬発的に繕おうとしたようです。もちろん切れた弦はほとんど鳴らないのでかなり聴き取りにくいですし、トリルにしても何の解決にもなりません。ただ、ホロヴィッツとは違い、ギレリスは演奏を止めることなく弾き続けます。おかげで420小節以降の静かな音階風フレーズではBは鳴らず、「スカッ」とか「カシュッ」とかなんとも哀しい音がします。なにせB-minorの曲なのでBの弦が切れたのは影響大。曲の後半でも至るところで「スカッ」「カシュッ」が淋しく響きます。ただ、演奏自体は実に堂々たるもの。お見事です。

Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt

もう一つおまけに違うパターンの事故記録を。おそらく正規録音盤ではないのですが、ホルヘ・ボレット(*2)が1972年1月5日にニューヨークで行った演奏会のライブ盤です。曲目はショパンのバラード全曲とリストのソナタなど。この日のボレットは好調で、特にバラード4曲はバラード演奏の中でも極上のものという評を読んだことがります。たぶん会場録音なので録音状態自体はあまりよくないものの、素晴らしい演奏と思います。で。このライブで想定外の事態が起きます。せっかくの名演が吹っ飛ぶようなまさかまさかの事態が。曲はバラード第4番。この曲の途中で観客の拍手が入るのです。場所はコーダに入る直前。一瞬静まる前にヘ短調の属和音(コードでいえばC)をfffで叩きますね。この場所で「あ、曲が終わった」と一斉に拍手が沸き起こるのです。確にその直前のボレットのアッチェランドはかなりのものですし、聴いてて昂まる気持ちはわからんでもないですが、音楽的にここは終わらんでしょ、普通。ボレットは拍手が収まるのを待って続きを弾き始めます。この時にボレットが聴衆に対して何らかのジェスチャーをしたのかどうかはわかりません。演奏家にしてみればかなり想定外の事態だったとは思いますが、こういうこともあるのですねぇ。そういえばオケの世界ではフルトヴェングラーが振ったチャイコの5番の終楽章のライブでコーダ前に拍手が起きるという有名な事象がありましたね。ボレットのライブはそれと並ぶ、もしくはそれ以上の想定外フライング拍手のような気がします。ちなみに本当にバラ4が終了した時の聴衆の熱狂はそれはそれは凄いもんです。思わずフライング拍手が出るくらいの稀なる演奏だったのです。

演奏事故物件は原則、世に出ません。ここに上げた諸々の件は演奏よりもドキュメンタリーとして鑑賞すべき類かも知れません。しかし、プロ中のプロの有事に対する振る舞いもまた、音楽を知る愉しみの一つと思います。ぜひとも世にも珍しい事故物件を皆様もお見つけくださり、そこのある演奏家の人間ドラマをご堪能ください。

(余談)
筆者がとある演奏家本人から聞いたアクシデントとしては、ABACA形式の作品を弾いたところ、ACAで終わってしまったというのがあります。本人はCを弾き始めて間もなく気付いたそうで、気分的には真っ青だったとのこと。ただ「結局、誰にも気付かれなかった」と笑い飛ばしておりました。さすがにこのライブの録音があったとしても世に出ることはないでしょうね。ちなみに、その作品とはシューマンのアラベスクです。

(補記)
*1:この時、調律師は舞台袖から新しい弦を抱えてやって来て必死に張り替えたという説もあります。
*2:編注 主に英語圏で活動したため、ジョージ・ボレットという読み方を常用していたとオフィシャルサイトにあります。日本ではホルヘ・ボレットという読み方が現在一般的ですが、かつてはホルヘ・ボレという表記が用いられていました。(スペイン語では単語末尾のtを読まないのが一般的)

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (18) 怒りの修正報告書 シューマン第3ソナタ、謎のフィナーレ

Schumann  Beethoven Studies   Olivier Chauzu(p) NAXOS 8.573540 2016年
参考 Schumann and the Sonata 1  Florian Uhlig(p) hänssler CD 98.603 2010年

怒印 Schumann Concert pour Piano seul Florian Henschel(p) ARS MUSICI AM 1306-2 2002年

Schumann Beethoven Studies – Olivier Chauzu(p)

第3回でNaxosから出たChauzuの弾くシューマンの第3ソナタの謎のフィナーレについてテキトーな推論を書きました。なんと、有難くも畏くもMuse Pressさんが大英図書館のシューマンの自筆譜を閲覧できるようにしてくださいました(編注:問い合わせをした後、いつの間にかサイトで公開されてましたが、問い合わせがきっかけなのかは不明)。さらに有難くも畏くもNaxosさんがChauzuの弾いてる謎のフィナーレの譜面を出版しているサイトを教えてくれました。で、シューマンの第3ソナタのフィナーレに関してかなりのことがわかってきました。

第3回ではシューマンのピアノソナタ第3番に6種のフィナーレがあると書きました。その一覧は、

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)不明不明不明不明
1836年初稿(別の紙の自筆譜)Prestissimo possibile不明不明7分02秒
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinale不明(vivacissimo )不明不明5分13秒
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※Naxos盤の解説にはvivacissimoの発想記号はないが、CDをリッピングするとこの発想記号が曲名表示に現れる

です。

Schumann Concert pour Piano seul – Florian Henschel(p)

で、今回、大英図書館の自筆譜を観て私は激怒しました。同時に、第3回をお読みいただいた皆様に深く陳謝いたします。“大英図書館の自筆譜から第3ソナタのオリジナルバージョンを演奏した”としていたFlorian HenschelのCDですが……違いました。確かに自筆譜を基にオリジナルに近い形で演奏してますが、初稿になくて初版で初めて出たフレーズや後年の改訂版の時に創られたフレーズを弾いていたりしたのです。売り文句とちゃうやんけ、ごるあぁぁ!!ヲジサンはマジに怒ったぞ、CD代返せ! ただし、自筆譜を観たことで嬉しい発見もありました。正体不明だった①(自筆譜Beginningのみ)が確認できたのです。さらに⑤の楽譜の製作に関わった人のサイトで謎のフィナーレの元であるストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」も確認できました。

大英図書館の自筆譜(初稿②)はとても読みにくく、時折シューマン本人による達筆のドイツ語でメモ書きがあったり、継ぎ足して書いてる紙が挟んであったり、書いてはみたものの×を付けてカットしている部分があったりします。初稿の分析は研究者による精緻なアプローチ(近々ある、との噂)を待とうと思います。

で、以上の自筆譜情報からわかったこととして……

◆初稿②と初版③のフィナーレは判読しづらいが何か所か違いがあると思われる。ちなみに第1楽章でも違うところがある。一方で「大英図書館の自筆譜を基にした」と標榜していたHenschelの演奏で、違いが著しいと思っていた箇所はHenschelの勝手な変更だったりした。

◆Uhlig⑥とChauzu⑤が弾いている謎のフィナーレは、同じ「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」から再構成されたものである。この断片にはメモ的な構成指示含めて曲の9割がたが書かれているが、コーダ部分が書かれていないため、現代の人が補作している。⑤と⑥の違いはその補作の違い。コーダの補作違いはもう一つあり、⑤の出版譜に載っている。また⑤と⑥では自筆譜上でシューマンが「×」を付けてカットした小節の扱いに違いがある。

◆①の1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)と「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」は曲としてはほぼ同じだった。ただし、細部は所々違う。どっちが先に書かれたかはわからない。なお①の発想記号はPrestissimoで、拍子は16分の6拍子だった。

◆フィナーレではないが、第1楽章の別エンディングを確認できた。

で、以上の情報を総合して新たな一覧表です。

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)Prestissimo16分の6拍子55小節
1836年初稿(自筆譜)Prestissimo possibile16分の6拍子
※2

※3
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinalePresto possibile16分の6拍子401小節5分13秒
⑪の別コーダ版Presto possibile16分の6拍子398小節⑪と同様
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※2:⑧の小節数は自筆譜が非常に読みにくくてカウントしづらいので計数を諦めました
※3:Henschelの演奏が必ずしも初稿に基づいていないため、演奏時間は不明としました

まぁ、⑪⑫⑬は書かれなかったコーダ部分を補作した後世の人による違いなので、これらを別バージョンと言うかどうかはちょっと微妙かな。とにかく⑦⑪⑫⑬はほぼ同じ曲で「廃棄されたフィナーレ」、⑧⑨⑩がほぼ同じ曲で「現行のフィナーレ」でした。

これ以上は専門の研究者の領域です。ヲタクの爺さんの手に負えるものではありません。しかし、シューマンの第3ソナタのフィナーレは、大きく分けて2系統、少なくとも計7種類のバージョンがある事がわかりました。これだけでも少しは腹落ちしましたね。それにしても、Henschelめ、許さんぞ、成敗じゃっ!

●補足をひとつ●

Schumann and the Sonata 1
– Florian Uhlig(p)

Naxos盤の⑤の譜面の販売サイトから行ける楽譜製作者のサイトには楽曲の解説も載っています。その中に私が前回指摘した「途中で出てくるモーツァルトの“お手をどうぞ”そっくりの主題」についても言及しています。曰く、これはクララに対するメッセージであると。原曲はドン・ジョヴァンニが他人の嫁さんに「あっち行ってイチャつこうぜ」と誘う露骨な愛の歌ですから、クララへの愛のメッセージなのだと。でも、これはちょっとおかしい。⑤⑥⑦のフィナーレにはロマンスというタイトルの原曲があり、Uhlig盤に収録されています。この「お手をどうぞ」もどきの主題はそこでも使われています。ロマンスの作曲年代は1829年ころで、シューマンは19歳。クララとはすでに出会っていますが、まだ9歳。これでは東京都青少年健全育成条例と児童福祉法に違反してしまいます。片想い含めて女性関係はかなり派手なシューマンとはいえ、そこまでのヘンタイ君ではなかったのではないかと思われます。ま、私の勝手な推測では、ロマンスは19歳ころに懸想していた他の女(しかも人妻か?)が狙いで作ったものであって、1836年頃(26歳)になってから障壁満載の恋愛関係にあったクララに思いを伝える曲として、いけしゃあしゃあと昔のネタを引っ張り出して利用した可能性はないとは言えない、と思いますがどうなのでしょう。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(5) 1950年代中期、後期の楽曲

(筆者:高橋智子)

 前回はフェルドマンの図形楽譜による楽曲と同時期に作曲された五線譜による楽曲のいくつかをとりあげた。まばらなテクスチュア、特定の音程の繰り返し、2オクターヴ以上に及ぶ極端な跳躍などを主な特徴としてあげてみたが、彼のこの時期の五線譜の楽曲は謎めいていて、なんとも言い難い。今回は1950年代半ばから後半にかけての作品と、彼の周りに起こった出来事をたどる。

1. ニューヨーク・スクールの離散

 1950年にフェルドマンがケージと同じロウアー・イーストサイドのボザ・マンションに移り住んだことをきっかけに発展した、音楽におけるニューク・スクールのコミュニティは1954年に実にあっさりと終焉を迎える。この年、ボザ・マンションの建物が取り壊されることとなり、フェルドマン、ケージ、カニングハムら、ここの住人たちは引越しを余儀なくされた。フェルドマンとブラウンは引き続きマンハッタンにとどまる一方、ケージはチュードアらとともにマンハッタンから1時間15分ほど離れたロックランド郡ストーニー・ポイントに移り住んだ。ケージらの新たな住まいであるストーニー・ポイントの家はブラック・マウンテン・カレッジ[1]時代からのケージの友人で児童文学作家のヴェラ・ウィリアムズと建築家のポール・ウィリアムズ夫妻が作った芸術家コミューン、ザ・ランド The Landと呼ばれていた[2]。1970年にマンハッタンに戻るまでケージたちはここに住み続けた。フェルドマンはストーニー・ポイントの家にケージを訪ねたことがあるが、視力の悪い彼にとってケージの家に続く急斜面はとても危なかった。このような理由から、フェルドマンがここを訪れたのはたった一度だけだった。[3]このグループの中で一番若い、当時まだ10代だったウォルフはハーヴァード大学で古典文学を学ぶため、やはり彼もマンハッタンを去らなければならなかった。ハーヴァードに進学したウォルフがニューヨークを訪れることができたのは長期休暇に限られていたことから、彼と他のニューヨーク・スクールのメンバーとの直接的な交流も当然ながら以前ほど頻繁にできなくなった。作曲に数学的な思考と方法を用いることに否定的だったフェルドマンと、数学を修めた後にシリンガー・システム[4]による作曲を学んだブラウンとの間に音楽をめぐる諍いがあったものの、ニューヨーク・スクールの離散はバンドの解散理由でよく用いられる「音楽性の違い」ではなく、上記のようなそれぞれの生活や進路の事情で互いに密接に付き合っていた時期の終わりを迎えたのだった。

 後にフェルドマンとブラウンは和解し、1966年にユニヴァーサル・エディションが発行したブラウンの作品カタログにフェルドマンは「アール・ブラウンEarle Brown」と題した文章を寄せている。その中でフェルドマンは自身とブラウンとの音楽家、作曲家としての違いをこのように記している。「私自身とケージによる前衛コミュニティに対する影響は主として哲学的だが、ブラウンによる影響はさらに具体的で実践的だ。 While the influence of Cage and myself on the avant-garde community has been largely philosophical, Brown’s has been more tangible and practical.」[5]1950年代、ブラウンはフェルドマンと同じく新たな記譜法を模索していた。「時間記譜法 time-notation」はブラウンが考案した記譜法とその概念の1つである。時間記譜法では音高、音域、ダイナミクスや演奏法が指定されている。音価に関してはたいていの場合、楽譜上の空間的な長さと配置から読み取って演奏する。このようにして、ブラウンは事前に規定された枠組みの中での柔軟性や曖昧さを実現しようとした。音域と演奏される音の数とタイミングをマス目に記して演奏者を困惑させたフェルドマンの初期の図形楽譜よりも、ブラウンの時間記譜法は、先のフェルドマンの文章の引用にあるように具体的で実践的だといえる。「Music for Cello and Piano」(1955)はブラウンの時間記譜法による最初期の楽曲の1つで、拍子記号は書かれていないが、音価は五線譜に引かれた線の長さから読み取ることができる。チェロとピアノのパートがどのように重なるのかは通常の五線譜と同様に視覚的に把握できる。ブラウンは1967年にアテネで行われた現代音楽祭でフェルドマンの「De Kooning」(1963)を指揮していることからも、ニューヨーク・スクール時代の不和とグループの離散を経てもこの2人の付き合いが続いていたようだ。

Earle Brown/ Music for Cello and Piano (1955)

The Earle Brown Music Foundation
http://www.earle-brown.org/works/view/19

2. やはりなんとも言い難い1950年代中期の楽曲 Three Pieces for Piano(1954)

 ボザ・マンションが取り壊された1954年はフェルドマンの音楽にも変化が見られた年だ。1954年から1957年までの4年間、フェルドマンは即興と混同されがちな図形楽譜での試行錯誤を一旦休止して五線譜による楽曲に専念した。前回とりあげた五線譜によるなんとも言い難いいくつかの楽曲から、半音階的な音高操作、特定の音程(2度と7度、完全5度と4度、完全8度[オクターヴ])の頻出と反復、極端に広い幅での跳躍、散発的なテクスチュアといった1950年代前半の彼の音楽のいくつかの傾向を見出すことができた。基本的に1954年代以降の五線譜による楽曲もこれらの特性を引き継いでいるが、さらなる新たな視点が彼の音楽の理解に必要となってくる。それは音楽的な時間である。あるいはもっと正確にいうならば、その楽曲が内包する時間の特性と、それを演奏者や聴き手として経験する際の特殊な感覚ともいえるだろう。

 フェルドマンの音楽が内包する時間と、この音楽をとおして私たちが経験する時間は従来の音楽的な時間や日常生活の時間とどのような点で異なっているのだろうか。フェルドマンの音楽における時間の特性を探る前に、まずは音楽的な時間についてしばしば用いられる基本的な考え方を参照する。なぜなら、フェルドマンの音楽の時間が今までの音楽における音楽的な時間とどう違い、どの点が特殊で風変わりかを知るには彼の音楽以前の「従来の」または「慣習的な」音楽的な時間の考え方について知る必要があるからだ。やや大局的な話ではあるが、20世紀以降の音楽における時間の特性の解明を試みたKramerは近代西洋社会に根ざす進歩的で合目的な価値観に支えられた線的な時間について次のように述べている。

西洋的な思想は何世紀にも渡って著しく線的だ。原因と結果、進歩、目的志向といた概念が少なくともルネサンス期の人文主義の時代から第一世界大戦までの人間生活のあらゆる側面に浸透してきた。技術、神学、哲学は人間生活を向上させるために追求されてきた。資本主義は少なくとも選ばれし者にとって物質的な向上の枠組みをもたらすために追求されてきた。科学はニュートンとダーウィンによる時間の経過に沿った線的な理論に支配されている。私たちの言語でさえゴールと目的に言及する言葉が幅をきかせている。

Western thought has for several centuries been distinctly linear. Ideas of cause and effect, progress, and goal orientation have pervaded every aspect of human life in the West at least from the Age of Humanism to the First World War. Technologies, theologies, and philosophies have sought to improve human life; capitalism has sought to provide a frame- work for material betterment, at least for the few; science has been dominated by the temporally linear theories of Newton and Darwin; even our languages are pervaded by words that refer to goals and purposes. [6]

 ここで述べられている線的な要素や価値観を音楽に見出そうとするならば、それは西洋芸術音楽の礎ともいえる調性であり、「調性の黄金時代は西洋文化の線的思考の高まりと同期している。Tonality’s golden age coincides with the height of linear thinking in Western culture.」[7]厳密にいうと、調性によってもたらされる動きの感覚はメタファーにすぎず、音楽において実際に動くものとは楽器から発せられる振動と私たちの鼓膜に届く空気の分子である[8]。だが、西洋芸術音楽にある程度親しんでいれば、調性音楽の聴き方を知らず知らずに身につけており、音楽によってもたらされる感覚を前進する動きのメタファーとして認識している。

調性音楽の聴き方を身につけている人々は恒常的な動きを知覚する。それは旋律の中での音の動き、カデンツに向かう和声の動き、リズムと拍子の動き、音量と音色の進行だ。調性音楽は恒常的な緊張状態の変化を扱うので決して静止しない。

People who have learn how to listen to tonal music sense constant motion: motion of tones in a melody, motion of harmonies toward cadences, rhythmic and meter motion, and dynamic and timbral progression. Tonal music is never static because it deals with constant changes of tension.[9]

 旋律の動き、様々なリズム、音色や音量の変化も全てが時間の経過とともに起きる。実際には振動数の差異に過ぎない現象であっても、私たちはこれらの旋律やリズムによる出来事が音楽の中に起きて変化しながら進み、最終的にどこかに落ち着くまでの一連のプロセスを期待している(調性音楽の場合、落ち着きや終わりの感覚はカデンツが担っている)。例えばソナタ形式における展開部や遠隔調への転調など、形式的に予定調和を裏切る出来事が曲の途中に予め仕込まれていることが多いが、それでもほぼ期待を裏切ることなく進み、最終的に落ち着くところに落ち着いて聴き手を安心させてくれる。調性音楽の線的な時間はこのような性格の音楽的な時間と運動の感覚を意味する。だが、無調の音楽とともに線的な時間の感覚が希薄になっていき、どこに行くのかわからない旋律、解決しない和音、規則性を見出すのが難しいリズムによる音楽が20世紀前半頃から現れてくる。これに伴って、線のメタファーで音楽的な時間を語ることが困難になり、円環や点や面のメタファーが音楽的な時間について考える際に用いられるようになる。

 調性音楽の「線的な時間」に対して、Kramerは20世紀の無調以降の音楽における時間の性質をいくつかに分類している。カデンツによる明確な終止感を持たない音楽は「無方向の線的性質 nondirected linearity」[10]による音楽的な時間だ。「複合的な時間 multiple time」[11]は、1つの曲の中にいくつかのプロセスが存在し、それらは目的地を目指すが、その目的地は曲の様々な場所にあるため単一ではない複合的な時間を感じることができる時間を指す。カールハインツ・シュトックハウゼンのモメント形式 Moment formに倣い、独立した断片が起承転結とは違った感覚で始まって止む、あるいは単に起きて休止する時間をKramerは「モメント時間 moment time」[12]とした。進行感覚、志向性、運動それ自体と、いくつかの運動がもたらす対照性の感覚が欠けていて、時間の継続的な推移を遮断する音楽の時間は「垂直的な時間 vertical time」[13]と呼ぶことができる。この垂直的な時間はフェルドマンの音楽にも大いに関係のある概念で、今回とりあげる楽曲のいくつかにも当てはまる。音楽と時間に関する議論では、前進する感覚があまりにも希薄で、茫洋と広がるドローンのような音楽には無時間性という言葉もしばしば使われる。密度の極めて低いテクスチュアや無音の部分が多くを占め、とりたてて何も起こらないのに時間だけは長い音楽や、静謐さを主とする音楽には退屈[14]の概念さえも用いられる。音楽的な時間についての議論は恣意的、主観的、経験的な視点がどうしても入り込んでしまう領域であるが、フェルドマンの音楽のように、何かがおかしいけれどそれが何に起因するのかわからない時や楽譜から読み取れる情報に限界がある場合に参照すると有用な視点であり、音楽を現象として捉える際の一助にもなる考え方だ。

 フェルドマンの音楽に話を戻そう。前回と同じく、ここでとりあげる曲もやはりなんとも言い難い。前回はフェルドマン自身の言説にも度々出てくる「音そのもの」に着目して半音階的な音の操作を探った。ここではまずフェルドマンが散発的なテクスチュアの作風をさらに追求する発端となった「Three Pieces for Piano」(1954)を見ていく。

 「Three Pieces for Piano」の第1曲には1954年3月12日、第2曲には1954年2月、第3曲には1954年10月[15]の日付が記されている。作曲から5年後の1959年3月2日にチュードアのピアノでニューヨーク市のサークル・イン・ザ・スクエア・シアターにて初演された。楽譜はペータース社から1962年に出版された。全3曲とも、この時期のフェルドマンの楽曲に特徴的な演奏指示「ゆっくりと――ほんの少しのペダルかペダルを使わずとても控えめに Slow—very soft with little or no pedal」に即して演奏される。拍子記号は記されていないが、3曲とも1小節あたり16分音符3つ分の音価で揃えられているので3/16拍子と見なすことができる。しかし、後述するように、ここでの3/16拍子の拍子記号と、楽譜に規則正しく引かれた小節線は見方を変えると本来の機能を果たしているとはいえない。

 第1曲は単音を中心としていて、曲中で最も音数の多い19小節目は左手3音、右手3音の計6音からなる和音だが、16分音符1つ分の音価で控えめに打鍵されるため、その密度の高さをそれほど実感できない。右手の最高音が単音で同じ音を反復する箇所が見られるものの(25小節目のG#6と27小節目のG#7、26小節目と28小節目のB4)、それぞれの音は非常に断片的で、フレーズどころか流れや継続性を見出すことが難しい。49-50小節目と53-54小節目に右手がオクターヴでA4とA5を、左手がG3とC4を4音同時に鳴らして曲が終わる。前回、このような曲を表す場合には出来事という言葉が便利だと述べたが、この曲の場合も各々の断片がそれ自体で自己完結した出来事のようにも見える。

 この曲を最もよくわからなくしているのが随所に挿入される全休符の小節、つまり演奏される音が記されていない小節である。この全休符の小節によって、音楽が時間の流れとともに動き、変化を遂げながら発展し、途中で盛り上がりを見せて最後はどこかに落ち着いて終わるという感覚が粉砕されている。この曲は楽譜からは3/16拍子と読み取ることができるが、規則的なリズムの変化はなく、楽譜を見ないで聴いているといつ音が鳴るのか、鳴らないのか、全く予想がつかないので盛り上がるどころか聴き手はむしろ緊張感と不安に襲われる。この曲が内包する音楽的な時間はKramerのいう直線的な時間とは対照的な性質だろう。いつ打鍵されるのかわからない音はそれ自体で完結している刹那的なモメント時間の性質を帯びていると同時に、時間の継続的な推移の感覚を遮断する点で垂直的な時間でもあるといえる。下記に第1曲から3曲までの全休符の挿入を図にまとめた。色のある部分は何かしら音符(装飾音と、音を出さずに打鍵して共鳴させる音も含む)が記されている小節、白い部分は全休符の小節である。出版譜のレイアウトに倣い1段あたりの小節数を6小節とした。

Three Pieces for Piano 音のある小節と全休符の小節

Three Pieces for Piano Ⅰ

123456
789101112
131415161718
192021222324
252627282930
313233343536
373839404142
434445464748
495051525354

Three Pieces for Piano Ⅱ

123456
789101112
131415161718
192021222324
252627282930
313233343536
373839404142
434445464748

Three Pieces for Piano Ⅲ

123456
789101112
131415161718
192021222324
252627282930
313233343536
373839404142
43

 第1曲、第2曲に比べて第3曲は息の長いフレーズが展開されるように見えるが、第3曲も他の2曲同様に断片的な部分が次々と現れるため、実際に聴いていると継続や運動の感覚は希薄である。テンポが遅いので聴き手も演奏者と同じく3/16拍子での32分音符や64音符を正確にカウントできないわけではないものの、自然に音楽の流れに身を任せることのできる3拍子の感覚をこの曲の中でつかむのは簡単ではない。先にも述べたように、この曲では拍子の感覚や小節線がほとんど無効化されているともいえる。規則正しく割り付けられた小節の中に書かれた音符は、全休符に阻まれながらも拍節の感覚を飛び越えようと五線譜の中で試行錯誤しているようだ。

Feldman/ Three Pieces for Piano Ⅰ (1954)
Feldman/ Three Pieces for Piano Ⅱ (1954)
Feldman/ Three Pieces for Piano Ⅲ (1954)

3. 交わらない4つの時間 Piece for 4 Pianos (1957)

 休符に遮られる「Three Pieces for Piano」とは異なり、「Piece for 4 Pianos」は曲の最初から最後まで音が響きわたる。1957年に作曲されたこの曲は同年4月30日にニューヨーク市のカール・フィッシャー・コンサートホールで初演された。この時の4人のピアニストはケージ、ウィリアム・マッセロス、グレーテ・スルタン、チュードア。1962年にペータース社から出版された楽譜には以下のような演奏指示が書いてある。

最初の音は全てのピアノが同時に鳴らす。それぞれの音の持続は演奏者の選択に任せられている。全ての拍はゆっくりだが、必ずしも等しくはない。ダイナミクスは最小限のアタックとともに控えめに。装飾音を速く演奏しすぎてはならない。音と音の間に記された数[16]は休符と同じ意味を持つ。

The first sound with all pianos simultaneously. Durations for each sound are chosen by the performer. All beats are slow and not necessarily equal. Dynamics are low with a minimum of attack. Grace notes should not be played too quickly. Numbers between sounds are equal to silent beats.[17]

Feldman/ Piece for 4 Pianos (1957)
この録音ではフェルドマン自身がピアニストの1人として演奏している。

 フェルドマン自身が清書したと思われる「Piece for 4 Pianos」の出版譜は大譜表5段からなる。上記のとおりテンポは「ゆっくり」以外は明示されていない。拍子記号、小節線も記されていない。ピアノ1、ピアノ2といったパート配分はなく、4人の演奏者全員が同じ楽譜を見て演奏する。装飾音が付された音符と符桁(ふこう:音符と音符をつなぐ桁の部分)でつなげられた音符以外は符尾が記されておらず、音価の不確定な楽譜である。符桁でつなげられた数音のまとまりも1つの音あるいは和音と見なして曲中に現れる音の出来事を数えると全部で62となる。途中で何度か挿入されるフェルマータが曲のいくつかの部分に区切る役割を持っている。このフェルマータは音符だけでなく、何も書かれていない箇所(通常の五線譜では全休符の小節に値する)にも記されており、フェルマータ fermataの本来の意味である「停止」や「休止」に近い用いられ方である(現在、楽典の教科書等ではフェルマータは「その音を十分に長くのばす」と記されていることが多い)。フェルマータをもとにしてこの曲を区切ると5つの部分に分割することができるが、4人の奏者がそれぞれのペースで演奏を進めるため、全休符に値する箇所でのフェルマータであっても完全な無音の状態にはならない。

 曲の中で用いられている音の音高に注目してみると、音の垂直の重なり、つまり和音を形成する音の音程は2度と7度、完全4度と完全5度、増減4度と5度、完全8度(オクターヴ)が頻出する。これらは和音の外声部(その和音を縁取る最高音と最低音)として、あるいは14-18までのDのようにユニゾンで配置されていて、この曲の中でも比較的聴き取りやすい特徴的な音程でもある。ただし、曲が進むにつれて前後の音が混ざり合うため、楽譜を見ながら聴いていてもどの部分が演奏されているのかを特定するのはあまり簡単ではない。

Piece for 4 Pianos 音の一覧

 表の1段目は各音(断片、出来事と呼んでもあるいはよいだろう)の通し番号。2段目は右手、3段目は左手に記された音高。ピアノの鍵盤の真ん中にあたるCをC4とし、音名とともに記された数字は音域を表す。

セクション1

12345678910
G4, A5E4, B4G4, A5E4, B4G4, A5E4, B4G4, A♭5G4, A♭5G4, A♭5G4, A♭5
B♭2B2, F#3, G3B♭2B2, F#3, G3B♭2B2, F#3, G3C4C4C4C4
111213 fermata
C5, C6D5, E♭6 
B0D#3, E3F#2  

セクション2

141516171819202122 fermata23
D5, D6D5, D6D5, D6D5, D6D5, D6 A5B♭3  B♭3C6
D4D4D4D4D4C3F#2   
fermata ×3

セクション3

242526 fermata2728fermata ×4
E6, C7F4, A♭4, E5 C6C5
D#3, A#3A3F#1 E♭2

セクション4

2930313233343536
D#5, D#6F4, G7A5A5A5E♭4, F#5, C#7G#3, E♭6, G5, B3E4, G5
E1, B1 A3A3A3F1, F4, E♭1B♭1F3
3738394041424344
C#6E5, E♭6A#4, C#6E♭5, G5, B5, E7F4, D#5G#5 B♭6, G#4
G#4, A4G#3, A3G#2, B3F#3, C#4, D4A#2, C#3, E3G#3E♭2A3

セクション5

4546474849505152
C5, B3E♭5C5, B3E♭5C5, B3E♭5C5, B3E♭5
D♭2, D♭2, D♭2, D♭2, 
5354fermata ×355fermata ×2
C5, B3E♭5A5
D♭2,  
56575859fermatafermata6061 fermata
A3A4B3, C4, D4F7E5, E6E4, G4, B♭4, F#5
E♭3D♭3G♭2, F3B3F#2, B♭2, D♭3, A3A♭2, C#3, E♭3, G3
62 fermata
 
E2

 前回とりあげた「Piece for Piano 1952」同様、この曲も個々の音の響きの特性を活かす曲である。余計な手を加えずにその音が持つ響きの特性を最大限に発揮させようとする手法はフェルドマンの「音そのもの」を追求する態度を反映している。特に音価の定まっていない自由な持続の楽曲の場合、フェルドマンは個々の音を旋律のようなまとまりを形成する際の部分として見なさず、音の響き自体が楽曲を生成する方法を試みている。フェルドマンはこの考え方と手法を実際に自分の教え子にも説いていたようだ。作曲家のトム・ジョンソンは60年代後半に作曲のレッスンのためフェルドマンのもとに通っていた当時の出来事について書いている。ある時、フェルドマンは彼に「トム、提案がある。しばらく曲を書くな。和声をじっと聴き、それについてただ考えるのだ。そして、和音をいくつか集めて持ってくるのだ。”Tom, I have a suggestion. Don’t write any music for a while. Just listen to harmonies and think about them, and bring me a little collection of chords.”」[18]この課題を出されてからジョンソンは毎日のように試行錯誤を重ねるが、彼が見つけた和音はフェルドマンやストラヴィンスキーや他の作曲家の音楽のように聴こえるものばかりだった。[19]それから2、3週間後にジョンソンは7つの和音を書いてフェルドマンのもとに持って行った。この時書いた7つの和音をもとに、1969年にジョンソンはピアノ曲「Spaces」を作曲している。

それらの和音は全部似たような響きだったが、私は全部気に入っていたし、これを上回る解決策はもう見つからなかった。いささか慄きながらも和音をフェルドマンに見せた。彼はこれらの和音を様々な組み合わせで10回以上弾き、しっかりと聴いていた。それは彼のいつものやり方で、私にも求められているやり方でもあった。最後に彼は視線を上げてこう言った。「悪くないね。これは本当にあなたの音楽だ。あなたはこの小さな練習から多くを学んだのです。」フェルドマンは決して生徒を落胆させなかったが、ほめることもめったになかったので、ここでの彼の肯定的な反応は私にとってはとても意義深かった。

They all sounded similar, but I liked them all, and I couldn’t find any better solution. With some trepidation, I showed my chords to Feldman, who played them over about 10 times in different combinations, really listening, the way he always did, and the way he wanted me to. Finally he looked up and said, “You know, that’s not bad. This is really your music. I think you learned a lot from this little exercise.” Feldman was never discouraging, but he did not pass along compliments very often either, and his positive reaction here was very meaningful to me.[20]

Tom Jonson/ Spaces (1969)

 ジョンソンとのレッスンの中でフェルドマンが様々な配置で和音を10回以上弾きながら吟味する光景は、おそらく「Piece for 4 Pianos」のような音の響きに根ざした曲を作曲する際にも見られたはずだ。フェルドマンの楽曲全体にいえることだが、実際に楽譜を詳細に分析していくと特定の音や音程の強調や、音域やパート間の均衡を取るといった操作が行われていることはこれまでこの連載でも何度か指摘してきた。しかし、上記のエピソードから、フェルドマンの作曲にはやはり直感と身体的な感覚も多くを占めているのだと考えられる。作曲の際にピアノを用いていたフェルドマンにとって、ピアノから発せられる音を聴く聴覚と同じくらい、打鍵する時のタッチも音楽の命運を握るほど大事な要素だったのだろう。楽譜上で音価を明確に規定しないでおけば音のアタックと減衰を成り行きに任せることもできる。「Piece for 4 Pianos」はひとたび放たれた音の成り行きを無理に制御しない、邪魔しない音楽だともいえる。しかも4人の奏者がそれぞれのペースで演奏するため、そこには4つの交わらない時間が並存している。この独特の時間を創出するには、どのように演奏すればよいのだろうか。フェルドマンは次のように答えている。

聴かなければうまくいく。多くの人が耳を傾けがちで、そうすればより効果的な時間に入っていけると思っているのだと私は気付いた。だが、この曲の精神は単に効果的な何かを創出することではない。その音を聴き、それを自分自身の参照点の中でできるだけ自然に、美しく演奏するだけでよい。もしも他の演奏者の音を聴いているならば、この曲のリズムも凡庸になってしまう。

It works better if you don’t listen. I noticed that a lot of people would listen and feel that they could come in at a more effective time. But the spirit of the piece is not to make it just something effective. You’re just to listen to the sounds and play it as naturally and as beautifully as you can within your own references. If you’re listening to the other performers then the piece tends also to become rhythmically conventional.[21]

 もしもお互いを聴きながら演奏すると通常のアンサンブルの楽曲のようになんらかの周期性を持った慣習的なリズムが生まれてしまう。それを避けるために、フェルドマンは4人の演奏者に各自のペースで演奏させた。

 フェルドマンがピアニストとして参加している録音(上記のYouTube音源参照)での演奏時間が7分25秒であることから、テンポも音価も具体的に指定されていないこの曲のおおよその演奏方法が推測できる。出だしの和音は4人全員が揃って弾き、それ以降はそれぞれのペースで次の音に移るため、楽譜にその音が1度しか記されていなくても時間差でその音が4回鳴らされる。例えば、14-18の音の部分ではD4(装飾音)、D5(装飾音)、D6からなるユニゾンとしてDが5回書かれているので、これを4人の奏者がそれぞれ演奏すると全部で20回Dの音が聴こえてくることになる。録音では56秒前後からこの部分が始まる。時間がある人はDがどのように鳴らされているのかDを20回数えながら聴いてみてほしい。さらに余裕があれば、途中から前後の音がどのように混ざっているのかにも注意して聴いてみてほしい。56秒前後からの約40秒間はこの曲の中でも最も不思議な時間を感じられる部分のはずだ。ここでは同じ音が矢継ぎ早に不規則な間隔で鳴らされるため、時間が戻っているのか進んでいるのか、あるいは止まっているのかわからない。この曲でフェルドマンがテープ音楽の方法を参照していた可能性は極めて低いが(1954年にケージ、ブラウンとともにフェルドマン唯一のテープ作品「Intersection for Magnetic Tape」を作った時も乗り気ではなかった[22])、ここで聴こえる音響的な効果はテープを狭い範囲で何度も巻き戻して再生させたものと似ている。時間差で同じ楽譜を演奏するという極めて単純な方法であるものの、「Piece for 4 Pianos」は直線的な時間とは明らかに異なる時間を創出している。Kramerによる分類に倣うならば、この曲には音が打鍵されるたびに時間がリセットされるモメント時間と、運動や志向性の希薄な垂直時間の性質を帯びていて直線的な時間とは明らかに異なっている。4人の奏者がそれぞれのペースで演奏する点で、この曲では複数の独立した時間が展開されるといってもよい。

 複数の演奏者が同じスコアを見て演奏するが、曲を進めるペースが各演奏者に委ねられている曲としてフェルドマンの「Piece for 4 Pianos」よりもはるかによく知られているのがテリー・ライリーの「In C」である。この曲は「Piece for 4 Pianos」の7年後、1964年に作曲、初演された。「In C」は53からなる各モジュールの反復回数が基本的に奏者の任意とされているので複数のモジュールが混ざり合う。「(互いの音を)聴かない方がうまくいく」フェルドマンの場合と異なり、アンサンブルによって得られる音楽的な効果を重視したこの曲では、少なくとも1回か2回はユニゾンの状態を作り出すことが望ましいとされ[23]、他の演奏家を完全に無視して自分の演奏だけに集中することは認められていない。[24]どちらの曲も演奏者がそれぞれのペースで同じ楽譜を演奏する点で共通しているが、フェルドマンの「Piece for 4 Pianos」では4人の演奏者による息のあった共同作業はまったく求められておらず、彼らはむしろ孤独を追求しなければならない。

Terry Riley/ In C(1964)

色々な編成による録音があるが、1968年のコロンビアからリリースされたレコードがこの曲の初録音。ライリーはサックスで参加している。

In Cスコア https://nmbx.newmusicusa.org/terry-rileys-in-c/

 フェルドマンの音楽における時間の感覚と概念は「Piece for 4 Pianos」以降も変化すると同時に、彼の創作に付いて回る重要な事柄である。1960年から始まる符尾のない音符のみによって構成された「Durations」シリーズや「Vertical Thoughts」シリーズといった持続の自由な楽譜による楽曲は、線的な時間の感覚から完全に隔絶された独特の時間の感覚を持っている。1970年代後半から始まる長大な作品もフェルドマンの音楽における独特の時間の感覚に基づいている。時間とともに移ろい、展開する音楽は時間芸術の1つとされているが、フェルドマンの音楽における時間は展開も発展もないことが多いので、従来の考え方を疑うところから始めなくてはならない。今回はそのほんの始まりの部分に触れたに過ぎず、時間の問題はこの連載でこれからも言及する。

4 久しぶりの図形楽譜「Ixion」(1958)

 1953年からの数年間、五線譜の作品に専念していたフェルドマンだが(とはいえ上述の「Piece for 4 Pianos」のように風変わりな五線譜も書いていた)、1958年の「Ixion」をきっかけにして図形楽譜を再開させる。その主な理由をClineは次のように論じている。1つは彼の周りの作曲家たちが不確定性の音楽と図形楽譜に関心を持つようになったことだ。[25]既にケージは「Water Music」(1952)、「Music for Piano 1」(1952)、「Music for Piano 2」(1953)など不確定性や図形楽譜による曲を書いていたが、1957年の「Winter Music」(1957)と「Concert for Piano and Orchestra」(1957-58)でより革新的な方向へと発展する。[26]フェルドマンの創作における精神的支柱の1人でもあったエドガー・ヴァレーズは1957年頃に突然ジャズに目覚めてオクテットによるセッションのための図形楽譜を書いてミュージシャンに配り、ブラウンの主催でそれを実際に演奏するワークショップを行った。[27]アメリカ以外での不確定性や図形楽譜への関心の高まりは、1954年と1956年にチュードアがヨーロッパ・ツアーに出てニューヨーク・スクールのメンバーの作品を演奏したことに起因する。フェルドマンは1950年12月に既に図形楽譜のアイディアをスケッチし、1953年には演奏上の様々な問題を解決できなまま図形楽譜をやめてしまっていたが、その間の世の中の趨勢は彼とは逆の方向に流れていたのだった。

John Cage/ Concert for Piano and Orchestra (1957-58)
Edgard Varèse/ Jazz Workshop (1957)

 もう1つの理由はマース・カニングハムからの音楽の依頼だった。1958年、カニングハムは新しいダンス作品「Summerspace」の音楽をフェルドマンに依頼する。この新作ダンスの舞台美術と衣装はロバート・ラウシェンバーグが手がけた。

Summerspace概要
https://dancecapsules.mercecunningham.org/overview.cfm?capid=46033

Summerspace 2001年に行われた上演の様子 ここでの音楽は2台ピアノ版。
https://dancecapsules.mercecunningham.org/player.cfm?capid=46033&assetid=5702&storeitemid=8832&assetnamenoop=Summerspace+%282008+Atlas+film%29+

Feldman/ Ixion (Ensemble version) (1958)

 マース・カニングハム・ダンスカンパニーのメンバーで、当時ブラウンと結婚していたキャロライン・ブラウンは「Summerspace」初演時の苦労を次のように語っている。「(「Summerspace」は)当時の自分にとって極めて難しい演目だった。—ほとんどがターン、ターンの連続で、私の大嫌いなものばかり!彼(カニングハム)はゆっくりとしたターン、すばやいターン、ジャンプしながらのターン、崩れ落ちるターン、ターンの複雑な組み合わせを私に振り付けした。… for me at that time, extremely difficult material—mostly turns, turns, my bete noire! He gave me slow turns, fast turns, jumping turns, turns ending in falls, and complex combinations of turns.」[28]彼女の回想からわかるように、このダンスではターンの動きが重要視されていた。だが、舞台美術と音楽はダンスの動きに呼応していなかった。

 ラウシェンバーグの舞台美術と衣装は「点描的 pointilistic」なイメージで着想された。6人のダンサーはラウシェンバーグが製作した大きなキャンヴァスによる舞台美術と同じ点描的な柄の衣装を着て踊る。舞台美術とダンサーたちの衣装を同じ柄にすることで、彼らの舞台上の存在がカムフラージュされる効果を生む。「点描的」というイメージを伝えられていたフェルドマンは五線譜ではなくて図形楽譜での作曲を選んだ。これを機にフェルドマンは約5年ぶりに図形楽譜での作曲にとりかかる。

 「Ixion」には2つの版があり、1958年8月17日にコネティカット州ニュー・ロンドンでのアメリカン・ダンス・フェルティヴァルで「Summerspace」が初演された際は13から19の奏者によるアンサンブル版が演奏された。アンサンブル版の編成はフルート3、クラリネット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ピアノ、チェロ3から7、コントラバス2から4。1960年の再演時には2台ピアノ版がケージとチュードアによって演奏されている。現在、このダンスが上演される際は2台ピアノ版が使用されることが多いようだ。テンポは1つのマス目あたり、当初およそ♩=92が指定されていたが[29]、カニングハムのダンスが15分から20分程度の時間を要するため、実際の演奏の際にはこれより遅いテンポで演奏するか、ある特定の箇所を繰り返すこともあった。

 この曲の楽譜には「Projection」(1950-51)シリーズ、「Intersection」シリーズ(1951-53)などの初期の図形楽譜と同じく、グラフ用紙のマス目に演奏される音の数が書かれている。初期の図形楽譜の楽曲の大半において高・中・低の音域の分布と各パートの分布の均衡が保たれた全面的なアプローチがなされていたが、「Ixion」では中間の短い部分と終結部を除いて全てのパートが高音域のみで演奏するよう指定されている。だが、初期の図形楽譜同様、具体的な音高の決定は奏者に委ねられている。音域を高音域に限定することで演奏者の選択肢が狭まる。こうすることで、理屈上、作曲家が理想とする音響を実現する可能性が高まる。このような演奏者に対する選択肢の限定はフェルドマンの初期の図形楽譜に見られた即興音楽との誤解や、演奏に演奏家の手癖やパターンが反映されることを回避するために取られた策ともいえる。音域を高音域に限定することの利点として、全てのパートが比較的スムーズに1つのテクスチュアを作ることが挙げられる。楽器による音色の違いはあるものの、様々な音色と音域が一緒くたになった初期の図形楽譜の楽曲よりも、音の響きに統一感がもたらされる。

 「Ixion」ではラウシェンバーグの点描的な舞台セットと衣装と同じく、音楽でも点描的な効果を狙っている。「Projection」シリーズもどちらかというと点描的な音楽だが、それぞれの音がはっきりと独立している自己完結した点の集まりだ。対して「Ixion」の場合は個々の点(それぞれのパートの音色)が重なったり、これらの音の境界を曖昧にして混ざりあったような効果を創出する意味での点描的な効果を生み出している。ラウシェンバーグの舞台美術とフェルドマンの音楽はともに遠目に見た時、あるいは聴いた時に1つのテクスチュアが浮かび上がる効果を狙っていたのだろう。

 「Ixion」でも演奏に際して困難が生じる。アンサンブル版の場合、単音楽器である管楽器のパートに7と記されていれば、非常に素早く任意の7音をマス目に収まるように演奏しないといけない。これによって回転するような素早いパッセージが達成できる。ピアノは和音やグリッサンドで即座に対応できるが、単音楽器の場合は演奏の難易度が上がる。当時のフェルドマンは管楽器の事情をそれほど深く考慮しなかった可能性があり、ホルンのパートの1マスに7、トランペットのパートの1マスに10と記されている箇所がある。アンサンブル版で行われた1958年の初演時には、やはり演奏者がこの楽譜に当惑したため、急遽ケージが五線譜に書き直した。ケージはその時の様子を「この楽譜を慣習的な方法に――覚えている?4分音符に――書き換えた。それはこの曲のあらましではなくて、演奏者たちがすぐに演奏できるようにするためだった。I translate it into something conventional—with quarter notes, you remember? —which was not what the piece was but which permitted the musicians to quickly play it.」[30]と語っている。チュードアが「Intersection 2」(1951)、「Intersection 3」(1953)を五線譜に書き換えて演奏したように、「Ixion」においても最終的には演奏の際に五線譜への書き換えが行われたのだが、この曲をきっかけにフェルドマンは図形楽譜の作曲を再開した。だが、これ以降のフェルドマンの図形楽譜には変化が見られ、例えば「… Out of ‘Last Pieces’」(1961)では図形楽譜と五線譜を組み合わせることによって演奏の際の曖昧さを少しでも減らす工夫がなされている。

 1954年からの五線譜による楽曲ではフェルドマンは従来のリズムや拍子とは異なる感覚の音楽を創出する一歩を踏み出したといってもよいだろう。「Piece for 4 Pianos」では音価を不確定にして演奏者に裁量を与える一方、1958年以降の図形楽譜は1950年から1953年までの図形楽譜と比べて記譜にやや具体性が帯び、奏者の選択の幅を狭めている。フェルドマンの楽曲の変遷は記譜法の変化と連動していることは初回に述べたとおりだ。次回とりあげる予定の1960年からの楽曲にはどのような変化が見られるのだろうか。


[1] Black Mountain Collage Museum + Arts Center http://www.blackmountaincollege.org/
[2] John Cage’s Stony Point House https://greg.org/archive/2017/05/03/john-cages-stony-point-house.html
[3] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 262
[4] 作曲家で理論家のジョゼフ・シリンガーが考案した作曲法。音価などのパラメータを数値化して作曲に援用する。Josph Schillinger Society https://www.schillingersociety.com/
[5] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 43
[6] Jonathan D. Kramer, “New Temporalities in Music,” in Critical Inquiry, Spring, 1981, Vol. 7, No. 3 (Spring, 1981), p. 539
[7] Ibid., p. 539
[8] Ibid., p. 539
[9] Ibid., pp. 539-540
[10] Ibid., p. 542
[11] Ibid., p. 545
[12] Ibid., pp. 546-547
[13] Ibid., p. 549
[14] Elidritch Priest, Boring Formless Nonsense: Experimental Music and the Aesthetics of Failure, : NY: Bloomsbury Academic, 2003 はこの本のタイトルが示す特性を持つ楽曲や音楽実践を例に、聴取や音楽的な時間の問題を論じている。
[15] Morton Feldman: Solo Piano Works 1950-64, Edition C. F. Peters, No. 67976, 1998. Volker Straebelによる巻末の校訂報告より。
[16] フェルマータの下に数字が記されている。
[17] Morton Feldman, Pieace for 4 Pianos, 1962, C.F. Peters Corp., 1962.
[18] Tom Johnson, “Introduction to “Spaces,”” in March, 1994 https://www.cnvill.net/mftomj1.htm
[19] Ibid.
[20] Ibid.
[21] Feldman 2006, op. cit., p. 88
[22] David Cline, The Graph Music of Morton Feldman, Cambridge: Cambridge University Press, 2016, pp. 45-46
[23] Keith Potter, Four Musical Minimalists: La Monte Young, Terry Riley, Steve Reich, Philip Glass, Cambridge: Cambridge University Press, 2000, p. 112
[24] Ibid., p. 113
[25] Cline 2016, op. ct., p. 48
[26] Ibid., p. 48
[27] ヴァレーズのジャズへの関心と彼の図形楽譜についてはOlivia Mattis, “The Physical and the Abstract: Varèse and the New York School,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, pp. 57-74に詳述されている。
[28] Caroline Brown, Chance and Circumstance: Twenty Years with Cage and Cunningham, New York: Alfred A. Knopf, 2007, p. 217
[29] アンサンブル版の演奏の際、ケージは曲中のセクションごとにテンポを変える、特定の箇所を繰り返すなどしてダンスの時間の長さと合わせていた。Cline 2016, op. cit., p. 215
[30] John Cage and Morton Feldman, Radio Happenings Ⅰ-Ⅴ, Köln: Edition Musik Texte, 1993, p. 181

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は9月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (17) 弾いてはいけない旋律 ~Google様ありがとう2~

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983 CD30 Orchestra Hall, Chicago April 8, 1979 SONY CLASSICAL
LUISADA SCHUMANN Jean-Marc Luisada(p) RCA SICC 19025 2018年 ほか

(イントロは稲川淳二調でお読みください) みなさん、この世には、“弾いてはいけない旋律”があるのをご存知でしょうか。おそろしい、おそろしい山の神によって封じられた禁断の旋律。旋律はね、確かにそこに書かれてるんですよ。誰にだって見えるんですよ。でも弾いてはいけない。弾いてはいけないんです。弾けば、山の神のお怒りが……アァ、おそろしい、おそろしい。今日はですね、そんなお話です。

さて、弾いてはいけない旋律が存在するのは、シューマンのフモレスケop.20です。この曲の楽譜を観ずに演奏を聴いた人が、その旋律に気付くことは、10-6.5÷58×10≒9割がたありません(数式の根拠は後述)。では気づく1割はどういう場合か。それは禁を犯し、山の神の戒めに背いた猛者たちのプレイに運よく巡り合った場合のみです。

弾いてはいけない旋律のせいでしょうか。シューマンのフモレスケ op.20は「シューマンのピアノ曲の中でも優れた作品の一つ(ピティナ・ピアノ曲事典)」と言われる割には国内版の楽譜が全音からも音楽之友社からも出ていません。かろうじて春秋社のシューマン集の第4巻に収められている程度です。この旋律の存在に気付かせないようにしているのでしょうか。あぁ、おそろしや、おそろしや。

R. Schumann – Humoreske

さて、フモレスケの構成はWikipediaに従えば7つの部分からなります。このうちの第2部 「Hastig(性急に) ト短調、4分の2拍子」の譜面を観ると、通常のピアノの2段楽譜の真ん中にもう一段、(Innere Stimme)と書かれた旋律があります。Innere Stimmeとは「内なる声」。これが「弾いてはいけない旋律」なのです。ただし、この旋律をどう扱うかはシューマン自身は何の指示も残していません。春秋社から出ている井口基成版の譜面には「この“Innere Stimme”ということころは実際には弾かれない。しかし演奏者は音列の動きの中にこの声を感じとっていなければならない」と注釈があります。では「弾いてはいけない」とは誰の戒めなのか。ヘンレ版楽譜の解説にそれは記されています。1883年にシューマンの山の神クララがフモレスケについて書いた手紙。要約すれば「この旋律を弾いてはいけないわ。感じるのよ。夫だってそう思っていたに違いないわ。」 つまり、この旋律は、

Don‘t Play, Feeeeeel !! 

なのです。この旋律を弾くことは、クララ神の逆鱗に触れるのです。弾かずに感じるものなのです。

でも、この旋律、いくら演奏者が Feeeeeel !!してても聴き手にその存在が伝わるのでしょうか。よく見るとタイがあったりスラーがあったり休符があったりします。確かに右手の細かな音型の中からInnere Stimmeの音を拾うことは出来ますが、タイ、スラー、休符は無理のような気がします。では実際の演奏はどうか。ここで第7回に続いてGoogle Play Music(GPM)様の登場です。GPMで「Schumann Humoreske Hastig」で検索すると58種類の演奏が出てきます。

分類演奏者名(GPMの表記のまま)人数
「内なる声」弾かず (Feeeeelは困難)Weiss、グリーンバーグ、アシュケナージ、ルプー、クエルティ、Ghraichy、ジョルダーノ、Carbonel、Ohmen、Fröschl、アラウ、W.ケンプ、コロンボ、ダルベルト、アックス、Ciocarlie、Fejérvári、Cantos、ロス、Golovko、Kano、ローズ、クーパー、Yang、カテーナ、フランクル、デームス、河村、Beenhouwer、Ehward、Cai、Lin、Cognet、ゴンサレス、ゴラブ、ル・サージュ、マルティ、Collins、Maltempo、Horn、Cheng、Granjon、F.ケンプ、Liao、Cha、Baytelman、アンデルジェフスキ、ベルンエイム、Gamba、ジョルダーノ、Laloum51
「内なる声」の一部分だけを弾くHorowitz
「内なる声」を弾いてしまうリヒテル、クイケン、Gorbunova、ルイサダ、シュミット、メルレ

山の神クララが「弾くな」と言っているのに弾いちゃってる人、いますねぇ。しかも大物まで。

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983

この中ではやはりというか流石がHorowitz(録音はライブで3種類)。彼は「内なる声」の出だしの一部だけを弾き、「あれれ?もう一つ旋律がありそでなさそでなんだろな???」という状況を創り上げます。これなら聴き手も多少Feeeeel!できるかもしれません。見事な演出法です。特に1979年4月8日のライブで弾いた際は、1回目は「内なる声」を少し弾くものの、繰り返しの際はほとんど弾かないというニクい演出もしてきます。この“繰り返しでは弾かない”はこの日の演奏だけで、その直後の2回の演奏会では繰り返しでも「内なる声」を部分演奏します。ただ、Horowitzは「内なる声」の後半の休符のところに音符を付け加えて旋律線を創ってしまうということもします。ですので、譜面に書かれた「内なる声」を完全に感じ取るのは不可能でしょう。ですので「内なる声に気付く計算式」でHorowitzは0.5カウント。GPM上の58人の演奏で、0.5+6=6.5人が「内なる声」を奏でるので先述の計算式となります。

LUISADA SCHUMANN
Jean-Marc Luisada(p)

さて、完全に弾いちゃった6人の中で「内なる声」を最も綺麗に歌わせてるのがルイサダ(新録)です。時折、旋律を鳴らすタイミングを拍子から微妙にずらしたりして「内なる声」を情感豊かに際立たせます。タイやスラーや休符もきちんと表現しています。聴き手もこの演奏で初めてシューマンの書いた「内なる声」の実態がわかるのです。山の神が何と言おうが、作曲家が書き込んだ音符をきちんと伝えるんだという決意が伝わってきます。シュミットもメルレもGorbunovaも同様に弾いてはいますが、ルイサダの方が「内なる声」の扱いが丁寧と思います。リヒテルはまさにHastig(性急に)といった感じでこの第2部に挑み、高速フレーズをバックに「内なる声」を打ち響かせます。でも「内なる声」の表出具合としてはちょっと荒いかなぁ。右手の高速フレーズが内なる声と同じ音を叩くときの音が大きすぎて、「内なる声」が付点付きのポップな旋律に聴こえてしまうところが多々あります。まぁ他者と比べて圧倒的にテンポが速くて勢いがあるので仕方ないのかもしれません。もっとも奇妙な演奏は、年代物のピアノフォルテで演奏したピート・クイケン盤。何度聴いても連弾に聞こえます。フモレスケの他の部分の演奏ではこんな聴こえ方はしないので偶然かとは思いますが、この書法が作曲当時のピアノなら醸せた効果だったとしたら、それはそれで面白いことかもしれません。

弾いてはいけない、と言われてすごすご引き下がるようではいけません。他の奴が弾かないなら俺が弾く、俺のピアノでFeeeeeel!!!させてやる。人前で芸をする人はそれくらいの根性が必要です。なお、何の予備知識もなしにこの譜面を見ると「Innere Stimme」は“単なる内声の旋律”に見えるので、ただ素直に弾いちゃった人も6人の中に含まれているような気がしますが、ま、そこは気にしないで行きましょう。

(補記)

  1. 弾いていない58人の中に細かく動く右手のフレーズから「内なる声」を出そうとしたのではないかと思わせる人は何人かいます。たとえばFilippo Gambaとか。しかし、タイや休符含めて感じさせようとした、までは行っていない気がします。
  2. 諸々の引用は文中に記してあります
  3. 井口基成版の注釈の出典はわかりません。クララの手紙は未公開資料だったので、井口が知っていた可能性はあまり高くない気がします。井口本人の解釈の可能性もありますが、詳細不明です。
  4. ありがたいGoogle Play Music様はまもなくサービスが終了します。どうやらYouTubeに吸収合併されるようです。使い勝手が落ちて欲しくないなぁ。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (16) アメリカ巡業万歳 ~100年の時を超えて~

Anton Rubinstein  Marius van Paassen(p) ATTACCA Babel 8741-4 1988年頃
Live at Carnegie Hall Wibi Soerjadi(p) PHILIPS 456-247-2 1997年

19世紀ロシアの大ピアニストにして作曲家アントン・ルビンシテインのop.93は、「色々な作品集」と題され、おそらくは書き溜めていた大小さまざまな24曲が寄せ集められています。この中に1曲、桁外れに規模が大きく、全曲演奏すると30分近くかかる大変奏曲があります。その名も「Variations sur l’air Yankee Doodle」。和訳しましょう、「アルプス一万尺による変奏曲」です。楽譜はIMSLPにありますのでご覧いただければと思いますが、荘重な序奏に続く主題、そして40くらいの変奏からなる力作です。

作曲のきっかけは1872年のアントン・ルビンシテイン・アメリカ大巡業でした。この時の演奏旅行は8か月に及び、演奏会の数はなんと215回。8か月と言うと240日くらいですから、連投に次ぐ連投の地獄の“営業”だったと思われます。しかし、おかげでしこたま儲けたそうで、帰国後に現地で聴いたメロディを基に気をよくして書いたとされるのがこの変奏曲です。変奏曲というわりには、主題があまり崩されずに繰り返し出てきます。かなりの時間「アルプス一万尺」のてんこ盛りとなります。これが実はなかなかにキツい。

【キツいとこその1】

日本人にはこの曲は「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを踊りましょう」の歌詞が幼時体験的に染みついています。なのでメロディが聴こえるたびに呪文のように歌詞が脳内に木霊し、アルペン踊りを踊りたくなります(*1)。さらに筆者の場合はもっと深刻で、昭和3年生まれの父親が酔っぱらうと「どうせやるなら でっかいことやろう 奈良の大仏 屁で飛ばそう」と歌っていたものですから、大量放屁誘発音楽にしか聴こえません。前述したように変奏曲のくせにメロディーが温存されて繰り返し出てきます。キツいです。さらにこれらの歌詞に続く部分は「らんららんららんらんらん」ですから、脳内御花畑が満開咲き乱れとなります。とてもキツいです。ちなみにWikipediaによれば原詞もあまりろくな内容ではありません。

【キツいとこその2】

かように人口に膾炙されまくった脳天気快晴音楽なので、この曲を人前で弾くこともさることながら、練習することすら……恥ずかしい……感じになります。とはいえアントン・ルビンシテインの作品ですから結構難しいのです。なのにアルペン踊り(筆者は大量放屁)の連呼ですから、「いいのか俺、こんなことしていて本当にいいのか、もっと他にやるべきことがあるのではないか」と、レパートリーにしようと思った自己嫌悪との戦いがピアニストの前に立ちはだかります。ここまでピアニストにその在り方を迫る難曲は、グレインジャー編曲のチャイコフスキーのピアノ協奏曲独奏版(序奏部だけで見事終了)、クルサノフ編曲の「渚のアデリーヌ」くらいかも知れません。

Anton Rubinstein
Marius van Paassen(p)

かような困難を克服し(?)、1987年にこの曲を録音したのはオランダのピアニスト、Marius van Paassenです。デビューアルバム「20世紀音楽の中の動物たち」が即完売になった経歴を持ち、最近は自作曲のアルバムなどを出しているようです。1986年にルビンシテイン作品のコンサートを開き、翌年このアルバムを録音します。Paassen氏はその間1年以上アルペン踊りを踊り続けたと思われます。さすがのPaassen氏もこの曲の指示する繰り返しはすべては行いません。全曲を23分30秒で弾いていますが、もし原曲の繰り返しをすべて行っていたら30分程度になったと思われます。だって、無理ですよ、この曲……らんららんららんらんらん……ですからねぇ。ともあれ、よくぞ、ここまでやってくれたものです。

Live at Carnegie Hall
Wibi Soerjadi(p)

さて、アメリカ巡業から帰国後の作曲なので、ルビンシテイン本人はこの長大変奏曲をアメリカでは弾いていないと思われます。では、こんな感じの曲をアメリカ人の前で弾いたらどんなリアクションになったのか。それを彷彿とさせるアルバムがあります。Paassenと同じオランダのピアニスト、Wibi Soerjadiがルビンシテインのツアーからおよそ120年後の1996年11月22日にカーネギーホールで開いたコンサートのライブ盤です。Soerjadiは19世紀以来の伝統に則り、その場のお客さんにウケそうな曲、たとえば人気ミュージカルナンバー、映画音楽などを豪華絢爛なピアノ曲に仕立てて弾くことを“お約束”にしています。で、この日のコンサートのラストを飾ったのが、Soerjadi自作の「アメリカ幻想曲(*2)」。盛大なアルペジオとオクターブ進行でアメリカの楽曲をド派手に飾り付けた7分弱のお見事お馬鹿ピアノショーピースです。当然この日の演奏会のラストの出し物。19世紀ッぽい盛り上がるイントロに続いて「星条旗よ永遠なれ(国歌の方)」がブ厚い和音と駆け巡るアルペジオで始まると、会場からはやんややんやの歓声と大拍手! その後、アメリカの古典的人気ナンバーが次々と出て、ラスト2分くらいは、いよっ、待ってましたぁ!「Yankee Doodle(アルプス一万尺)」のオンパレード!あの手この手でアルペン踊りをデコレーションしてから最後にもう一度国歌を朗々と歌い上げて、19世紀スタイルの華麗なるエンディングでフィニッシュ。会場は歓喜の絶叫に包まれます。ピアニストも聴衆もいいノリで、この日の演奏会はまさに“熱狂的”だったと伝えられています。ほんと、見事な“営業”です。

筆者にとっては大量放屁の誘発音楽でも、海を越えた世界ではそのパワーは国民のアイデンティティとなり、愛国の坩堝の絶頂へと誘う。音楽というものは本当に奥が深いとしみじみ感じ入る2曲でございました。

*1)昔から山好きの間では議論となっているが、アルペン踊りがどういう踊りかは全く不明である。また「小槍」は北アルプスの槍ヶ岳の脇に実在する岩峰で標高は3030m、ちょうど一万尺となる。ただし、岩登りの専門家しか登れない急峻な岩峰で、その頂上は極めて狭く、とても踊りを踊ることは出来ないといわれている(ネット上にはチャレンジ動画多数)。なお「小槍」を「子山羊」と聞き間違えて動物虐待ソングと思うのは定番のあるあるである。

*2)冒頭部分に欠落があるが、Soerjadiが別の機会で弾いた「アメリカ幻想曲」の動画がある。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。