あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(4) 五線譜による1950年代前半のなんとも言い難い曲

2 フェルドマンの初期作品と十二音技法

 フェルドマンの図形楽譜の楽曲「Projections 1-5」(1950-1953)と「Intersections 1-5」(1951-1953)には音域や各パートの出現頻度に均等な分布が見られ、この要素がフェルドマンにとっての全面的なアプローチを示唆していることがわかった。前回解説したように、フェルドマンの図形楽譜の楽曲は音域だけが指定されていて、演奏ごとに音の鳴り響きが変わる不確定性の音楽だ。一方、同じ時期に作曲された五線譜の作品の大半は一部の例外を除いて[5]音高、音価、ダイナミクス、奏法などほとんどの要素が楽譜に記された「普通の」楽譜の体裁をとる。全6曲からなる「Intermissions」シリーズ1、2番目「Two Intermissions」(1950)の半音階的な音高の配置、散発的なテクスチュア、極端なくらい広い音程の跳躍は、一体どこに、または誰の音楽に起源があるのだろうか。何人かの作曲家の名前が浮かぶが、ここで真っ先に浮かぶのはアントン・ヴェーベルンだろう。フェルドマンの「Two Intermissions」は例えばヴェーベルンの「Variations op. 27」(1936)第1曲目の記譜上の見た目とよく似ている。また、フェルドマンの「Nature Piece」第5曲目の短い音価での和音、極端なダイナミクスはヴェーベルンの「Variations」第2曲目と音の響きの点で類似しており、さらにどちらの曲も短いという共通点がある。だが、フェルドマンの多くの楽曲の場合、先の「Intermissions 5」と同様、半音階的な音のまとまりを配置する十二音技法に近い要素が確かに見られるが、それらの音のまとまりは音列とは言えない方法で現れるのみで完全な音列技法には発展していない。

Feldman/ Two Intermissions (Intermission 1, Intermission 2) (1950)
Feldman/ Nature Piece 5 (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=5hZXpDGQ-0M
Webern/ Variations op. 27 (1936)

 当時のアメリカの作曲家に十二音技法がどのような意味と有用性を持っていたのか分析したStrausによれば、彼らは十二音技法に「統一性と一貫性の源泉、局所的な音程とモティーフの整合性の源泉、長い範囲でのゴールと構造的な深さの源泉a source of unity and coherence, of local intervallic and motivic consistency, of long-range goals, and structural depth」[6]を見出した。端的にいうと彼らにとっての十二音技法は「12の音[7]の世界について体系的に考える方法だ。それは音の局所的な組み合わせと網目だけでなく、さらに大きな持続による結合と構造をもたらすアプローチである。a way of thinking systematically about the world of twelve tones. It is an approach that suggests not only local combinations and networks of tones, but also associations and structures of greater duration.」[8]。同時代のヨーロッパの動向とほぼ同じく20世紀中頃以降のアメリカの、どちらかというとアカデミックな作曲家の音楽と、後の実験的な作曲家の音楽は基本的に無調だが、全員が十二音技法の後にトータル・セリーのような急進的な方向に進んだわけではなかった。当時のアメリカの作曲家の多くは好むと好まざると十二音技法の洗礼を受けており、十二音技法ほど厳密ではなくとも何かしらの音列や、列に満たないような少数の音による音群を使った方法で作曲していた。彼らは無調とトータル・セリーの中間地点として、なおかつある程度の自分の独自性を発揮できる方法として十二音技法をとりいれていたのだろう。その背景には当時の音楽教育や徒弟制度が関係していた。もちろん、アルノルト・シェーンベルクが1934年にアメリカに移住したこともこの背景に深く関わっている。フェルドマンに限らず20世紀以降のアメリカの作曲家は西海岸、東海岸ともに音楽学校の授業や教師を通じて十二音技法を習得し、この技法を用いた習作がもはや必須とされていたともいえる。ミニマル音楽で知られるラ・モンテ・ヤングとテリー・ライリーでさえ学生時代を過ごした1950年代後半には音列で作曲していた。このような背景から、彼らの一世代前に当たるフェルドマンの1940年代、1950年代の楽曲にヴェーベルンの面影を見出すことはなんら不思議ではない。フェルドマンが作曲を独習するなかでヴェーベルンら新ヴィーン楽派の音楽に触れてことは想像できるが、彼とヴェーベルンの音楽とのさらなる接点を考えると、おそらくシュテファン・ヴォルペによるレッスンが彼の初期作品の半音階書法に大きな影響を与えたのではないだろうか。ヴォルペとフェルドマンとの師弟関係から、1950年代前半のなんとも言い難い曲を知るためのヒントがいくつか見つかるかもしれない。