あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(4) 五線譜による1950年代前半のなんとも言い難い曲

4 実はそれほど単純ではない「Piano Piece 1952」(1952)

 「音それ自体」が1音の響きだけでなく、音と音とが作り出す隔たりの中で生まれる響きの関係、つまり音程も意味するならば、「Piano Piece 1952」はこの言葉が描こうとする音や音楽に近い曲かもしれない。

 タイトルが示す通り「Piano Piece 1952」は1952年に作曲された。出版された楽譜は1曲あるいは1部で完結しているが、パウル・ザッハー財団所蔵とゲッティ・インスティチュート所蔵のいくつかのスケッチによると、この曲は当初2部構成だったようだ[16]。1962年にペータース社から初めて出版された時には既に前半部分が削除されていた。同じくペータース社から1998年に出版されたフェルドマンのピアノ曲集『Morton Feldman Solo Piano Works 1950-64』に収録された際もスケッチにおける前半部分または第1曲目は跡形もなく消えている。曲が完成してまもない1952年に行われた私的な演奏会の中でフェルドマン自身がピアノを弾いた非公式な初演が行われた。公の場での初演は1959年3月2日、ニューヨーク市にてチュードアのピアノで行われた。この2つの場での演奏では、まだ前半部分が残されていた可能性がある。

 1952年の私的な初演の観客にはクリスチャン・ウォルフとルチアーノ・ベリオがいた。その時の演奏についてウォルフは次のように回想している。

彼(フェルドマン)が演奏を終えると、隣に座っていたルチアーノ・ベリオがこの曲を「弁証法的だ」と言った。彼がどの点についてそう言ったのか思い出せないが、私はこの力作に心を打たれた。当時、私にはこの曲が典型的なヨーロッパ風の音楽に聴こえた。この曲が音のこのようなパッセージを、つまりほとんど例外なく右手から左手へと行き来しながら動き、高音域のどこかと低音域のどこかを往来する規則正しい歩調での柔らかな単音の連続を言明し、概念化しているように思えた。

After he finished, Luciano Berio, sitting next to me, said something about the piece’s “dialectic.” I don’t recall just what, but I was struck by the effort, which at the time seemed to me characteristically European, to say something, to conceptualize this passage of sounds, a soft succession, regularly paced, of single notes, moving almost without exception back and forth from right hand to left, somewhere in treble to somewhere in bass and back again.[17]

この場合もやはり「出来事」と呼びたくなる、短い音価でのすばやいパッセージを主体とする第1部[18]、単音の繰り返しによる平坦な第2部(現行の出版譜はこの部分を指す)の特性をふまえると、ベリオが演奏を聴いた直後に言った「弁証法的」という言葉はこの2つの対照関係に言及していると考えられる。ウォルフが「規則正しい歩調での柔らかな単音の連続」と描写したように、現行の「Piano Piece 1952」は拍子も小節線もなく(曲の終わりを示す終止線は引かれている)、全部で171の音符がひたすら付点四分音符で書かれている。具体的なテンポは指定されていないが、楽譜の冒頭に「全ての拍を均等にゆっくりと静かにSlowly and quietly with all beats equal」の演奏指示が記されている。右手と左手が同じ歩調を保ちながら付点四分音符を単音で交互に打鍵する。この曲は最初から最後まで様々な音高の単音が鳴らされるだけの一見極めて単調で平板な曲だが、音高、音程、音域に着目するといくつかの特徴が浮かび上がってくる。

Feldman/ Piano Piece 1952

 全171音は以下の通り。奇数番号の音は右手、偶数番号の音は左手で演奏される。音名の隣の数字は音域を示している。ピアノの鍵盤の真ん中にあたるCをC4とし、その上下のオクターヴにそれぞれ番号をつけた。たとえばC3はC4の1オクターヴ下、C6はC4の2オクターヴ上を示す。この曲の最低音は42のB0、最高音は29のF#7である。隣り合った音のオクターヴ番号が離れていればいるほど音域が離れ、跳躍の幅が広くなる。例えば59番目のC#7と60番目のG1は6オクターヴ離れていて、この曲で最も広い間隔での跳躍である。

[Piano Piece 1952]音高一覧

12345678910
E♭6A2B♭4C4C#7D2F#6F4E5F#2
11121314151617181920
G#6A4B♭5E4C#7G3B4G#2B♭6C3
21222324252627282930
E4E♭3A5B2A#6E♭4E5D3F#7E2
31323334353637383940
C4E♭1D7G#3B♭4E2F#5F3E4C3
41424344454647484950
C#6B0E♭4G♭3G6C3B♭5E4G#4D3
51525354555657585960
F6B♭2B4E3E♭5G#2G4A3C#7G1
61626364656667686970
B♭4A2D6E♭2E4G#3G6D4B4B♭2
71727374757677787980
A3G#4G6C#4E♭5C3F6F#4D5E2
81828384858687888990
A6B♭3D♭6B1A4E3D6E♭4G♭4F3
919293949596979899100
E6F#1G#5B♭2E4D3F5D♭4G4D3
101102103104105106107108109110
E♭5E4C5B3C7D3G#5B♭2D♭5E2
111112113114115116117118119120
F4D4E♭4C#4E4E♭4F6G#2F#2C4
121122123124125126127128129130
B5C#3D4A2B♭5E2A♭5C4B♭6G2
131132133134135136137138139140
C#4F3G4B2E♭5E2D6G#1E5A2
141142143144145146147148149150
G4F#3F6E6E♭7B2C5C#3E♭4E2
151152153154155156157158159160
A5F3B4C4F#6B♭2A4E♭3D6C#2
161162163164165166167168169170171
G4C4B♭3C#3D5A4B♭6E2F#4G3C#6

 実際のところ、どの視点でこれらの音高と音程を見ていくかで、この曲の特性の様相が変わってくる。Nobleの分析では111〜116までの音域の密集した動きの少ない状態を「音高プラトー pitch-plateau」と称し、これら6音が同じオクターヴ内でシンメトリー状に配置されていることを指摘している[19]。音から音へと移る際の動きとその軌跡に着目した視点からは、133〜141までの範囲で右手(奇数番号の音高)がG4からG6まで上行した後、G4に戻るかのように下行する箇所も指摘できる。一方、左手(偶数番号の音高)はB2からG#1まで下行した後、A2に上行する。これらの動きをふまえると、この範囲では右手と左手が互いに反行する線を描いていることがわかる[20]。この曲は一貫して右手が高い方の音を、左手は右手より低い音を交互に打鍵してジグザグ状の軌跡を描くが、右手と左手の音域が逆転する例外的な箇所が2つある。1つ目は71-72(A3-G#4)の2音。この前後の音を含めた70-71-72-73(B♭2-A3- G#4-G6)の4音は一直線に上行する軌跡を描く[21]。2つ目は162-163(C4- B♭3)で、ここでも左右の手が交差する。先の4音とは対照的に161-162-163-164(G4-C4- B♭3-C#3)の4音は一直線に下行する軌跡を描く[22]。このように、相反する要素を曲中に並置して均衡を図るやり方はヴォルペの「Set of Three Movements」における2つの流れを想起させると同時に、フェルドマン自身の図形楽譜の楽曲に見られる音域とパートの均衡な分布とも共通している。

 ウォルフはフェルドマンがこの曲の中で特定の音程を何度も用いていることを指摘している。例えばC#-G(減5度/増4度)は5回、A-B♭(短2度/長7度)は5回、いずれもほとんど毎回異なる音域で登場する[23]。また、彼は3-5-7番目の3音(B♭4-C#7-F#6)がB♭を異名同音のA#に読み替えると嬰ヘ長調の主和音(B♭4-F#-A#-C#)になることに気づいた[24]。これと同様の現象は50-51-52(D6-F6-B♭2)でも起きていて、これら3音は変ロ長調の主和音の構成音だ。だが、既存の方法やシステムとは違う地平での音楽を志していたフェルドマンがここで調性や和声を意識していたとは考えにくい。これらの三和音は偶発的に生まれたと考えるのが適当であろう。

 半音階的な音の配置に注目すると、上述の分析とは異なる特徴が見えてくる。この曲での極端に隔たった跳躍をオクターヴの位置関係を無視して考えた場合、実はいくつかの箇所で半音階的に隣り合った2音、3音、5音からなる3種類のグループを見つけることができる。半音階的な順次進行の箇所は表中の網かけ部分で示されている。

[半音階的に隣り合う2音]
2-3
21-22
24-25
26-27
32-33
40-41
52-53
54-55
56-57
61-62
81-82
87-88
90-91
112-113
115-116
120-121
135-136
149-150
166-167

[半音階的に隣り合う3音]
4-5-6
7-8-9
11-12-13
37-38-39
63-64-65
100-101-102
146-147-148
158-159-160

[半音階的に隣り合う5音]
141-142-143-144-145

 この表から、記譜上では音が乱高下しているように見えても実は半音階的に隣接している箇所がいくつもあることがわかる。これはオクターヴ内の跳躍では得られない音響の効果を狙った配置なのだろうか。このような音域の配置はもともと近かったものを大きく引き離して、あたかも新しい技法や新たな音の響きがもたらされているように見せるフェルドマンの戦略のひとつであるようにも思われる。この曲の内部をさらに精査すれば音列に近い音と音との関係も見えてくるかもしれない。様々な視点が考えられるなかで音高、音程、音域に注目して1950年代前半の五線譜の楽曲の中でも特になんとも言い難い「Piano Piece 1952」を掘り下げてみた。「音それ自体」という言葉にくじけそうになるが、あきらめずに音を聴き、楽譜を見れば、何かしら浮かび上がってくるのだった。