あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-2 フェルドマンの最晩年の楽曲

 ベケットが「音楽」に与えた指示と、フェルドマンがそれにどう対応したのかをスコア1ページ目の番号4から順に見ていこう。文中の「Words and Music」の原語(英語)は『Samuel Beckett : The Collected Shorter Plays』(New York: Grove Press, 1984, pp. 125-134)所収のものを用いた。日本語訳は全て安藤信也、高橋康也訳「言葉と音楽」、『ベスト・オブ・ベケット 3 しあわせな日々 芝居』(東京:白水社、1991年、97-117頁)を参照、引用した。それぞれの番号にはベケットの台本に記された「音楽」への指示を併記した。それぞれの番号の横に記した「音楽」への指示書き(例「弱音器をつけて」等)が舞台上で実際に発語されることはない。劇中で聴こえてくる言葉は、クロウクを演じる役者と「言葉」を演じる役者とのやり取りのみである。

Feldman/ Words and Music score: https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/samuel-beckett-words-music-4505

4 Humble muted adsum 弱音器をつけて、うやうやしく「はい」
 クロウクが擬人化された音楽の名前「ボブ」を呼ぶ。それに応じて、音楽が返事をする場面。「muted」は「抑えた声で」と「弱音器」の2つの意味をかけていると解釈できる(日本語訳では単に「弱音器」と訳されているが)。ここは反復記号の付いたたった2小節の音楽で構成されている。実際に弦楽パート(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)は弱音器を付けて演奏する。フルート1のC5とフルート2のD4が穏やかで素朴な響きのモティーフを繰り返す。この2音間の音程はフェルドマンお気に入りの7度だ(より詳しく言うと短7度)。ここで控えめに繰り返される2音をクロウクからの呼びかけに対する返事として解釈できる。ピアノもA4-G5の和音で短7度、ヴァイオリンもA3-G4の跳躍で短7度の音程で構成されている。ヴィオラのE3とチェロの開放弦F2も7度(長7度)の関係にある。この音楽は全体的に柔らかく、控えめな印象を与えており、フェルドマンはベケットからの「Humble 控えめに、慎ましく」の指示に素直に応じていたといえる。

5 As before うやうやしく
 「音楽」はさらに短くなり、反復記号の付いたたった1小節で構成されている。「As before」の意味は「前の部分と同様に」だが、日本語訳はここで求められている音楽のイメージをより具体的に表すためなのか、「うやうやしく」と記している。この音楽は4節目を引き継いでいる。だが、そこにはちょっとした変化が仕組まれている。2つのフルート間で受け渡されていたフルートのC5-D4のモティーフをその1オクターヴ上でフルート1が担い、フルート2はE4の音を引きのばす役割に変わる。他のパートの響きと混ざり合うのではっきりと聴き取ることができないが、フルート1のC6とフルート2のE4が重なる時、C-Eの2音がスコア上ではハ長調を想起させる。ヴィブラフォンはG4-F5で短7度を響かせる。4でのピアノのA4-G5の和音で短7度はヴィオラのA4とヴァイオリンのG5に引き継がれる。

6 As before うやうやしく
 クロウクからボブ(音楽)への呼びかけがまだ続いている。これまでフルートが担っていたC-Dのモティーフはピアノへと移る。フルート1、2とヴィブラフォンが、5節目のヴァイオリンとヴィオラでのA-Gの2音を引き継ぐ。

7 As before うやうやしく
 クロウクからボブ(音楽)への呼びかけは依然として続いている。執拗な呼びかけに対して音楽は律儀に応答する。6節目と同じくC-Dのモティーフはピアノが担い、今度は1オクターヴ上のC6-D5で繰り返される。このモティーフと同時に鳴っていた、他のパートによる和音の響きが以前の部分に比べて鋭さを帯びている。フルート1のD♭5とフルート2のB4は減3度(D♭5をC#5に読み換えると長2度)の不協和音程だ。弦楽はヴァイオリンB♭4、ヴィオラA♭4、チェロA5の3音が密集して配置されている。

 4-7節までをまとめると、C-Dのモティーフは維持されるが、その背景で鳴る柔らかな和音の響きが徐々に変化し、7では不協和な響きが強く打ち出されている。4-6節までの和音の柔らかな響きは1970年に作曲された室内アンサンブル曲「Madame Press Died Last Week at Ninety」を思い出させる。この曲が書かれた同時期には、フェルドマンの楽曲には珍しい叙情的な旋律を打ち出した「Viola in My Life」1-4(1970-71)と「Rothko Chapel」(1970)もある。これらの楽曲と「Words and Music」において時折聴こえる素朴な雰囲気の音楽は、フェルドマンの知られざる一面をうかがわせる。

Feldman/ Madame Press Died Last Week at Ninety

UE/ https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/madame-press-died-last-week-at-ninety-3504

8 Rap of baton on stand. Soft music worthy of foregoing, great expression with audible groans and protestations — ‘No!’ ‘Please!’ etc. – from WORDS. Pause. 指揮棒で譜面台を叩く音。いかにも愛の音楽らしく甘い、表情たっぷりの音楽、《言葉》が発する「やめてくれ!」とか「お願いだ!」とかのうめくような抗議の声が、あいだに聞こえてくる。間。
 スコアにも「Rap of baton on stand.」と記されており、実際に指揮者が指揮棒で譜面台を叩く。その後の指示「いかにも愛の音楽らしく甘い、表情たっぷりの音楽」は従来のフェルドマンの音楽とは相容れない要素だったはずだ。彼はこれにどのように対処したのだろうか。作曲に際して、フェルドマンはベケットによるラジオドラマの台本をどう読んだのかを次のように語っている。

(ベケットによるテキストを)ほとんど読まなかった。いや、もちろん読んだ。だけど終わりの方から読み始めて、様々な箇所から読み始めた。これがベケットについて知る私なりの方法だった。なぜなら音楽なしにそのテキストを読むことができなかったし、まだ音楽が付いていなかったからだ。

I hardly read it (text by Beckett). Oh, of course, I read it. But I started at the end, I started in different places. That was my way to get to know Beckett. Because I couldn’t read it without the music, and there was no music.[17]

 ここでフェルドマンが言っていることが嘘か本当なのかわからないが、彼の読み方は最初から最後まで精読するのではなくて、最後の方から読み、その後はランダムに読み進めて行ったらしい。もしも本当にこのような方法でベケットの作品にアプローチしたならば、ここでの「愛の音楽」は前後の文脈をあまり意識せず、フェルドマンがその場で思いついた刹那的な「愛の音楽」だったのかもしれない。

 この場面の直前にクロウクはゆっくりとした口調で噛みしめるように「愛だ!Love!」と言う。この言葉を受けて「音楽」は「愛の音楽」を始める。最初に聴こえてくるのはヴィブラフォンによるG3-D♭4-F#4-E♭5の4音モティーフで、これが2回鳴らされる。この4音は和音としてピアノに受け渡される。その後、フルート1のA♭5とフルート2のA4に主役の座が移る。フルートの半音階的な2音の重なりと、残りのパートによる和音という構成が明確だ。最後にはピアノによる和音がアルペジオで2つ鳴らされて終わる。ヴィブラフォンやフルートの音色は甘くて柔らかな音楽を奏でることができるし、ピアノのアルペジオもロマンティックな雰囲気を出すのにうってつけだ。だが、ここで聴こえるのは半音階的な重なりや増減音程による、どちらかというと不安で胸騒ぎを起こす類の音楽といえるかもしれない。さらには、音楽と同時に聴こえてくる「言葉」の呻吟が「愛の音楽」を打ち消そうとしている。「愛の音楽」は「言葉」を苦悩に陥れる残酷な存在でもある。