あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(18)-2 (最終回)フェルドマンの音楽がもたらした影響

文:高橋智子

2 フェルドマン没後の受容と評価

 フェルドマン死去の翌日、1987年9月4日の『New York Times』に訃報が掲載された。この記事の冒頭でフェルドマンは「今世紀最も重要な実験作曲家の1人で、ミニマリストと称されている人たちよりも真のミニマリスト、モートン・フェルドマンがバッファロー・ジェネラル・ホスピタルで昨日、膵臓癌で死去した。Morton Feldman, one of the century’s most important experimental composers and a truer minimalist than many so labeled, died of pancreatic cancer early yesterday at Buffalo General Hospital.」[1]と紹介されている。通常、訃報記事はその人物の当時の評価や一般的なイメージを反映して書かれている。この訃報記事は「晩年にはアメリカの支持者や、とりわけヨーロッパから興味を持たれていたにもかかわらず、彼は音楽界からの孤立を感じていた。In his later years, even with continued interest in his work from American champions and, especially, Europeans, he felt cut off from the musical world.」[2]と、やや寂しい論調で締めくくられているが、フェルドマンの当時の音楽界からの評価と受容について次のように記されている。

彼の音楽は多くの伝統主義者と慣習的なモダニスト両者を退屈させ、怒らせた一方、それ以外の人々を歓喜させた。フェルドマン氏は決して聴衆に媚びなかった。だが、一部の人々にとって彼は音楽の詩人だった。彼の音楽は静かに、だが緊迫した調子で同好の士の魂に届いた。

Yet while his music bored and offended many, traditionalists and conventional modernists alike, it enraptured others. Mr. Feldman never courted an audience. But for some, he was a musical poet whose music reached out quietly but urgently to like-minded souls.[3]

 この記事には「Inspiration From Painters(画家たちからのインスピレーション)」、「A Minimalist Aural World(ミニマリストの聴覚世界)」などいくつかの小見出しが付けられている。「Inspiration From Painters」の段落では、ジョン・ケージを通して知り合った抽象表現主義の画家たちとの交友、とりわけフィリップ・ガストンから創作の理念についてフェルドマンが影響を受けたことが記されている。「A Minimalist Aural World」では、記事冒頭で「真のミニマリスト」として紹介されたフェルドマン像をさらに掘り下げている。

「弦楽四重奏曲第2番」や、生演奏の歌手とその歌手によって事前に録音された2パートのための90分に及ぶ「Three Voices」(1982)のような曲の中で、彼はスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといったよく知られたミニマリストたちの動的な衝動を持たずして、しかし、抑制された、レトリックのない情動やゆっくり発展する反復によるミニマリストの教義に対して、彼らよりも忠実に、真のミニマリストの聴覚世界を創りあげた。

In pieces like the Second Quartet and the 90-minute ”Three Voices,” for a live singer and two recorded sound images of herself (1982), he created a truly minimalist aural world, without the kinetic impulse of better-known minimalists like Steve Reich and Philip Glass but truer even than they to the minimalist precepts of understated, non-rhetorical emotion and slowly developing repetition.[4]

 記事を執筆した音楽批評家ジョン・ロックウェルはフェルドマンの80年代の反復を主体とした長い楽曲に「真のミニマリストの聴覚世界」を見出している。ここでの記述から、1987年当時のミニマル音楽に対する一般的な認識の一例がわかると同時に、スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスがもはや典型的なミニマル音楽の範疇から逸脱しており、むしろフェルドマンの晩年の反復を主体とする長時間の音楽がミニマル音楽の基本を踏襲しているとも読める。

 いわゆるミニマル音楽第一世代として位置付けられている4人(4人ともこの呼称を好んでいないが)――ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、ライヒ、グラス――の音楽にフェルドマンが関心を寄せ、実際に聴いていたことが彼のエッセイなどにうかがえる。1926年生まれのフェルドマンと、1935〜1937年生まれの4人のミニマリストたちにはおよそ一世代の隔たりがあるが、これら4人の作曲家たちも何らかのかたちでフェルドマンの音楽に触れ、影響を受けた様子は彼らの著作などからも確認できる。1984年に雑誌『Res』に掲載されたフェルドマン、ラ・モンテ・ヤング、マリアン・ザジラ、バニータ・マーカス、フランチェスコ・ペリッツィとの対談[5]の中で、ヤングは自身の音楽のルーツとしてヴェーベルンの存在をあげ、「フェルドマンが自分とある程度同じバッグラウンドからやってきたとわかった気がした。I felt that I could see Feldman coming out of that same background to some degree.」[6]と述べている。この対談でヤングは、シェーンベルクの「Five Pieces for Orchestra Op. 16」(1909)やヴェーベルンのいくつかの楽曲で用いられている、特定の音高を同じ音域内で繰り返す技法をフェルドマンも引き継いでいることを指摘し[7]、この技法によるフェルドマンの初期の楽曲群を賞賛している。[8] ヤングは、同音反復によって得られるフェルドマンの音楽の「静的な static」特性[9]に強く感銘を受けたと考えられる。例えば「for Brass」(1957)、「Trio for Strings」(1958)など、インド古典音楽の作法に基づく即興演奏に転向する前の、つまりヤングの最初期の楽曲のいくつかは、最小限に切り詰めた音高の引きのばしや最小限の素材による音列で構成されている。この時点で彼の音楽が既に「ミニマル音楽」だったと言えなくもないが、この時期のヤングの音楽は拍節が希薄で静的な印象を与える音楽が多い。フェルドマンとヤングは、ともにシェーンベルクやヴェーベルンを参照し、近代的な西洋芸術音楽に必須とされてきた物語的な構造とは違う、静的な性質の音楽を志向していた点で共感し合っていたとも言える。

La Monte Young/ for Brass (1957)