あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(18)-1 (最終回)フェルドマンの音楽がもたらした影響

 これらの楽曲の成立過程から、フェルドマンとウォルフとの間には作曲家同士の特別な結びつきがあったと考えられる。ウォルフにとって、フェルドマンの音楽は謎が尽きない存在で、彼の作曲方法は出来上がった音楽の痕跡さえも消してしまう。[14] それ故に「ただそこにある it’s just there」[15]としか言いようがなかった。だが、フェルドマンへ献呈された楽曲からわかるように、ウォルフはフェルドマンの音楽に対する優れた分析家で解釈者でもある。本連載の第4回では「Piano Piece 1952」(1952)のウォルフによる楽曲分析を参照した。同時代を生きた作曲家の目に、フェルドマンの音楽はどう映ったのだろうか。ウォルフの言葉はそれを知るための大きな手がかりとなる。

 ウォルフによれば、1950年代初期の「実験的 experimental」と称される音楽実践が「独自性を全く気にする必要がないほど強烈な個性を持っていて、それは解放でもある It has an identity so intense that you don’t need to worry about identity at all, which is liberating」[16]。一人一様式を追求していた時代の中で、ウォルフは1990年に書いたエッセイ「On Morton Feldman’s Music」においてフェルドマンの音楽を次のように特徴付けている。

フェルドマンの音程と和音の選び方はどんな音高も組み合わせも「大丈夫」。それらの配置、持続性によるリズム(実際は通常の持続感が消されているが)、鳴り響きが機能する限り、彼の耳と感覚によって、これらはいつもうまく行っているように見える。やがて私は、実のところ、彼の和音がかなり限定的に割り当てられた音程に依拠しているのだと気付いた。彼のお気に入りは短1度、2度、7度――(ある程度、私自身も含めて)70年代の全音階的な方向から明らかに距離を置いていた。振り返ってみるとフェルドマンの音楽は変わっておらず、何年にも渡って拡張しているだけだ。おそらくそのおかげで、私自身が、70年代初期に始まる自分の作品の中での急激な変化に思えたことを試みやすくなった。

I thought of Feldman’s choice of intervals and chords as implying that any combination of pitches was “all right,” so long as their placing, the rhythm of their continuity (a rhythm that actually erased an ordinary feeling of continuity), and their sonority worked, which because of his ear and feeling they always seem to. In the meantime, I have noticed that in fact his chords draw on a fairly restricted distribution of intervals, favoring the minor ones, seconds and sevenths—clearly at a distance from the diatonic directions (including in some measure my own) of the seventies. In retrospect, Feldman’s music’s not changing, simply extending over the years, probably made it easier for me to attempt what seemed to me sharp changes in my own work, beginning in the seventies.[17]

 これまでにこの連載でフェルドマンの長短2度と7度への偏愛について何度も言及してきたので、ウォルフのこの観測はそれほど画期的ではない。だが、フェルドマンの音楽が実は変化しておらず、時代を経て拡張しているだけだというウォルフの見方は興味深い。後世の私たちはフェルドマンの作品カタログを見渡しながら様式や技法の変化の発端に常に目を光らせ、その前後関係からなんらかの結論を導き出そうとしている。本連載では記譜法の変化をフェルドマンの楽曲変遷をたどる拠り所のひとつとして数々の楽曲を解説、分析してきた。その結果、習作期にあたる40年代後半から最晩年の1987年までの間に、フェルドマンの音楽は絵画、中東の絨毯、ベケットの文学作品などの影響を受けながら様式や技法が変遷を遂げてきた様子が明らかになった。しかし、彼と同時代を過ごしたウォルフにとって、上記のような「変化」は表層的なものに過ぎないのだろうか。変化ではなく拡張していくフェルドマンの傍ら、ウォルフ自身は70年代以降、民主社会主義の思想やテキストに基づいた曲を書き始める。それ以前のウォルフの音楽は、ヴェーベルンとケージからの影響が色濃い50年代前半の還元された素材による楽曲、即興を採り入れた60年代後半の楽曲など、その時々で変化している。次々と新たな境地へと踏み出すウォルフにしてみれば、初心貫徹のフェルドマンは「相変わらず」抽象的な音の世界を追求し続けていた作曲家だったのかもしれない。

 ウォルフから見たら「変わらなかった」フェルドマンの音楽だが、彼は演奏に4~6時間を要する「String Quartet No. 2」(1983)等の後期の長い楽曲に、フェルドマンの挑発的な姿勢を見出していた。それは当時の音楽界の慣習や演奏会制度に対する挑戦を意味している。

フェルドマンの後期作品の極端な演奏時間は音楽の慣習に向けられた挑発でもある。曲の長さは多かれ少なかれ録音に適応しているが、私の知る限り、フェルドマンはそんなことを気にもとめなかった。生演奏のために書かれているものの、これらの曲は慣習的な演奏会の環境では不可能だ。これらの曲はそのような状況に挑み、さらには、その状況が描いている社会にも挑む。ここには矛盾もある。音楽は否定、自制、孤独を表すが、フェルドマン自身は非常に社会性があり、社交的な集まりを好んだ。音楽は攻撃的なくらい挑発的だが、その響きには攻撃性が微塵もなく、それどころか洗練されて美しく、魅惑的だ。

The extreme durations of Feldman’s late pieces are also a provocation, directed at musical institutions. Though the music’s length can be accommodated more or less on recordings, recording was, as far as I know, of no interest to Feldman. Written for live performance, these pieces are impossible for any conventional concert situation. They challenge it and by extension the social world it represents. There are paradoxes here too. The music represents denial, abnegation, and isolation, but Feldman himself was most sociable and gregarious. The music is aggressively provocative, but its sound is completely without aggression, in fact it is exquisitely beautiful, seductive.[18]

 後期の長い楽曲は、楽曲の存在自体が社会や慣習に対する挑発的な試みであった一方、その鳴り響きは繊細さと美しさを極めていた。ウォルフはこの矛盾を、おそらく肯定的に捉えて指摘している。フェルドマンは音楽を通して社会的、政治的なメッセージを明確に打ち出す作曲家ではなかったが、彼の音楽は当時の音楽界の慣習や聴取のあり方に対して、微かな音で静かに何度も異議を唱えていたのではないだろうか。彼の音楽の静かなプロテストは、後にミニマル音楽や環境音楽から共感を得るのだった。

次のセクションではミニマル音楽との関係と、その後のフェルドマン受容について解説する。

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな音楽学者。
(次回掲載は11月25日の予定です)


[1] Barbara Monk Feldman (1950-) http://www.composers21.com/compdocs/monkfelb.htm
[2] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 274
[3] Ibid., p. 275
[4] Feldman’s Grave in Morton Feldman’s Page https://www.cnvill.net/mfgrave.htm
Beth Moses Cemetery http://bethmosescemetery.com/
[5] Morton Feldman, “Lecture on For Christian Wolff,” transcribed by P. v. Emmerik, S. Claren, and C. Villars, Internationale Ferienkurse für Neue Musik Darmstadt 1986: Komponistenforum Morton Feldman, 24 July 1986, p. 3 https://www.cnvill.net/mftxtind.htm
[6] 「Piano Piece 1952」については本連載の第4回参照。
[7] Christian Wolff, “On Morton Feldman’s Music,” Occasional Pieces: Writings and Interviews, 1952-2013, New York: Oxford University Press, 2017, p. 105
[8] Ibid., p. 105
[9] Ibid., p. 105
[10] Chris Villars, “The Story of Morton Feldman’s Possibility of a New Work for Electric Guitar,” 2009/2015,  pp. 3-4 https://www.cnvill.net/mftxtind.htm
[11] Other Minds https://www.otherminds.org/ サンフランシスコを拠点とするNPO法人。同時代音楽に関する活動を行なっている。レーベル、Other Minds RecordsではレコードやCDの制作も行っている。
[12] Seth Josel http://sethjosel.de/
[13] Villars 2009/2015, op. cit., p. 5
[14] Christian Wolff, “Morton Feldman Memorial Text,” Occasional Pieces: Writings and Interviews, 1952-2013, New York: Oxford University Press, 2017, p. 97
[15] Ibid., p. 97
[16] Christian Wolff, “On Morton Feldman’s Music,” Occasional Pieces: Writings and Interviews, 1952-2013, New York: Oxford University Press, 2017, p. 106
[17] Ibid., p. 106
[18] Christian Wolff, “Feldman’s String Quartet No. 2,” Occasional Pieces: Writings and Interviews, 1952-2013, New York: Oxford University Press, 2017, p. 230