あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(1)

(筆者:高橋智子)

次の一節は1951年にジョン・ケージがモートン・フェルドマンの音楽について語った「何かについてのレクチャー Lecture on something」からの抜粋である。ここでケージが言おうとしていることの真意をどう解釈すべきか、すぐに答えは出ないが、彼の言葉には妙な説得力がある。

人生はモーティ・ フェルドマンの 曲のように進む。
偶然鳴った 音が面白くなかったと 異論を唱える人も いるかもしれない。
言わせておけ。 今度その曲を聴いた時には、 もっと面白くないか、
突然興奮 するか、いずれにせよ 違っているだろう 。 たぶん
悲惨だろう。 誰がかって ? その人だ。 フェルドマンのことじゃない。 

柿沼敏江訳『サイレンス』水声社、1996年、p. 232より

Feldman/ For Bunita Marcus (1985)

フェルドマンの音楽は難しい

 いうまでもなく、音楽の聴き方や解釈(ここには楽譜を読むことや演奏も含まれる)の方法や可能性は無限だ。ある楽曲や音響に第一印象で心を奪われる場合もあるし、何度か聴いていくうちにどんどんはまり込むこともあるだろう。もちろんこれは本稿でとりあげるモートン・フェルドマンの音楽についても同じだ。たとえば1950年代に書かれたフェルドマンのピアノ独奏曲や1960年代の比較的小規模な室内楽曲に接して、聴き手は、最小限に抑えられたダイナミクスを伴って展開される繊細で官能的な音の世界に魅了されるかもしれない。あるいは、深い黙想に誘う音楽として聴かれるかもしれない。フェルドマンの音楽に対して私たちが抱く印象は様々だが、筆者には、彼の音楽が右から左へと聴き流すことは到底できない、ひっかかりのようなものを常に投げかけてくるように感じられる。この「ひっかかりのようなもの」は、少数の音で構成された音型や、特定の音程の反復などの技術的な特性と、それによる音響的な効果に由来するのだと頭の中ではわかっているはずだ。だが、なぜ「For Bunita Marcus」(1985) 冒頭のC#とDの連打がフェルドマンの音楽として響くのか、その根拠は実のところよくわからない。その響きは作曲家が直感で書き、その結果として偶発的に生じたものなのか。それとも綿密な計算を経て結実したものなのか。彼が記した一音一音には、さらには音と音との空白や沈黙にさえ、理論や技法を論じただけでは量り得ない、だからといって安易な言葉のレトリックに逃げるのを許さない強固で厳しい何かがある。先にフェルドマンの音楽について「最小限に抑えられたダイナミクスを伴って展開される繊細で官能的な音の世界」と書いてしまったが、言葉を尽くして説明しようとすればするほど核心から遠ざかっていくような無力感に襲われる。さすが、サミュエル・ベケットを敬愛した作曲家だ。
 作曲家の発言を鵜呑みにするのは得策ではないものの、フェルドマンは「自分自身についていえば、私の楽曲にまつわる言説のほとんどは後付けであって、方法論についての技術的な議論も大きな誤解を招くだろう。For myself, most of my observations about my work are after the fact, and a technical discussion of my methodology would be quite misleading.」*1と記し、自発的あるいは、少しまじめに彼の音楽を聴いたり、演奏したり、研究しようとする人々を挑発する。だが、実際には既に多くの研究書や論文が刊行されており、楽曲分析にはピッチクラス理論などの分析手法が用いられている。したがって、フェルドマンの楽曲を分析することは不可能ではないし、珍しいことでもない。フェルドマンにとっての「誤解」が誰かにとっての理解の助けになっているのは確かだ。
 今ここで書いている内容とこれから書こうとしている事柄もフェルドマン自身にとっては誤解のひとつに過ぎないかもしれない。しかし、この作曲家とその音楽について、彼が書いた楽曲とそこからかろうじて観察できるなんらかの技術的、理論的な側面だけでなく、交友関係や好きな画家といった情報も合わせて知っておくことは決して無駄ではないと信じたい。
 無調からさらに発展した、およそ第二次世界大戦後からの芸術音楽(広い意味でのクラシック音楽といってもよいし、いわゆる現代音楽の枠組みで語ることもできる)にはその時代、地域、技法等に基づくいくつかの潮流が見られる。たとえばトータル・セリー主義の視点からこの時代を俯瞰した場合、真っ先に浮かぶのはピエール・ブーレーズ、ルイジ・ノーノ、カールハインツ・シュトックハウゼンらのダルムシュタット楽派だろう。
 彼らとほぼ同時代のフェルドマンについて考える場合、作曲家としての活動を始めた1940年代から没年の1987年までの年代、アメリカ合衆国の主に東海岸(ニューヨーク市とバッファロー市)、図形楽譜や持続の自由な楽曲(音符の符尾が記されておらず、奏者の任意で音の長さが定められる)における不確定性などが挙げられる。彼が自身のスタイルを確立する上で頻繁に言及される音楽関連の人物は、主にアントン・ヴェーベルン、エドガー・ヴァレーズ、シュテファン・ヴォルペ、デイヴィッド・チュードア、クリスチャン・ウォルフ、ジョン・ケージ、アール・ブラウン、ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンといった面々だ。また、フェルドマンはニューヨーク・スクールおよび抽象表現主義の美術家から創作のインスピレーションを得ていた。彼にとって、その影響はもしかしすると音楽家よりも大きなものだったかもしれない。フェルドマンはジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、フィリップ・ガストン、マーク・ロスコ、フランツ・クラインにまつわる楽曲を書いている。フェルドマンの音楽の理解者として、詩人のフランク・オハラの存在も忘れることができない。文学ではベケットからの影響が最も大きく、フェルドマン唯一のオペラ『Neither』(1977) のテキスト(脚本と呼ぶにはとても短い散文詩のようなもの)は彼のたっての願いでベケットが書いている。また、1970年代後半から始まる長時間の楽曲は、彼が1976年に訪れたイランを中心とする中東地域の絨毯の存在なしに語れないだろう。
 以上、フェルドマンの音楽と結びつきの深い人物と事物をごく簡単に列挙してみた。これらは彼の音楽に関する基礎知識に過ぎないのだが、それ故に逐一立ち止まる必要がある。この連載でそれぞれをどの程度とりあげることができるのか、まだはっきりとわからないが、筆者はどの一つも省けないほど全てが大事だと考えている。

記譜法と作品年代

 現時点でわかっているフェルドマンの楽曲数は未発表や未完成のおよそ50曲も含めると約200。本稿が参照した作品リストの最新版はクリス・ヴィラーズ Chris Villarsが運営しているMorton Feldman Page(https://www.cnvill.net/mfhome.htm)に
掲載されており、このリストは現在も更新されている。ピアノ独奏曲が36、デュオ、あるいは3台または3人以上のピアノによるアンサンブルによる楽曲が11曲、ピアノと他の楽器との室内楽編成の楽曲が51と、全体的にピアノを用いた楽曲の割合が高い。あまり知られていないがフェルドマンはテープ音楽「Intersection for Magnetic Tape」(1953) を1つ作っている。作品を年代ごとに大まかに区切ると、1943−49年頃までを習作期とみなすことができる。それ以降は1950−56年頃、1957−62年頃、1963−69年頃、1970−1977年頃、1978年から没年の1987年。この区分の根拠は様式の変化に基づいているが、特にフェルドマンの場合は記譜法が作品変遷を検討する際の鍵となる。

Feldman / Intersection for Magnetic Tape

[習作期]
1943-1949
作曲年代が確定されている最も古いものは1943年(フェルドマン16歳)にさかのぼるが、この年に作曲された4曲のうち「First Piano Sonata[to Bela Bartok]」(1943) 以外は未出版、未録音である。

[初期]
1950−56年
この時期は五線譜によるピアノの小品が多いと同時にフェルドマンは図形楽譜の楽曲を書き始める。グラフ用紙の升目による『Projections 1-5』(1950-51)はおそらく最もよく知られているフェルドマンの楽譜の1つだろう。

1957-62年
「Piece for four Pianos」(1957)、「Piano Four Hands 」(1958)、『Durations 1-5』 (1960-61)など、1957年頃から持続の自由な楽譜が頻繁に用いられる。

[中期]
1963−69年
この時期は持続の自由な楽譜がさらに発展し、『Vertical Thoughts 1-5』(1963)のようにそれぞれの音(パート)の演奏順番を破線で記した記譜法が用いられる。「The King of Denmark」(1964)など、図形楽譜は奏法や音色を細かく指定することで50年代よりも複雑になった。フェルドマンは様々な限界と疑問から「In Search of an Orchestration」(1967)で図形楽譜をやめてしまう。

1970-77年
この時期以降から晩年までの記譜法はほとんどが通常の五線譜である。ここでの大きな変化は『Viola in My Life 1-4』(1970-71)、『The Rothko Chapel』(1971)。「String Quartet and Orchestra」(1973)、「Piano and Orchestra」(1975)、といった、ソロ楽器や独立したセクションとオーケストラによる編成のシリーズが始まる。

[後期]
1978−82年
楽譜の外見のテクスチュアがさらに緻密になり、フェルドマンが収集していた中東の絨毯の影響が顕著になる。「String Quartet No. l」(1979)、「Patterns in a Chromatic Field」(1981)、「For John Cage」(1982)など演奏を時間が1時間を超える作品が書かれる。

1983−87年
約5〜7時間の「String Quartet No. 2」(1983)、約4時間半の「For Philip Guston」(1984) など、さらに長時間の楽曲が書かれる。

 様々な視点があるが、記譜法に着目してフェルドマンの楽曲とその様式変遷をごく簡単に概観してみた。もちろん、この変化の様子は当時のフェルドマンが暮らした環境、出会った人物、夢中になっていたものなどと深く関わっている。

生い立ちからジョン・ケージに出会うまで

Morton Feldman, Amsterdam 1976

 今回はフェルドマンの1950年代前半、つまりケージらと出会った当時までたどる。執筆にあたりSebastian Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Berlin: Wolke Verlag, 2000巻末のフェルドマン年表と、その英訳版(インタヴューとレクチャー集、Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006所収)を参照した。
 モートン・フェルドマン Morton Feldmanは1926年1月12日ニューヨーク市マンハッタン区で生まれ、ブロンクス区で育った。両親は子供の頃にニューヨークに移住したロシア系ユダヤ人。父アーヴィングは兄(フェルドマンの叔父にあたる)が経営する子供服工場で働いていたが途中で独立した。1972年にニューヨーク大学バッファロー校の教授職に就くまで、フェルドマンは父が起した子供用マント会社で働いて生計を立てていた。彼が家業と作曲家業とを掛け持ちしていたことは、フェルドマン自身のインタヴューやエッセイであまり語られていない。
 1935年、9歳のフェルドマンは作曲を始める。これがどんな曲だったのか、具体的な手がかりは今のところ明らかではない。同時期にマンハッタンのロウアー・イースト・サイドでピアノを習い始める。本格的なピアノのレッスンは1938年、フェルドマンが12歳になってからで、彼にとっての初めてのピアノ教師はヴェラ・モーリナ・プレスだった。彼女はロシアでフェルッチョ・ブゾーニなどにピアノを師事した後、ニューヨークに亡命したピアニストだ。フェルドマンは自分のやりたいように音楽をやらせてくれたプレスを尊敬しており、1970年には彼女への追悼として「Madame Press died last week at ninety」を作曲した。1941年、15歳のフェルドマンはアメリカにおける十二音技法の先駆者の一人、ウォーリングフォード・リーガーに作曲を習い始め、対位法などを勉強した。当時通っていた芸術高校 Music and Arts High School 時代のクラスメイトにはシーモア・シフリンがいた。彼は後にUCLAバークレー校時代のラ・モンテ・ヤングの指導教員になった。ここに1950年代半ば以降のアメリカ実験音楽界隈の奇妙なつながりの一端を見ることができる。
 高校卒業後、フェルドマンはニューヨーク大学の入学試験を受けに行くも、他の受験生を見て自分には合わないと感じ、試験を受けずに部屋から出て行ってしまう。以降、フェルドマンは引き続きプライヴェート・レッスンで作曲を学んだ。1944年頃からフェルドマンはシュテファン・ヴォルペのもとに通い始める。彼は途中からヴォルペに月謝を払うのをやめたが、それでも作曲のレッスンは数年間続いたらしい。初期のジョン・ケージの作品のみならず、同時代の実験音楽界隈の初演を数多く手がけたデイヴィット・チュードアもヴォルペのレッスンに通っていた。フェルドマンはエドガー・ヴァレーズからも作曲のレッスンを受けようとしたが断られてしまった。だが、月に一度程度、彼のもとを訪れていたようだ。1958年、フェルドマンは「サウンド、ノイズ、ヴァレーズ、ブーレーズ “Sound, Noise, Varèse, Boulez”」という短い文章を書いている。このエッセイは、1950年代に偶然性をとりいれたブーレーズを「…きっと彼(ブーレーズ)の成功のおかげで、ヴァレーズ、ジョン・ケージ、クリスチャン・ウォルフ、そして自分(フェルドマン)自身について耳にする機会が増えるだろう。 … and it will be thanks that we will able to hear more of Varèse, John Cage, Christian Wolff and myself.」*2 と挑発し、ヴァレーズを音ないし音響soundの物理的な現実性を知らしめてくれた唯一の音楽家として讃えている。

制御を失うその瞬間にクリスタルのような音響が地平を成す。その地平を押しわけた先には響きもなく、音色もなく、感傷もない。最初の一呼吸以外に大事なものは何も残らない−これがヴァレーズの音楽だ。ヴァレーズただ一人が、このような優雅さ、物理的な実体、音楽が作曲されるというより、むしろ人類について書き表している感覚を私たちに与えている。

And those moments when one loses control, and sound like crystals forms its own planes, and with a thrust, there is no sound, no tone, no sentiment, nothing left but the significance of our first breath—such the music of Varèse. He alone has given us this elegance, this physical reality, this impression that the music is writing about mankind rather than being composed.

Morton Feldman, Give My Regards to The Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 2より

ここで引用した部分に限らず、フェルドマンの文章は高度な皮肉と批判精神に満ちていて、時に理解に時間を要する。彼はある意味きわめて雄弁な作曲家だったと言えるだろう。
 「Journey to the End of the Night」(1947)はフェルドマンがヴォルペのもとに通っていた時期に書かれた楽曲だと推測される。起伏の多い表出的なソプラノの旋律とアンサンブルの書法から、当時のフェルドマンが第二次ウィーン楽派の無調の語法を研究していたと想像できる。

Feldman/ Journey to the End of the Night (1947)

 フェルドマンにとって、ヴァレーズと並ぶ、もしかしするとそれ以上の重要な音楽家はやはりケージだろう。フェルドマンがケージと初めて出会ったのは1950年1月26日か27日、カーネギー・ホールでニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会が行われた日である。この定期演奏会のプログラムはニューヨーク・フィルハーモニックのデジタル・アーカイヴ で見ることができる。前半がケルビーニとベートーヴェン、休憩を挟んだ後半がヴェーベルンとラフマニノフからなる、現在のオーケストラの演奏会ではあまり見られない構成だ。この中で唯一ヴェーベルンの「Symphony Op. 21 for chamber orchestra」(1927/28) が観客の大半から大きな不評を買ったようだ。しかし、フェルドマンとケージはこの曲の演奏に感銘を受けた。興奮気味のフェルドマンは以前ヴォルペの家で見かけたことのあるケージに思わず「すばらしかったですよね?Wasn’t that beautiful?」*3 と声をかけた。ヴェーベルンの曲に対する失望と退屈のあまりブーイングを送った大半の観客と異なり、ケージもこの時のフェルドマンと同じ雰囲気を発していたのだろうか。この様子を自身の文章「ライナーノート Liner Notes」*4 の中で振り返るフェルドマンの筆致がドラマティックなのでどこまで真実なのかわからないが、この瞬間にふたりは出会い、意気投合した。一方、ケージはヴェーベルンの「Symphony Op. 21 for chamber orchestra」が当時の彼にとってとても強い関心の対象だったと、1950年2月にブーレーズに宛てた手紙*5 の中で書いている。作曲家としてのフェルドマンの活動は1950年1月のケージとの出会いによって一気に加速したようにも見える。

Webern/ Symphony op. 21 for chamber orchestra (1927/28)

 フェルドマンと知り合った頃のケージは、ロウアー・マンハッタンの326モンロー・ストリートに位置するボザ・マンション Bozza Mansion(このロフトの大家の名前にちなんでこのように呼ばれていた)に住んでいた。ケージと同じ階には彫刻家のリチャード・リッポルド、詩人で画家のソニア・セクラが、その下の階にはニューヨークのネオ・ダダ芸術家レイ・ジョンソンも住んでいた。ケージと知り合ってまもなくフェルドマンはここの2階に引っ越した。やがてボザ・マンションは、美術家のロバート・ラウシェンバーグ、サリ・ディエネス、ダンサーで振付師のマース・カニングハム、詩人のM. C. リチャーズ、マース・カニングハム・ダンス・カンパニーのダンサー、キャロライン・ブラウンなど、様々な分野の芸術家が行き来する場所となった。もしかしたら、当時のボザ・マンションの様子は日本でいうところのトキワ荘(手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎らが住んでいた東京都豊島区南長崎にあったアパート)に近かったのかもしれない。

 作曲のレッスンのためケージのもとを訪れていたクリスチャン・ウォルフは、ボザ・マンションを訪れていた中でおそらく最年少だと思われる。フェルドマンは当時16歳だった高校生の彼を「テニスシューズのオルフェウス」と呼んでいた。彼の父親が経営する出版社パンテオン・ブックスは『易経』の英訳版を出版していた。ウォルフがケージにプレゼントした『易経』英訳版が「Music for Changes」(1951)をはじめとする偶然性の音楽誕生の一役を担ったことはよく知られたエピソードである。ケージとチュードアがボザ・マンションで出会ったことも、ここでの重要な出来事だ。1950年代から1960年代にかけてのケージのピアノ作品に欠かせない存在であるチュードアをケージに引き合わせたのは他でもなくフェルドマンだった。ケージとフェルドマンを中心に、ボザ・マンションのコミュニティは徐々に音楽版のニューヨーク・スクール結成の機運を高めていく。ケージとカニングハムの勧めで1952年にデンヴァーからアール・ブラウンがニューヨークに移り住み、ニューヨーク・スクールのメンバーが全員揃った。だが、コンピュータや電子音楽に批判的だったフェルドマンはエンジニア畑出身のブラウンを快く思っていなかったようだ。
 ボザ・マンションに集う芸術家、音楽家はコミュニティ形成にとどまらず、創作にとって実践的な影響をもたらし始めた。とりわけ音楽に関して、ここの住人だったケージとフェルドマンを介した人脈とその交流から派生した出来事は、直接的であれ間接的であれ、現時点でわかっている以外にも数多く見られたのではないかと推測できる。ボザ・マンションから外に出ると、当時のフェルドマンにはもう1つの大事な場所があった。それについては次回とりあげる。

*1 Morton Feldman, Give My Regard to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 17
*2 Feldman, op. cit., p. 1
*3 Feldman, ibid., p. 4
*4 初出は雑誌Kulchur, Vol. 2, No. 6, summer 1962 https://fromasecretlocation.com/kulchur/ また1963年にTime Recordsから発売されたアルバム『Feldman/ Brown』のライナーノーツとして用いられた。フェルドマンの著作集 Give My Regards to The Eighth Streetに同じ文章が収録されている。
*5 The Boulez-Cage Correspondence, English version, Edited by Jean-Jacques Nattiez, translated and edited by Robert Samuels, Cambridge: The Press Syndicate of the University of Cambridge, 1993, p. 55

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は5月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (2) 先生、本当に生徒に聴かせて良いのですか?

The Weil Recital Hall Morey Hall(p) Morey Hall Recordings MH-01

Morey Hall Recordings
MH-01

2016年にSteinway & SonsのTop Teacher Awardを受賞し、今もニューヨークでピアノ教師・ピアニスト・作曲家として活動を続けるMorey Hall 先生が、1996年にカーネギーホールで開いたリサイタルの直後に同じプログラムで一発録りしたアルバムです。Steinway & SonsのTop Teacher Awardという賞がどれほど素晴らしいものかは不勉強で知りませんが、天下のSteinway & Sonsが年間のTop Teacher だと賞賛したのですから、さぞや素晴らしい教育者なのでしょう。

でも、Hall先生、これヤバくないですか? 生徒さんに聴かせて商売大丈夫ですか? 本当にこれでカーネギーホールでリサイタルしたのですか??? うーーーむ。

最初のモーツァルト(K.475、457)から、よれまくるテンポ、破綻しまくる細かなフレーズ、これ、先生の解釈なのでしょうか。前代未聞のモーツァルト演奏になっていませんか。そして、リスト。愛の夢第3番中間部。これ4分の6拍子ですよ。8分の7拍子×2じゃないですよ。そして葬送曲。不意打ちのような急速テンポ変化は先生の得意技なのですね。あと、そこらじゅうで妙なフレーズ弾いてますね。暗譜、飛びましたか? 忘れたらその場で作っちゃだめですよ。ここまでこれだけスゴければハンガリー狂詩曲第2番への期待は膨らむばかり。冒頭から3拍子っぽいリズム取り、やってくれますね。変わらぬ急発進も慣れました。ラッサンの難しいところ、ことごとく弾けてませんね、期待通りです。おっと、ラッサン終わりからフリスカのところで自作のカデンツァ入れてますね。これは洒落てるなぁ。さぁフリスカ。凄いなぁ、これ。6分06秒(194小節)から20秒にかけての珍妙なフレージング、6分50秒(236小節)の全身の生命力を奪い去るような情けないミスタッチ(確信犯なら天才)、そして8分10秒(322小節)からのリズムもテンポも楽譜も伸縮自在の泥酔したようなトンデモフレージング、ここは技巧的には簡単なのでHall先生、完全に意図的ですね……あぁ、もうきりがない。短いながらも自作のカデンツァを弾いて全曲終了、11分20秒間、お疲れさんでした。人類の録音史上、おそらくは最畸のハンガリー狂詩曲体験をありがとうございました。

CDの解説によるとBlue Sky Recordingの1996年最優秀CDにもなったそうですね。いやぁ、素晴らしい。で、Blue Sky Recordingって何?

ピアノマニアを40年くらいやってきましたが、こんなCDには他でめぐり逢っていません。「ピアノ界のジェンキンス夫人」とお呼びしましょう。ここまでやれば大したもんです。何よりもいまだに音楽活動を続け、Steinway & SonsのTop Teacher Awardに輝くところまで来たのですから感動しかありません。

で、Hall先生、改めて言いますが、本当に生徒に聴かせて良いのですか?

豪華対位法的オケ編曲! シュレーカー作「リストのハンガリー狂詩曲第2番」ほか

コダーイ/シュレーカー管弦楽作品集 ギュンター・ノイホルト指揮ブレーメン州立フィルハーモニー管弦楽団 ANTES  BM-CD 31.9084 1996年

ANTES  BM-CD 31.9084
1996年

くらくらするHall先生のハンガリー狂詩曲の後は、シュレーカー渾身のオケ版で耳掃除。歌劇作曲家として20世紀初頭のドイツでR.シュトラウスに次いで高く評価されていたシュレーカーは、リストのハンガリー狂詩曲第2番のオケ版を作ります。シュレーカー本人の興奮気味の曲紹介文がCDブックレットに載っていますが、早い話、ワインガルトナーやゴドフスキがウェーバーの「舞踏への勧誘」でやった“対位法的編曲”をハンガリー狂詩曲で徹底的にかましたぞ!というものです。ストコフスキ編の上を行っていると自画自賛もしてます。1953年にホロヴィッツが同曲の旋律を複数同時演奏するバージョンを披露していますが、その先駆的作品であり、比較にならないほどゴテゴテに対旋律で飾り立てたオミゴトなバージョンです。

曲の進行自体はほぼリストの原曲通りで、開始から2分間くらいはなんとなく対旋律っぽいのもありますが普通のオケ編曲です。衝撃は2分40秒(ピアノ版62小節目)。世代の古い私は、ラジオの混信か?CDの編集ミスで別の曲を重ね焼きしたか?と思わず再生機を確認してしまいました。有名な冒頭のフレーズに乗せてちょっとビミョーな対旋律がもわーんと始まるのです。その後、4分00秒付近やフリスカ以降は対旋律のオンパレード。曲中の旋律を使うこともありますが、シュレーカー自作のが多いですね。一番の聴き所は8分39秒(344小節)からフリスカの進行にラッサン冒頭のフレーズが朗々と重ねられ、続く8分55秒から全旋律揃い組の大カオスとなるところでしょう。計算されつくしたハチャメチャで本当に楽しい。素敵なお祭り騒ぎです。さぁ、カデンツァはどうする?と思っていると、なんとピアノ独奏。シュレーカー本人の指示ではオイゲン・ダルベール作のカデンツァを弾け、とのこと。面白いこと考えますねぇ。この演奏でもダルベールのカデンツァを弾いてますが、前半部分だけです。後半は主要旋律の重ね合わせ(ほとんど後のホロヴィッツ)なのでオケ本編とかぶると思ったのでしょうね。

このCDにはコダーイの伽藍多舞曲(よい変換だ)とハーリ・ヤーノシュ組曲も入っています。ただCDブックレットの解説の長さからしてシュレーカー1曲がコダーイ2曲の3倍くらいありますので、このアルバムの制作陣がいかにこのハンガリー狂詩曲に賭けているのか如実にわかります。そのくらい面白い対位法的編曲作品です。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

海外配信音源を聴いてみよう(1) ベルギーRTBF

日本ではまだあまり放送局やラジオ局がネットで直に番組の配信を行っていませんが、海外、特にヨーロッパでは非常に盛んです。クラシック音楽のコンサートなどのライブ音源は特に貴重で、なかなか演奏されることのないレパートリーが配信されていることも。大抵はCD化されないので、これを聴かない手はありません。

とはいえ、英語ですら大変なのに、ほかの言語でどうやって視聴したらいいの?という方もいらっしゃるでしょう。そこで各配信サイトを紹介するとともに、どうやって視聴・会員登録したらよいかを説明するのがこの連載です。

ラジオ&テレビ・ベルギー・フランス語放送

最初に紹介するのがこちらRTBF(Radio télévision belge de la communauté française)です。ベルギーの公共放送局です(Wikipedia)。こちらのコンテンツは会員登録さえすれば無料で視聴できます。音楽コンテンツは全ジャンルありますが、クラシックのヨーロッパ開催コンサート録音がやはり注目どころです。ただし、ベルギー国内からしか見られないものも(特に動画)や、ほとんどが視聴期間が限られています。いつも巡回できない、という方は、おすすめコンテンツをツイッターでご紹介しますので、ぜひフォローしてみてください。

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吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (1) 幻のピアノ秘技 必殺!クラスターチョップ ~よいこはぜったいまねをしてはいけません~

Landmarks of Recorded Pianism vol.2(米Marston 52075-2, 2020年3月)*定期購入会員先行販売
(参考)Moriz Rosenthal The Complete Recordings (英APR APR 7503, 2012年

衝撃の瞬間はハンガリー狂詩曲第2番開始から6分22秒後、フリスカの序奏部の後にやってきます。この小節の2拍めの左手、ゴワッシャア!という凄まじい轟濁音!派手なミスタッチか?いや違う、そこから7小節間、2拍めごとに計8発の轟濁音が打たれます。

Landmarks of Recorded Pianism Vol.2
Landmarks of Recorded Pianism vol.2

これは紛れもない確信犯。そのエゲツない轟濁音はおそらく手のひらで鍵盤をチョップ、いや、そんなものではない。エルボーか、いや、ヘッドバットか、ストンピングか。そうだ、尻だ、雷電ドロップに違いない。右手はリストの譜面通りを弾いているから、その体勢は!?超人業だっ!!!……などアホなことを夢想してしまわせるほど、とんでもない音のする怪演が、モーリッツ・ローゼンタールが1929年に放送録音したハンガリー狂詩曲 第2番(しかも今回初出)です。

そして7分33秒。音楽は前代未聞の轟濁音に包まれます。嗚呼、この瞬間、私の中のクラシック音楽の何か大切ものが崩れ落ちてしまった……そんな陶酔的絶望に胸は震えます。さらにローゼンタールは自作のカデンツァからエンディングでもどっかんどっかん轟濁音を振り下ろします。敬意をこめてこの奏法を「クラスターチョップ」と私は命名しました。素晴らしい(かも)。現代ではもうだれもやらない(というか、やれない)幻のピアノ秘技です。

Moriz Rosenthal - The Complete Recordings(5CD)
Moriz Rosenthal – The Complete Recordings

ローゼンタールは翌年に同曲をスタジオ録音していて、CDには続けて収録されています。が、こちらはクラスターチョップは控えめ。控えめ過ぎると盛大なミスタッチに聴こえるので使用法は気を付けないといけませんね。2012年にAPRから出ていたローゼンタール全録音(5枚組:今回のハンガリー狂詩曲は新発見なので入っていません)ではヨハン・シュトラウスの編曲もので時折「クラスターチョップ」を使っています。ただその使用頻度において今回のハンガリー狂詩曲は別格。こんなピアノ演奏も「あり」だったのかと目から鱗が大瀑布です。

Mark Hambourg ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」(日Green Door GDFS-0016, 2005年)

Mark Hambourg ベートーヴェン ピアノソナタ「悲愴」日Green Door GDFS-0016
Mark Hambourg – ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」

と、ここで他のクラスターチョッパーにも参戦してもらいましょう。その名はマーク・ハンブルク。ショーンバーグの名著『ピアノ音楽の巨匠たち』で「ハンブルクのスタイルには火山のような激しさがあった。テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわることを潔しとせず、響の上に響きを重ねるのだった。」と言われた怪物ピアニストです。とにかく20世紀前半は大人気だったようで、2,000曲以上録音したと言われています。YouTubeには爆笑モノの演奏映画映像もあります。本当に人気者だったのですね。そのミスをいとわぬスタイル故か、死後すっかり忘れられ、録音曲数の割に復刻も多くありません。

で、日本のGreen Doorから2005年に出たハンブルクの復刻アルバムが彼のチョップを記録しています。曲はシューベルト(タウジッヒ編曲)の軍隊行進曲。ハンブルクにはこの曲の録音が複数ありますが、ここに収められた1927年録音のものが強烈。快適なテンポで“テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわらず”弾き進められ、まず1分00秒頃にクラスターチョップの香りがします。ただ、タウジッヒ編の元々の譜面が濁りっぽいのでここは看過。そして来ました、3分19秒と24秒、ここは明らかなクラスターチョップ! ショーンバーグの言う通り、まさに火山の爆発、マグマの噴出です。ま、ローゼンタールに言わせればハンブルクのは単なる盛大なミスタッチと片づけられるかもしれませんがね。(補記:ちなみにのGreen Door盤の最大衝撃はあまりに自由に弾いてるショパンのワルツ5番です)

これらの演奏は、技巧的全盛期を過ぎた技巧派ピアニストの悲しき咆哮と思う人もいるでしょう。しかし、このクラスターチョップという表現は、あまりに危険ですが、たまに聴くには確かに面白い。現代のピアノ演奏からは失われたピアノ演出を見つけて楽しむのもCD集めの大きな楽しみです。

追記:お父さま、お母さまへ
お子様にこれらの録音をお聴かせして、万が一「いいね!」となりますと、お子様の腕力ではあの音は出ず、おそらくお尻で弾くことになると推察いたします。そんなことでは清く正しいピアニストにはなれませんので、決してまねをしないよう厳しいご指導をよろしくお願いいたします。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 〜開始のごあいさつ

~はじめに~

本当に便利な世の中になりました。音源も楽譜もネット上に溢れ返っています。チョチョイと検索すれば、昭和の御代には入手困難だったものがヒョイヒョイ見つかりホイホイ手に入ります。しかもYouTubeやIMSLPのおかげでほとんど無料。いーい時代です。ただ、その反面、情報がネット上に大氾濫していてかえって見つけにくいということも起きています。検索上位にくるものが良いものだという習慣的価値観も恐ろしいことです。

そこで、あえて今、不朽の名盤になれなかった(もしくは、なれそうにない)CDのニッチな魅力を、少しでも情報として刻印しておこうと紹介文を書くことにしました。細かな話や斜め見した私的見解が多いので、ネット上にはあまりない内容と思います。少しでもご興味が湧きましたら、ぜひ音盤をご検索ください。驚くことにかなりの確率で見つかります。古いCDでもamazon中古市場で買えることがあります(ものによってはバカ高いですが……)。NaxosやiTunesなどの配信サイトにも大量の音源があります。もちろんYouTubeが安くて便利ですがね。ただ、できればCDを手に入れてほしいと思います。演奏者自身の想いの詰まったコメントや超マイナー領域研究者の執念の解説などをブックレットで読むことができるからです。録音データや原盤番号、使用楽器、プロデューサー情報もCDには記載されることの多い貴重な情報です。どうか頑張って散財してください。

自分の趣味嗜好からピアノ曲を中心に書いていきます。ピアノは独りで完結できる楽器なので、演奏者の個性が最もよく出ると思います。つまりそれだけヘンナモノが出やすくオモシロイのです。お暇なときにもご一読いただければ幸いです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

【編集者による連載紹介】
本連載を担当する吉池拓男氏の文章には、90年代末にMarco PoloやNaxos、CPOの日本語カタログで初めて出会いました。今でこそ知らない作曲家の曲でも気楽にネットで聴けますが、当時はCDやレコードが唯一の資料。名前も知らない(ひょっとしたら読み方も知らない)作曲家のCDを、独特のユーモア溢れる筆致で紹介した文章は、これら未知の作品への興味を大いに掻き立てくれたものです。あの面白さを令和にもお届けできればとこの連載を依頼しました。紙媒体では決して読めない情報がふんだんに出てきます。どうぞご期待ください。

【12月23日発売新刊情報】福間洸太朗 編曲「ラ・ヴァルス」(ラヴェル作曲)

福間洸太朗 編曲「ラ・ヴァルス(原曲:ラヴェル作曲)」の楽譜を12月23日より発売します。32ページで価格は2,500円(税抜)となります。本曲は福間の最新アルバム「France Romance」に収録されたもので、コンサートでも演奏されているものです。当社サイトでの直販のほか、全国の楽器店や書店からもご注文いただけます。また一般発売に先駆けて、12月21日 – 岩手「北上さくらホール」の福間洸太朗コンサートにて先行発売いたします。

ラ・ヴァルスは作曲者自身によるピアノソロ編曲がありますが、よりオーケストラに近い響きを求めて多くのピアニストが自身の編曲を作っています。福間の編曲はその中でも最も多くの音を捉えたものとなっています。ぜひお手に取り、音源と合わせてお楽しみください。

先行予約注文を承っています。23日までの注文は送料無料でお届けいたします。
https://muse-press.com/item/mp00103/

左手のためのピアノ曲集 出版開始のお知らせ

世界唯一の“左手のためのピアノ曲”普及に努める団体「左手のアーカイブ」の協力を得て、この度、バッハとレーガーの左手のためのアレンジを出版することになりました。高度な技巧が求められるレーガー(原曲は無伴奏ヴァイオリン曲)、中級者から上級者まで演奏できるバッハの前奏曲集(原曲はオルガンおよび鍵盤曲)を最初に出版します。今後、左手曲を継続して出版予定です。ご期待ください。

・J.S. バッハ「前奏曲集vol.1」田中博幸 編曲

https://muse-press.com/item/mp03301/
ピアニストの学習過程において必須であるバロック時代のレパートリーには左手のための曲が存在しません。そこで、編曲者の田中博幸はバッハの原曲を最大限に尊重した編曲を行いました。田中はバッハを題材にした編曲を継続して行なっていることで海外にも知られています。バッハ編曲集は今後も継続して出版予定です。

・レーガー「シャコンヌ 作品117-4」西森久恭 編曲

https://muse-press.com/item/mp03201/
バッハのシャコンヌに影響されて書かれた「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」。その曲を左手ピアノのために編曲するというのは、ブラームスによるバッハのシャコンヌ左手編曲を彷彿とさせるものです。西森はここであえて原曲を自由に解釈することで、左手のみの演奏による可能性を極限まで追求した作品を完成させました。本曲は、左手のアーカイブ主催の智内威雄によって2019年12月4日神戸にて初演されました。

2019年9月・新刊情報

大変お待たせしました。9月6日に以下の6作品を出版することとなりました。発送は出版日以降となります。追加:諸井三郎、松村禎三の作品9月末に出版となりました
-ロン・イェディディア:狂詩曲(ピアノのために)
-ロン・イェディディア:ピアノソナタ 第6番「暁の鐘」
-アルフォンソ・ソルダーノ:ラフマニノフの歌曲による5つのピアノ編曲 第1巻 (2019)
-シャルル=ヴァランタン・アルカン:練習曲「野蛮に」(序文:レイモンド・ルーウェンサール)
-平尾貴四男:夜曲 – ヴァイオリン、チェロとピアノのために
-レスリー・ハワード:「ラディゴア」- サリヴァンのオペラによるピアノのための演奏会用幻想曲 作品40
-諸井三郎:悲歌 ロ短調 – ピアノのために (1921)
-諸井三郎:ピアノのための組曲 作品23 (1942)
-松村禎三:ピアノ小品「溺死」

ニュースレターおよび中古販売開始のお知らせ

日頃よりミューズ・プレスをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。この度、弊社は古物商免許を取得しましたので、近々中古楽譜の販売を開始したいと思います。ヨーロッパで買い付けたかなり珍しい楽譜も取り揃えてあります。

また、中古販売に関し、どのように皆様にお知らせするのが一番良いかを考え、この度ニュースレターを開始することといたしました。下記より登録可能です。中古販売情報はニュースレターが最速となると思います。配信は不定期で、中古販売情報のほか、新商品やその他注目情報などを伝えていきたいと思います。

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