吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (27) 嘘か誠か イタリアの不思議な音

Fiorentino EDITION vol.2 THE COMPLETE LISZT RECORDINGS  Sergio Fiorentino(p) PIANO CLASSICS PCLM0041(6枚組) 2013年
Fiorentino EDITION vol.4 EARLY RECORDINGS 1953-1966 Sergio Fiorentino(p) PIANO CLASSICS PCLM0104(10枚組) 2016年

セルジオ・フィオレンティーノ(1927~1998)は謎の多いピアニストです。メジャーレーベルからのレコードリリースはありません。来日公演もなく、少なくとも存命中に日本国内では全く知られていませんでした。いくつものコンクールに優勝したとされてますが、入賞歴ゼロという記述もあります(1947年のジュネーヴで2位は確か)。わかっているのは演奏活動を始めて間もない1954年に、南米であわやの飛行機事故に遭遇し、以降トラウマで飛行機に乗れなくなって、演奏活動から身を引いてしまったこと。教職に専念する一方で、マイナーレーベルで細々と録音を続けていたこと。しかもそれらは架空のピアニストの名前で売られていたりしたこと。積極的に演奏活動を始めたのはもう晩年になってからだったことなどなど。

で、少なくとも遺された録音から判断するに、素晴らしいピアニストであったことは間違いありません。ミケランジェリは「イタリアで俺以外でピアニストと呼べるのはフィオレンティーノだけだ」と言っていたそうです。ピアノ編曲者としても独創的で優れた作品を多く遺していて、ラフマニノフのヴォカリーズなどは恐ろしく少ない音なのにピアノが無駄なく鳴る見事な技を見せています。ワイルド編の対極ですね。復刻はAPRなどから行われていましたが、2012年からPIANO CLASSICSで全4集計28枚のCDが体系的にリリースされ、彼のスタジオ録音のほぼ全貌が明らかになりました。この中の第2集と第4集が今回ご紹介するCDです。彼が表舞台から姿を消していた時期(1950年代・60年代)に録音されていたもので、壮年期の演奏を堪能できます。ただ、これらの演奏を凄い、凄いと手放しで悦ぶには少し躊躇する点があります。それは当時の彼の録音の担当者がWilliam H. Barrington-Coupeだったということです。こやつはあのJoyce Hattoの夫、つまり“ハットー事件”の主犯なのです。Barrington-Coupeは、自分のConcert Artistというレーベルから、他人の演奏を勝手にピックアップしてデジタル処理で手を加えて(時には本当に“改良”してしまって)CD化し、妻のハットーの名義で次々と発表していました。さらにBarrington-Coupeはフィオレンティーノの名前でも大量の偽録音を出していました。その真贋を区別したサイトもあるほどです。音楽詐欺と改竄の権化のような人物が関わっていたのですから、その演奏の真贋や質などにもどうしても疑いの目が光ってしまいます。ただ、PIANO CLASSICSから出た28枚は、晩年のフィオレンティーノと親交のあったErnst A. Lumpe(LP時代の匿名・偽名演奏の発掘と特定の研究家。上記真贋サイトの作成者)がプロデュースしています。Lumpeは研究家の観点から偽録音を除外し、真贋という点ではかなり信用はおけるものとなっていると思われます。

Fiorentino EDITION vol.4 EARLY RECORDINGS 1953-1966よりCD9

前置きが長くなりました。このPIANO CLASSICSのフィオレンティーノの演奏には演奏の良し悪しはさておき、不思議な音のする録音が含まれています。それは第4集「EARLY RECORDINGS 1953-1966」のCD9に収められたショパンのアンダンテ・スピアナートop.22。初めてこの演奏を聴いたとき、家庭内BGMとしてながら聴きしていたこともあって「あれぇ、アンダンテ・スピアナートだけど変な編曲しているなぁ。左手パートだけハープで演奏してる。」と思ったのです。演奏を確認してみてビックリ。フィオレンティーノによるピアノソロ演奏でした。慌ててきちんと聴き直しましたが、やはり左手の伴奏部はハープに聴こえます。当然のことながら、アンダンテ・スピアナートに続いて華麗なる大ポロネーズも演奏されていて、そこでは全くハープ音は聴こえません。さらに言うと、この録音は1960年9月11~13日にハンブルクでポロネーズ全16曲+op.22を一気に録った時のものなのですが、他の曲からはここまでのハープ音は聴こえません。強いて言うなら幻想ポロネーズの冒頭部分で少しする程度でしょうか。実に不思議で、しかも美しい音色です。使用したピアノに関するデータはありません。フィオレンティーノはヴィンテージピアノにも関心が高く、古いエラールでの録音も遺しています。このポロネーズ全曲録音もそうしたピアノを使用した可能性があります。所々、ヴィンテージっぽい音がしなくもないです。ただ、零細なマイナーレーベルの一気録りにそういうこだわりが通用したかは疑わしい所です。単に安く調達したのがくたびれかけた楽器だったのかもしれません。この録音にはさらなる逸話があります。Barrington-Coupeはこの全曲録音は出来が悪いとして、5年もお蔵入りさせた後、フィオレンティーノではなく架空のピアニスト名の廉価版LPで発売してしまうのです。のちの音楽詐欺師の一端を垣間見るようなエピソードです。では本当に出来の悪い演奏なのか? 私は全くそうは思いません。Op.22のポロネーズは豪快ではないもののキレッキレですし、英雄のあのズダダダズダダダ部分の加速も羨ましい限りです。なんといっても普通はつまらない8番以降の初期作品をイイ歌いまわしと指さばきで聴かせ倒してくれます。そしてアンダンテ・スピアナートの不思議で魅力的な音。ショパン・ポロネーズ全17曲版の録音としては相当イケてる仕上がりと思いますが、如何でしょうか。

Fiorentino EDITION vol.2 THE COMPLETE LISZT RECORDINGS

音と言えば第2集「THE COMPLETE LISZT RECORDINGS」のCD3(APRから出ていた「Contemplative Liszt」というアルバムと同じ内容)にも特徴的な録音があります。このTrack 1の前奏曲「泣き、嘆き、悲しみ、慄き」はピアノの音自体がとても悲しいのです。音楽が悲しいだけでなく音そのものにこれほどの悲しみが籠っているのは、ラフマニノフの弾いたシューベルトの「セレナーデ」やリパッティの弾いた「イエス、私はあなたの名を呼ぶ」と並ぶものと思います。録音が古いだけじゃん、なんて突っ込みは野暮というもの。フィオレンティーノの場合、同じ日に録音された楽曲も収録されていますが、音の悲しさはTrack 1がの前奏曲「泣き、嘆き、悲しみ、慄き」が頭抜けています。演奏家の力と録音条件がコラボした素敵な偶然をこのCDで素直に楽しめます。

……で、やはりふと思うのです。この不思議な音も、想像以上に良い演奏も、本当に本物なのだろうか、と。音楽詐欺師の錬金術に惑わされているだけなのではないか、と。

哀しいことです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(8) 垂直な経験、垂直な時間 1960年代前半の楽曲-2

2 垂直な時間――無限の「今」

 フェルドマンの「垂直」が意味するものと、彼がこの概念に対して抱く具体的なイメージをもう少し詳しく考察してみよう。1966年12月28日に収録されたケージとフェルドマンのラジオ対談シリーズ Radio Happenings[1]第3回の中でフェルドマンはこの時できたばかりの曲について話している。

フェルドマン: 今朝、終止線を引いて1曲完成させたばかりで……大きな規模の室内楽曲だ。その曲は私の3台ピアノのための曲(訳注:「Two Pieces for Three Pianos」(1965-66))にそっくりで、3つの違う出来事が同時に起きる。実際は3つの曲が重ねられているわけではなく、この3つは1つの曲を作るために進み行く出来事にすぎない。曲ができるまで長かった――たった6ページ書くのに何ヶ月も何ヶ月も何ヶ月も要した。

ケージ:すばらしい。空間に対してあなたは今どう考えているの? 例えばあなたはさっき3つの出来事を同時に進ませると言っていたけれど、3つの出来事をその空間内の別々の場所で引き起こそうと考えたのか、それとも、それらが一緒に起こるようにしたいのか?

フェルドマン:そうではなくて、3つの出来事は空間内のそれぞれ違う場所にある。

Feldman: I just drew the double bar line this morning on a work for… well, it’s a large chamber work. It’s very much like my three-piano piece, where there are three different things going on at the same time. They’re not really three pieces superimposed, they’re just three things going on to make one. And it took so long—months and months and months of work just to write six pages.

Cage: Beautiful. What is your attitude now toward space? Say you had three things like this, going on at once, does it enter your mind to have them happen in different points in the space, or do you want them to happen together?

Feldman: No, they’re at different points in the space.[2]

ここでフェルドマンが言及している自作曲を編成と作曲時期から推測すると「3台ピアノのための曲」は「Two Pieces for Three Pianos」(1965-66)。この対談の日にできたばかりの曲は編成が「大規模な室内楽曲」であること、「3つの違う出来事」が起こること、1966年12月28日までに初稿が完成していることから「Chorus and Instruments Ⅱ」(1967)と見てよいだろう。

Feldman/ Two Pieces for Three Pianos (1965-66)[3]
Feldman/ Chorus and Instruments Ⅱ (1967)

 「Chorus and Instruments Ⅱ」の編成も1960年代の楽曲に顕著な風変わりな組み合わせで、混声四部合唱、チューバ、チャイムから成る。フェルドマンが言う「3つの違う出来事」は性質の異なるこれら3つのパートを指している。この曲は自由な持続の記譜法で書かれており、3つのパートが単独で現れたり、重なったりと、様々な響きによる出来事が起こる。演奏を聴くと、冒頭に3つのパートがやや独立した動きを見せる以外はおおよそ同期している印象だが、上記のフェルドマンの説明によれば、この曲では3つのパートはひとまとまりとして扱われるのではなく、それぞれが異なる箇所で起きている。1つの空間、つまり楽曲の中に異なる複数の出来事を引き起こすフェルドマンのアイディアに興味を持ったケージは、フェルドマンからこのアイディアについてさらに聞き出そうとする。

ケージ:その空間内での違う場所。

フェルドマン:そう。私は様々な制御を行っていて、たいてい無音は測られる。無音は密接にまとまってというよりも、単に異なる空間で起きるだろうということ。でも、私がここで追求しているのは完全に垂直な道程。ほら、私たちは水平については知り尽くしているし。

JC: Different points in the space.

MF: Yes. I utilize various controls, mostly the silences are measured. That’s only that it will happen in different spaces rather than close together. But what I’m pursing is the whole vertical journey. You know, we know everything about the horizontal.[4]

先に引用したエッセイ「Vertical Thoughts」では自分の意志を制御していると書いていたフェルドマンは、この対談が行われた1966年12月末の時点で「様々な制御 various controls」を行っていると述べる。「測られる」無音も彼の「様々な制御」の対象に入るが、無音の状態は曲中の全てのパートが足並み揃えて起きるのではなく、異なる空間で各々起きるのだとフェルドマンは言いたいのだろうか。普通に考えれば、このような状態は制御とは逆の、あるいは違う状態を意味するはずだが、フェルドマンはこのバラバラな制御の取れていない状態を「完全に垂直な道程」として追求している。フェルドマンの「垂直」についての説明はさらに続く。

フェルドマン:だが、垂直はこんなにも奇妙な経験だ。なぜなら、子供の頃にあの遊びをやったことはある?グラスに水を満杯になるまで注いで、ペニー硬貨をそこに落とし続ける…

ケージ:それでも水は溢れないんだっけ?

フェルドマン:そう、溢れないのでグラスの半分をペニーが占めることになる。こうして私は垂直というものを発見した――そこにいくつ音を投げ入れようと、まだ満たされない。(中略)今、私は実際に3つの曲をこの同時性の中に投げ入れた。もっと多くを入れることができたかもしれないけれど(笑)。この同時性は十分な空間と空気に満ちていて、まだ呼吸している。この同時性には際限がなく、その同時性は無条件に透明性を保っている。

MF: But the vertical is such a strange experience, because it’s like, did you ever play this game, when you were a kid, where you will the water right up to the top on the glass and you keep on adding pennies…

JC: And it doesn’t spill over?

MF: And it doesn’t spill over, and you have half of the glass full of pennies. And that’s how I find the vertical—that no matter how many sounds I throw into it there is a hunger…… Now I threw three pieces, actually, into this simultaneity and it could have much more (laughs), it’s so full of space, so full of air, it’s still breathing. It’s endless and it absolutely keeps its transparency.[5]

フェルドマンは水を満杯に入れたコップに硬貨を入れる遊びにたとえて、垂直の意味するところを説明している。このたとえはわかりやすい。1つの空間と時間に複数の出来事を、つまり音をいくつ投げ込もうと、その空間と時間は決して溢れることはなく無限に受け容れられる。投げ込まれた音は1つの空間と時間の中に垂直に積み重なり、その高さが絶えず更新されていき、同時に起きる音の数にも際限がない。さらには「その同時性は無条件に透明性を保っている it absolutely keeps its transparency」ので、出来事が垂直に重なる一連の過程――音が生じて減衰し、次の音が生じる過程――を常に耳で把握することも可能だ。このような音の積み重なりの過程を、音が垂直な柱や帯のように無限に積み重なっていくイメージとして捉えることもできる。「垂直な」音楽では、その都度の音の積み重なりの瞬間が次々と起こるが、それぞれの瞬間は互いに関係性や連続性を構築しない。フェルドマンがここで言おうとしている垂直は、出来事が起きる瞬間を指し、その出来事は次に起きる出来事に打ち消されてしまうので際限がない。コップの中にいくら硬貨を投げ入れても水が溢れないのと同じく、その瞬間の中にいくら音を投げ入れても溢れることはないのだ。

 本稿は言説と楽曲の例を用いてフェルドマンの垂直の概念を解き明かそうとしている。だが、元も子もないことを承知で言うならば、この概念は楽曲の構造、作曲技法、記譜法だけでなく聴き手の経験に深く依拠しており、垂直にまつわる問いはどうしても主観的な議論にならざるを得ない。フェルドマンの文章や発言だけを論拠としていては、なおさらその傾向が強まる。そこで、次に参照するのは第6回でも言及したJonathan Kramerによる音楽的な時間についての論考である。ここでKramerは主に音楽の構造の観点から、ある特定の傾向を持った音楽に「垂直な時間」の概念を当てはめている。Kramerの議論もその音楽の聴き方、感じ方にある程度依拠しているので恣意性を完全には否定できないが、これまで紹介してきたフェルドマンの文章や発言よりは理解しやすい。フェルドマンが描いていた垂直の意味やイメージを把握するための補足材料として、Kramerの議論を参照してみよう。

 Kramerは“New Temporalities in Music”[6]の中で、連続的に発展する調性音楽の時間を線的な性質 linearityとみなし、20世紀以降に現れたいくつかの新しい音楽的時間のあり方を分類した。「垂直な時間vertical time」も新たな音楽的時間の1つとして解説されている。垂直な時間を論じる際の楽曲例として言及されているのはケージの「Variations Ⅴ」(1965)、スティーヴ・ライヒの「Come Out」(1966)、フレデリック・ジェフスキの「Les Moutons de Panurge」(1969)の3曲。ケージの曲については、フェルドマンの曲にも見られる、その都度の出来事がただ起きるだけという点で垂直な時間の特性が当てはまる。ライヒとジェフスキの曲については、物語性のない反復が絶えず積み重なる点で垂直な時間の特性が当てはまる。ここでKramerはフェルドマンの曲には触れていないが、フェルドマンが「垂直」について頻りに語り出したのが1960年頃、Kramerのこの論文が刊行されたのが1981年であることを考えると「垂直な時間vertical time」に関してKramerがフェルドマンの音楽と言説を意識していた可能性は皆無ではないだろう。[7]

Cage/ Variations Ⅴ(1965)
Steve Reich/ Come Out (1966)
Frederic Rzewski/ Les Moutons de Panurge (1969)

 フェルドマンは「…Out of ‘Last Pieces’」の楽曲解説で「水平な連続性を断ち切る」ことについて書いていた。Kramerの以下の箇所は実際にフェルドマンのアイディアを代弁しているわけではないが、音楽の連続性を作る一要素であるフレーズが最近まで全ての西洋音楽に浸透していていたことを指摘したうえで[8]、フレーズを必要としない新しい音楽的な時間、「垂直な時間」について次のように述べている。

だが、いくつかの新しい楽曲はフレーズ構造が音楽の必須要素ではないのだと示してくれる。その結果、ただ1つの現在がひきのばされてとてつもない長さとなり、それにもかかわらず一瞬のように感じられるかもしれない無限の「今」が現れる。私はこのような音楽における時間の感覚を「垂直な時間」と呼ぶ。

But some new works show that phrase structure is not a necessary component of music. The result is a single present stretched out into an enormous duration, a potentially infinite “now” that nonetheless feels like an instant. I call the time sense in such music “vertical time.”[9]

 ここでKramerははっきりと「垂直な時間」を定義している。「垂直な時間」の中では私たちが生きている現実的な時間の長さとは関係なく、そして数秒先と数秒後の時間とも結びつかず今がひきのばされる。こうしてひきのばされた無限の「今」が音楽とともに更新されていく。これも結局は聴き手の受け止め方に依拠する経験的な側面から逃れられない言説だが、Kramerがいう無限の「今」は、同時性の中にいくら音を投げ入れようと音が際限なく積み重なっていくフェルドマンのコップのたとえと類似した発想だと言えるだろう。垂直な時間の音楽が時間の経過とともにたどる道程は以下のように描写されている(以下の箇所は解説よりも描写という言葉がふさわしい)。

垂直な楽曲は徐々に蓄積される結末を見せない。このような楽曲は始まるのではなくて単に動き出す。クライマックスを構築せず、楽曲内に起きる期待を敢えて抱かせず、偶然生じるかもしれないどんな期待も満たそうとせず、緊張を醸し出すこともその緊張を解くこともせず、終わりもしない。ただ止まるだけだ。

A vertical piece does not exhibit cumulative closure: it does not begin but merely starts, does not build to a climax, does not purposefully set up internal expectations, does not seek to fulfill any expectations that might arise accidentally, does not build or release tension, and does not end but simply cease. [10]

 起承転結やなんらかの物語構造を持った音楽の場合、ひとたび楽曲が始まると途中でなんらかのドラマティックな展開を見せてクライマックスに達し、結末を迎える。音階内の音や和音がそれぞれの機能に即して動く調性音楽はあらすじを描き、その通りに曲を展開させるのに適している。一方、ここでKramerが描写している垂直な楽曲は物語構造を持たず、ただ動き出して止まる。その瞬間に鳴らされた音の響き自体に緊張感や緊迫した印象を聴き取ることができるかもしれないが、その楽曲が演奏されている間に起きる音楽的な出来事が互いに結びついて緊張や弛緩の効果を生み出すわけでもない。あくまでも音楽的な出来事はそれ自体で完結しているので、部分と全体という関係性でその曲を捉えることもここではあまり意味がなくなってしまう。垂直な音楽の成り行きは、音のアタックよりも減衰に注意を促し、響きの偶発的な混ざり合いによって聴き手を前後不覚に陥れる自由な持続の記譜法の1960年代のフェルドマンの楽曲の特性と重なる部分が多い。

 その音楽が聴き手にもたらす時間の特性にも着目した、経験的ともいえる「垂直」の概念は楽譜を凝視するだけでは把握しにくいフェルドマンの「なんとも言い難い」楽曲に迫る際の一助にもなり得る。経験的な側面を持つ「垂直」を理解するには、その音楽を実際に経験している時の聴き手としての主体、つまり自分の存在を完全に消し去る必要はない。楽譜から読み取ることのできる情報に限界がある場合、「どう聴こえたか」を詳細に検討することでようやく見えてくる。特にフェルドマンの「なんとも言い難い楽曲」においては、その曲を聴いている自分の経験や感覚も情報源として役に立つ。この連載で行っている楽曲分析は、主に楽譜に記されている情報を頼りにしているが、フェルドマンの楽曲に関しては聴取に基づく経験的な側面と、楽譜から読み取ることのできる実証的な側面の両方が常に必要だ。

 「垂直な時間」、「垂直な音楽」を完全に客観的な視点から実証するのは不可能に近いが、Kramerの議論を参照することでフェルドマンが言おうとしていた「垂直」に多少は近付けたかもしれない。この種の議論は図やイラストを使うとさらに理解しやすくなるだろう。今回はあえて文章のみでどこまで「垂直」を描写し、解説できるのかを試してみた。だが、本稿は音楽を扱っているので言説のみで完結するわけにはいかない。楽曲に戻り、「垂直」が音楽の中にどう現れているのかを見ていく必要がある。次のセクションでとりあげるピアノ独奏曲「Piano Piece (to Philip Guston)」(1963)も和音が配置されただけのフェルドマン特有のなんとも言い難い曲だが、フィリップ・ガストンとの親交の様子などを参照しながら、この曲の「垂直」を見つけてみよう。


[1] Morton Feldman and John Cage, Radio Happenings Conversations-Gespräche, Köln: MusikTexte, 1993
[2] Ibid., p. 107
[3] リンク先の動画では「Two Pieces for Three Pianos」の作曲年代が1969年と表記されているが、パウル・ザッハー・アーカイヴでの資料調査に基づいてSebastian Clarenが作成した作品カタログ(Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000に収録)によると、この曲の作曲年代は1965-66年。
[4] Ibid., p. 107
[5] Ibid., p. 109
[6] Jonathan D. Kramer, “New Temporalities in Music”, in Critical Inquiry, Spring, 1981, pp. 539-556
[7] 例えば、Kramerの論考”Modernism, Postmodernism, the Avant Garde, and Their Audiences,” in Postmodern, MusicPostmodern Listening, New York: Bloomsbury, 2016, pp. 47は音楽的な時間に関する論考ではないが、Kramerはフェルドマンをラディカル・モダニストと位置付けている。フェルドマンの存在がKramerの研究の範疇に入っていたと考えることができる。
[8] Kramer 1981, op. cit., p. 549
[9] Ibid., p. 549
[10] Ibid., p. 549

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は12月1日の予定です)

【楽譜予約受付開始】ショパンの練習曲による「幻のエチュード」(レオポルド・ゴドフスキー)

本日はレオポルド・ゴドフスキーの命日です。

ピアノの仏陀(The Buddha of the Piano)とまで称されたゴドフスキーはピアニストとしても世界中で大活躍、作曲家としては主にピアノの作品を残しています。その中でも特筆される「ショパンの練習曲によるエチュード」ですが、この曲集について彼は「未来のピアニストに向けて書いている」と語ったという逸話も残っています。演奏するには相当なテクニックを要します。挑戦する者も多く現れましたが作品がもつ本来の持ち味を発揮できず、また「ショパンのエチュードをより難しく編曲しただけ」という誤解がなされ、故に長い間正当な評価を得ることができませんでした。

近年では、カルロ・グランテ、フランチェスコ・リベッタ、マルク=アンドレ・アムラン、ヴァディム・ホロデンコといった名ピアニストが取り上げ、録音も行っており、この曲集を評価する声が一層強くなっています。

西村英士によると、ある時、ゴドフスキーがウィーンの自宅を離れ、夏季休暇でベルギーに滞在している際に第一次世界大戦が勃発してしまいました。ゴドフスキーは自宅に戻ることができなくなり、やむなくイギリス経由でアメリカへ避難。持っていたのは旅行用の荷物だけで、4台のピアノ、膨大な楽譜コレクション、執筆中作品の自筆譜などはすべて自宅に置き去りとなりました。そして、ゴドフスキーの秘書を務めたJohn George Hindererは

第1次世界大戦勃発時、ウィーンのゴドフスキー家に10曲の「ショパンのエチュードによる練習曲」の楽譜が残されていた。

と記しています。大変嘆かわしいことに、現在もそれらの自筆譜の所在地はわかっていません。ゴドフスキーファンにとって肩を落とすような出来事ではありますが、そんな中、今回お届けする新刊は「ショパンのエチュードによる練習曲」から紛失していたと考えられていた幻の2作品です!

行方不明と考えられていたNo.30Aの自筆譜(未完成)

2作品とも未完成ではありますが、ゴドフスキーがどのように作品を展開していくつもりだったのか、その後の流れは十分に妄想を膨らませることも可能です。No.30AはショパンのOp.25-3を行進曲風に編曲(僅か12小節のみ…)、No.50はOp.10-2とOp.25-4とOp.10-11(有名な「木枯らし」)をなんと同時に鳴らすという驚異的なことをやってのけています。ちなみにNo.50Aは「木枯らし」で例えると再現部まで完成しています。補筆完成も夢ではないかもしれません。また、西村英士による充実した解説も必読です。

今回、これらの自筆譜の複写を快く提供してくださったピアニストのマルク=アンドレ・アムランも「今回のこれらの作品の出版はピアノ愛好家にとって大変喜ばしい出来事になるでしょう」と語っています。

行方不明と考えられていたNo.50の自筆譜(未完成)

2020年11月21日から予約受付を開始します。なお、予約限定付録としてNo.44A(未完成)の楽譜が付属します!

ご予約はこちらのページから可能です。

レオポルド・ゴドフスキー:ショパンのエチュードによる練習曲(未完成)
No. 30A & No. 50
解説:西村英士
価格:2000円(税込)
ISMN:979-0-707804-05-6


西村英士
 東京大学、京都大学大学院卒業(医学博士)。東大ピアノの会OB。ピアノを田中智子、高須久子の両氏に師事。安田正昭氏、高須博氏の指導も受ける。国際アマチュアピアノコンクール2016 A部門第1位、同コンクール2015 B部門第1位、第18回大阪国際音楽コンクール ピアノ・アウトスタンディング・アマチュア部門第1位、第36回PTNAピアノコンペティション グランミューズ部門B2カテゴリー第1位、第1回東京ピアノコンクール アマチュア部門第1位。1994年、メシアン「みどり児イエスに注ぐ20のまなざし」全曲演奏。日本初演作品はメシアン「前奏曲(遺作)」「シャロットの妖姫」「視奏講義用小品」、ソラブジ「3つのパステーシュ」(KSS 31-1, 3)、ハーバーマン「ソラブジ様式で『月の光に』」、アムラン「全ての短調による12の練習曲第3番『パガニーニ=リストによる』」、グリエール/ルーウェンサール「バレエ『赤いけしの花』より『ロシア水夫の踊り』」、レイトン「5つの練習曲」(Op. 22-1, 3, 5)など多岐にわたる。ゴドフスキー「ショパンのエチュードによる練習曲集」の楽譜で解説をアムランと共同執筆(ヤマハミュージックメディアより出版)。ゴドフスキー「ジャワ組曲」、E. シュルホフ作品集の楽譜でも校訂、解説執筆を手がけたほか、ゴドフスキーに関する雑誌記事やCD解説を多数執筆している。2017年、初CD「コンポーザー=ピアニストを称えて」をリリースした。
http://www.nanasakov.com/1019.html

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(8) 垂直な経験、垂直な時間 1960年代前半の楽曲-1

(筆者:高橋智子)

 前回は1960年代前半から始まったフェルドマンの新たな記譜法「自由な持続の記譜法」について解説した。この記譜法の実践をとおして、彼は「垂直な構造」の視点で音楽を捉え直そうと試みたのだった。今回は1960年代のフェルドマンの音楽を語る際に鍵となる概念の一つ「垂直」を主に音楽的な時間の視点から考える。

1 垂直な経験

 前回解説したように、フェルドマンは音の特性を、音が発せられる瞬間のアタックではなく音が消えゆく際の減衰とみなしていた。実際、これまでの楽曲の大半にはダイナミクスやアタックを極力抑える演奏指示が記されており、音が鳴る瞬間よりも消えるプロセスに重きが置かれているのだとわかる。拍子記号と小節線を持たない五線譜に符桁(音符のはたの部分)のない音符を記す自由な記譜法の楽曲では拍節やリズムの感覚はほぼ皆無に近く、比較的ゆっくりとしたペースで音が鳴り、前後の音の響きが混ざり合い、響きが消えてゆくプロセスが繰り返される。前回とりあげた「Durations」1-5(1960-61)と「For Franz Kline」(1962)は音楽が時間とともに展開も前進もしない。たしかに現実世界での時間はその音楽が演奏された分だけ経過しているが、その音楽が聴き手にもたらす時間の性質は、進んでいく感覚や発展していく感覚とは異なる。「Durations」も「For Franz Kline」も、この非常に単純なプロセス――音が鳴る、響く、消える、次の音がまた鳴る――が曲の長さの分、開示されるだけであって、個々の要素が結合して時間の経過とともに全体像を構築する類の音楽ではないことは一聴して明らかだ。それぞれの楽器や声の音色の出自を曖昧にし、さらには音のアタックを可能な限り抑えることで、フェルドマンは自由な持続の記譜法の楽曲で音の減衰を聴かせようとしたのだ。なぜ彼はこれほどまでに音の減衰にこだわるのだろうか。ここで手がかりとなるのが「Vertical Thoughts」と題された彼の短いエッセイである。冒頭で彼は音の先在的な特性「音それ自体 sound itself」を絵画における色になぞらえて次のように述べている。

色がそれ自体の大きさを持っていると主張すれば、画家は自分の願望はさておき、色のこの主張に同意するだろう。彼は、例えばドローイングや差異を作る他の方法で色をまとめるために色の幻影的な要素に頼ることもできるし、色を「あるがままに」しておくだけでもかまわない。近年、音もそれ自体の大きさほのめかしたがっているのだと、私たちはわかってきている。この考え方を追究していると、私たちが音を「あるがままに」したいなら、差異を作り出したくなる欲求はどんなものでも放棄されるべきだと気付く。実際に私たちは、差異を作り出す全ての要素が音それ自体の中に先在していたことをすぐに知るようになる。

A painter will perhaps agree that a color insists on being a certain size, regardless of his wishes. He can either rely on the color’s illusionistic elements to integrate it with, say, drawing or any other means of differentiation, or he can simply allow it to “be.” In recent years we realize that sound too has predilection for suggesting its own proportions. In pursuing this thought we find that if we want the sound to “be,” any desire for differentiation must be abandoned. Actually, we soon learn that all the elements of differentiation were preexistent within the sound itself.[1]

フェルドマンが言う「differentiation」をここでは「差異を作ること」と解釈した。この差異は、手付かずの生来の特性や素材に何かしらの方法で特徴を加えて、別のものとして際立たせることを意味する。この営みは素材の加工、つまり材料から何かを作り上げる創作のことを指すともいえる。素材の加工は生(なま)の素材に特徴を与える差異化の営みだと言ってもよいだろう。これに対する概念が「色そのもの」または「音そのもの」だと据えることができる。「音そのもの」が具体的に音のどのようなあり方を指すのかは各人の見方や捉え方によって大きな違いがあるが、フェルドマンは人間の手に染まっていない音があるはずだと思い込んでいたか、信じていたはずだ。音の生来の姿の追求は、音楽の抽象性を追求した1950年代の彼の創作から一貫している態度でもある。音の去り際である減衰の中に聴こえる音響は、特にピアノのような楽器においては、電子音響のように完璧に人間の手で制御され得ない。人間の手の及ばない音の去り際にフェルドマンは音の本来の姿を見出した。

 作曲家自身が自由に音を操ることと、音を生来の姿のままに自由にしておくこととの関係をフェルドマンはどのように捉えていたのだろうか。

ある曲では音高の操作を、別の曲ではリズムとダイナミクスやその他あれこれの操作をあきらめるプロセスを用いる時、自分が「自由だ」と感じるわけではない。このように私は自分の役割に関して宙ぶらりんの状態にあるが、最終的に生じる結果に対して希望を持っている。私が操っているのは自分の意志である――楽譜の1ページよりはるかに難しいものを操っている。

I do not feel I am being “free” when I use a process that gives up control of pitches in one composition, rhythm and dynamics in another. etc. etc. Thus, I am left in a suspended state with regards to my role, but in a hopeful one with regard to the eventual outcome. What I control is my will – something far more difficult than a page of music.[2]

 これまでのフェルドマンの図形楽譜や自由な持続の記譜法の実践を見れば、彼の楽曲と記譜法の多くが音の何かしらの側面を自由にさせておく類の音楽だったことは明らかだ。前回解説した自由な持続の記譜法の場合は音の長さが奏者に委ねられていた。上記の引用の中で、フェルドマンは音ではなくて自分の意志を操っていると言っている。人間の意志や意図の及ばない領域での創作を実現する手段としての偶然性や不確定性の音楽は1950年代初期の大きな発見だったはずだが、この1963年に書かれた文章の中では、フェルドマンは自分の意志をコントロールしていると述べているのだ。さらにはその直前に、自分の役割、つまり作曲家としての役割を「宙ぶらりん」だとみなしている。音を自由にすることと、作曲家としての自分の意志を操ることとは一見、相容れないようにも思われる。だが、音を自由にすることは、この時点でのフェルドマンが自己との葛藤から引き出した答えの1つとして考えられる。たとえそれが自分の書いた音であっても、自分とその音とを同一視せず、さらにはその音を自分の所有物や占有物としてみなすこともなく、フェルドマンは自分と音との間に一線を引いていたとも解釈できる。

 前回解説した通り、1960年代前半当時のフェルドマンにとって音を操作して差異をもたらす最たる方法は音を水平に、つまり横の方向に配置して連続させることだった。音を水平に連ねて旋律や和声進行による1つの流れを作るのではなく、彼は音の長さを奏者に任せて散発的な音の減衰に耳の注意をひかせようとした。この試みの発端にあったのが「垂直 vertical」という新たな概念だ。この垂直という概念は、一方向に進む水平な連続性に相対する概念と位置付けられる。前回は垂直の概念の発見が記譜法と音の可塑性を追求した自由な持続の記譜法の着想にあったことを考察した。今回はより経験的な視点で、とりわけ音楽的な時間との関係からフェルドマンの言う「垂直」が意味するところを考えていく。垂直という概念が記譜法や音の響きと減衰だけでなく、音楽に内包される時間と、私たちが音楽を聴いている時に経験する時間に関係していることをフェルドマンは1964年2月にレナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルによって「…Out of ‘Last Pieces’」が演奏された際の楽曲解説の中で示唆しており、音の抽象性と可塑性の探求から垂直の概念にいたるまでの彼の思考の変遷をここから読み取ることができる。

 フェルドマンが書いた楽曲解説の内容に移る前に、1964年2月6日から9日まで4日間にわたって行われたニューヨーク・フィルの演奏会のついて触れておこう。この演奏会は、1964年2月の時点での前衛音楽並びに現代音楽の気鋭の作曲家に焦点を当てたバーンスタインによる企画「The Avant-Garde Program」シリーズの第5回目として行われた。現在もたまに驚くような構成の演奏会を見かけることもあるが、とりわけこの演奏会はプログラム構成自体が前衛的だ。前半はヴィヴァルディの『四季』から「秋」(2月なのに!)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。この2曲の前に10分程度の演奏会用序曲を入れれば普通の定期演奏会のプログラムとして完結しそうだ。だが、この演奏会は前衛的なのでここで終わらない。チャイコフスキーの後に休憩を挟んで後半はこの演奏会のメイン企画「Music of Chance」へ。1964年2月7日の『New York Times』に掲載された演奏会評によれば、午後8時30分に始まったこの演奏会は11時5分に終わり、開演時と比べて聴衆はだいぶ減っていたようだ。[3]

 後半の「Music of Chance」では、バーンスタインによる曲目解説に続いて、ケージの電子音響を伴う「Atlas Eclipticalis」と「Winter Music」の2曲同時演奏、デヴィッド・チュードアをソリストに迎えたフェルドマンの「…Out of ‘Last Pieces’」、アール・ブラウンの「Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands」[4]が演奏された。「…Out of ‘Last Pieces’」はこの曲の完成からまもない1961年3月17日にニューヨークのクーパー・ユニオンで初演されており、1964年のカーネギーホールでの演奏は再演に当たる。プログラムのケージ、フェルドマン、ブラウンの曲目解説はチュードア名義だが、「…Out of ‘Last Pieces’」の解説の中でチュードアは「下記の情報はフェルドマン氏から提供されたものです The following information has been supplied by Mr. Feldman」[5]と記し、実質フェルドマン自身が解説を執筆した。4日間開催されたこの演奏会のどこかの1日に、オーケストラでこれらの楽曲を演奏する困難を抱えたバーンスタインに代わって、当時たまたまニューヨークにいたカールハインツ・シュトックハウゼンがフェルドマンの曲を指揮したというエピソードがあるが真偽は定かではない[6]。下記のリンク先の動画の説明にあるように、自分たちの楽曲が即興とみなされることを危惧していたケージは事前にバーンスタインに手紙を送っていた。ケージの心配は現実となり、オーケストラはケージの曲で作曲家が意図しない即興演奏をしたようだ。

プログラムノート https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview – page/1/mode/2up

バーンスタインによる1964年2月9日の演奏会での解説
John Cage/ Winter Music with Atlas Eclipticalis
Feldman/ …Out of ‘Last Pieces’(1961)

Earle Brown/ Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands (1962)
http://www.earle-brown.org/works/view/27

プログラムノートの中で、まず彼はこれまでの図形楽譜の実践を振り返っている。1950年代の図形楽譜および不確定性の音楽では、既に確立された様式や演奏者の技巧や記憶の蓄積とは無縁の「音そのもの」を直接的に体現した音楽を作り出すことが目的とされていた。

作曲のプロセスとして認識されている機能は、音が多くの構成要素の1つにすぎない音楽を可能にすることだ。音それ自体が完全に可塑的な現象になることができ、それ自体のかたち、設計、詩的なメタファーを示唆するのだと発見したことで、私は図形楽譜の新しい仕組みの考案にいたった――それは作曲のレトリックに妨げられずに音が直接生じることができる「不確定な」構造だ。

なんらかの様式を持つ、あるいは様式化された、最も経験的で洗練された実例を記憶の中から選び出すことにもっぱら依拠している即興とは違い、図形楽譜の目的は記憶を消すこと、超絶技巧を忘れることだ――音そのものに関して直接的な行動以外のあらゆるものを無に帰すことだ。

 The recognized function of compositional process is to make possible a music in which sound is only one of many components. The discovery that sound in itself can be a totally plastic phenomenon, suggesting its own shape, design and poetic metaphor, led me to devise a new system of graphic notation—an “indeterminate” structure allowing for the direct utterance of the sound, unhampered by compositional rhetoric.

 Unlike improvisation, which relies solely on memory in selecting the most empirical and sophisticated examples of a style, or styled, the purpose of the graph is to erase memory, to erase virtuosity—to do away with everything but a direct action in terms of the sound itself.[7]

 だが、これまでも本稿で何度か指摘してきたように、1950年代の図形楽譜の楽曲は即興と混同されることが多く、フェルドマンが意図してきた演奏を実現できた機会はほとんど稀だったと思われる。これまでの図形楽譜のように音域のみを指定し、演奏すべき具体的な音高を奏者に委ねただけでは、やはり凡庸な結果を招きがちだ。音高が不確定であろうと、マス目を1拍とみなしてそれに沿って進む図形楽譜の楽曲では、時間の進み方に関していえば、左から右へと水平に一直線に進みゆく従来の西洋音楽の時間の感覚となんら変わりない。フェルドマンは、この発展的な感覚に基づく慣習的な時間に沿った水平な出来事の連なりが音楽における可塑性を妨げる原因だと考える。

これらの初期の作品(訳注「Projection 1」、「Intersection 2」、「Marginal Intersection」)は今もなお、時間が文字どおりに(慣習的に)扱われた出来事の水平な連なりと見なされていた。水平な連続性で作曲しているならば、大雑把な言い方だが、まだ差異を作り出すことに頼っているのだ――私の場合、音域の対照的な音の並置が差異を作り出すことだった。全体の空間の中での音を思い描けば、絶えず分岐し続ける空間に常にたどり着く。音にとって決定打にはならないことがまだ起き続けている。その音はさらに弾力を帯びてきているが、まだ可塑的とは言えない。次の段階は深さの中で音を探求することだった――つまり垂直に音を探求することだ。

These earlier works were still conceived as a horizontal series of events in which time was treated literally (conventionally). Working in a horizontal continuity, one is still, broadly speaking, dependent of differentiation—in my case, the juxtaposing of registers. Envisioning sound in a total space, one arrives always at a continually sub-divided space. That which is not crucial to the sound still con(s)tantly occurs. The sound has become more elastic, but it has not yet become plastic. The next step was to explore sound in depth—i.e., vertically.[8]

 彼がここで意図することを掘り下げると次のように解釈できるだろう――時間の流れに沿って音を高・中・低の音域に配置することは一見センセーショナルだったが、依然、音を時間に従属させることを意味し、音の可変性や可塑性をまだ実現していない。今度は水平な視点で音と音楽を捉えるのをやめて、垂直な視点で音に迫ってみよう――。彼の「水平がだめなら垂直へ」という発想はいささか安易にも見えるし、水平と垂直を対峙させるフェルドマンの考え方がどのくらい論理的に一貫しているかは疑問が残る。実際、音楽の構造やテクスチュアは多くの音楽の基本となる旋律と和音に始まり、トーン・クラスター、ドローン、反復パターンなど、水平と垂直だけで語りつくせないほど多種多様だ。だが、本稿はフェルドマンのアイディアの矛盾を検証することだけを目的とはしていない。むしろ彼が当時抱えていた葛藤や問題意識にも焦点を当てると、時に理解しがたい論理で展開される彼のアイディアの真意が少しでも浮かび上がってくる可能性がある。その可能性の方に注視していきたい。

 このプログラムノートが書かれた1964年という時代を振り返ると、トータル・セリーの技法がヨーロッパ以外の世界各国にも浸透し、目的に向かって発展的に進む音楽とは異なる構造と時間を提示する音楽が試行されていた時期である。ニューヨークのダウンタウンのシーンでは1962年夏頃から既にラ・モンテ・ヤングらがThe Theatre of Eternal Musicの活動を開始し、従来の演奏時間の概念を覆す、ドローンを主体とした長時間の音楽を打ち出していた。フェルドマンが水平か、垂直かで逡巡していた時期は音楽における構造、形式、時間のあり方そのものを問い直す機運にあったといえる。抽象表現主義絵画からの影響が最も大きかった1950年代のフェルドマンが、楽曲の中に出てくるそれぞれの音の役割をほぼ均等に扱う「全面的 all over」なアプローチによって音楽からレトリックを取り除こうとしたことを思い出すと、音楽的な時間のあり方に着目した1960年代前半の「水平か、垂直か」の問いは、彼の問題意識が音楽の構造だけでなく音楽を経験する主体にも向けられるようになってきた兆候とみなすことができる。

 上記の時代背景から、1964年当時の彼の関心事として主に3つの事柄――音、楽曲の構造、時間――が挙げられる。これら3つは彼の音楽が新たな位相に入る1970年代前半までの間、「垂直」の概念をもとに実践されていく。プログラムノートの続きを見てみると、「…Out of ‘Last Pieces’」ではフェルドマンの考える「垂直な経験」と「時間のない状態」が作曲家の視点からはひとまず達成されていたようだ。

水平な線(時間)が断ち切られると、垂直な経験(無時間)が出現する。水平なプロセスに不可欠な要素である差異化を今や放棄することもできる。さらに「全面的な」音の世界に向かっている。もはや音域の分割もなく、まるで1つの音域で作曲していたかのようだ。時間の隔たりはもはや音楽にかたちや輪郭を与えない。時間は音楽をかたち作らない。音が時間をかたち作るのだ。

「…Out of ‘Last Pieces’」(1961)はグラフ用紙に書かれていて、グラフ用紙のマス目1つ分がmm. 80のテンポに値する。それぞれのマス目の中に演奏されるべき音の数が記されており、演奏者はそのマス目のタイミングで、あるいはそのマス目の長さの中で音を鳴らす。ダイナミクスは曲の間中とても控えめに。アンプを用いるギター、ハープ、チェレスタ、ヴィブラフォン、シロフォンはどの音域から音を選んでよい。低音域の音が指示されている短いセクションを除いて、他の全てのパートの音は各自の楽器の高音域で演奏される。

 When the horizontal line (time) is broken, the vertical experience (no time) emerges. Differentiation, an integral part of the horizontal process, can now be discarded. One is going toward a more “all over” sound world. There is no longer the separation of registers. It is as though one were working in one register. Time intervals no longer give the music its shape and contour. Time does not shape the sound. The sound shapes time.

 …Out of ‘Last Pieces’ (1961) was written on coordinated paper, with each box equal to mm. 80. The number of sounds to be played within each box is given, with the player entering on or within the duration of each box. Dynamics throughout are very low. The amplified guitar, harp, celesta, vibraphone and xylophone may choose sounds from any register. All other sounds are played in the high registers of the instruments, except for brief sections in which low sounds are indicated.[9]

 フェルドマンの解説にあるように「…Out of ‘Last Pieces’」は図形楽譜で書かれている。作曲家自身が解説する通り、グラフ用紙が使われ、テンポが指定され、マス目1つを1拍とみなし、音域を指定する点ではこれまでの図形楽譜とほとんど同じだ。打楽器独奏のための「The King of Denmark」(1964)終結部のヴィブラフォンと同じく、この曲ではピアノパートの最後に五線譜が挿入されるので、五線譜と図形楽譜によるコラージュのような状態が作られている。また、「…Out of ‘Last Pieces’」ではこれまでの図形楽譜の楽曲に比べて持続音の登場が顕著だ。前半はそれぞれの楽器が高音域で鳴らす小さな音のジェスチャーが同時多発して重なり合い、周期的な拍ではカウントできない複雑なテクスチャーが創出されている。後半は徐々に持続音が増えていく。音をひきのばし、その音が減衰するまでの行く末を聴かせようとする傾向は、近い年代に作曲された自由な持続の記譜法による「Durations」と「For Franz Kline」にも共通している。

 記譜に関しても、「…Out of ‘Last Pieces’」は五線譜で書かれたこれら2曲と共通点を持っている。それは、音をひきのばす箇所に点線が用いられていることだ。「Durations」と「For Franz Kline」では同じ音高が点線で結ばれており、その分だけ音をひきのばす。この点線は通常の五線譜のタイと同じ役割を果たしている。「…Out of ‘Last Pieces’」はマス目の中に点線を引いて複数のマス目を結んでいる。こうすることで、音を出すタイミングだけでなく、その音をどのくらいのばすのかが具体的に示される。マス目1つ分がmm. 80と指定されている以上、どうしても通常の規則的な拍の感覚が抜けきらず、水平な連続性が生じるのではないかと危ぶまれるが、解説には点線で結ばれた「そのマス目の長さの中で within the duration of each box」と書いてあるだけで、厳密にそのマス目の長さ分だけ音をのばせとは書かれていない。つまり、点線で結ばれたマス目の長さの中のどこかに音の「入り」があればよいのだと読むことも可能だ。このような曖昧さを残した、ややわかりにくい演奏指示によって、メトロノームでは測り得ないタイミングでの音の出だしが起きる。実際にこの曲を聴いてみると、mm. 80のテンポにそれぞれの音の出だしが正確にはまっているとは考えにくく、マス目の整然とした区切りでは記されないタイミングで音が鳴っている様子がわかる。この曲は拍の単位から逸脱した音で満たされており、聴き手に前後不覚の感覚を与える。前回とりあげた、記譜と実際の鳴り響きが大きく乖離する「For Franz Kline」も各パートの錯綜と、そこから聴き手にもたらされる前後不覚の感覚という点では「…Out of ‘Last Pieces’」と類似した楽曲だ。「For Franz Kline」は五線譜を用いた自由な持続の記譜法で書かれており、「…Out of ‘Last Pieces’」は図形楽譜で書かれているという大きな違いがあるものの、どちらの場合においても、規則的な拍では測りえない時間の感覚を作り出している。測りえない時間と、それに伴う前後不覚の感覚がフェルドマンのいう「垂直な経験」ならば、やはり「…Out of ‘Last Pieces’」は一応、彼の目的が達成された曲だと言えるだろう。しかし、十分に予想できることだが、この時の聴衆や批評家の反応はフェルドマンが期待していたものとはだいぶ異なっていたようだ。

 1964年2月7日の『New York Times』のSchonbergによる演奏会評では「プログラムノートは詳細だったし、バーンスタイン氏の解説も詳しかったが、そのどちらもこの音楽を理解するには全くの無力だ。問題は音楽だ。The program notes were detailed, and so were Mr. Bernstein’s comments. But none of those are really of any help for understanding this music, it is music.」[10]と記されており、ケージ、フェルドマン、ブラウンの曲がプログラムノートを読んだとしても一聴して理解するには難しい音楽だった様子が伝わってくる。だが、Schonbergは「アクション・ペインティングのある種の形式との強い類似が見られ、多くの偶然性の音楽の作曲家たちが、とりわけ当夜の3人がジャクソン・ポロック、フィリップ・ガストン、ロバート・ラウシェンバーグの作品を絶えず喚起させていることは大きな意味を持つ。There is a strong analogy to certain forms of action painting, and it is significant that many aleatoric composers, especially these three, constantly evoke the work of Jackson Pollock, Phillip Guston and Robert Rauschenberg.」[11]と同時代の絵画との関係を指摘し、この3人の作曲家の創作の背景をある程度理解していたようだ。聴衆の反応については次のように描写されている。

だが、これだけは言っておくと、この日のプログラムは客席にいた多くの純粋無垢な聴衆に揺さぶりをかけたのはたしかだ。彼らの多くは若い前衛たちに強い衝撃を与えている類の音楽に初めてさらされた。今では彼ら純粋無垢な聴衆は、あらゆる種類の奇妙で、おそらく不道徳な物事が音楽の世界に入り込んでいることを知っている。スカートの裾を持って恐怖のあまり逃げる人もいるだろう。さらなる探求のために戻ってくる人はごくわずかなはずだ。

これらの曲の、新しい音に満ちたどの出来事にも見られる明らかなカオスと気味の悪さは聴衆を激しく動揺させた。

If nothing else, though, the program did shake the innocence of many listeners in the audience. For the first time many of them were exposed to a type of music that is making a strong impact on the young avant‐garde. Now those innocents know that there are all kinds of strange and possibly immoral things going on in the world of music. Some may flee in horror, picking up their skirts. A few may come back for further investigation.

In any event, these pieces, with their new sounds, apparent chaos and weird textures, shook the audience quite a bit.[12]

 ヴィヴァルディとチャイコフスキーを聴いた後にケージのライブ・エレクトロニクス作品、フェルドマンの図形楽譜のオーケストラ作品、ブラウンの即興的なオーケストラ作品を立て続けに聴けば、大半の聴衆はここでSchonbergが書いているような感想を抱くことは想像に難くない。ここでの指摘は専ら音響(この時ケージは電子音響を用いた)や音色の珍奇さに終始している。これは、フェルドマンがいくら言葉で「垂直な経験」や「時間のない状態」を説明しようと、時間や音楽の構造ではなく音の響きに対する印象が聴衆、つまり聴き手の経験の中で優位を占めるのだと物語っている。「カオス」という描写が示す現象や体験を掘り下げていくと「垂直な経験」に行き着く可能性があるかもしれず、おそらく聴衆に限らず作曲家自身もこの時点ではこの種の音楽の中での経験をまだうまく言語化できていなかったとも思われる。それでもフェルドマンはここで発見した垂直の概念を手放さず、1960年代は自身の言説と記譜法を始めとする実践の両面で垂直を追求していく。

次のセクションではフェルドマンとケージとの対話などを参照しながら垂直な時間について考察する。


[1] Morton Feldman, “Vertical Thoughts,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 12
[2] Ibid., pp. 17-18
[3] Harold Schonberg, “Music: Last of a Series; Bernstein et al Conduct 5th Avant-Garde Bill,” New York Times, February 7, 1964
https://www.nytimes.com/1964/02/07/archives/music-last-of-a-series-bernstein-et-al-conduct-5th-avantgarde-bill.html
[4] ブラウンの「Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands」はオーケストラを2人の指揮者が指揮するので「腕4本のための」と題されている。
[5] New York Philharmonic One Hundred Twenty-Second Season 1963-1964, “The Avant-Garde” Program Ⅴ
https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview – page/6/mode/2up
[6] このエピソードの出典はMorton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006巻末のフェルドマンのバイオグラフィー(p. 265)。しかし、シュトックハウゼンが実際に指揮をしたという記録は当時の新聞等を遡ってみても見当たらない。
[7] David Tudor and Morton Feldman, “…Out of ‘Last Pieces’” in New York Philharmonic One Hundred Twenty-Second Season 1963-1964, “The Avant-Gards” Program Ⅴ https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview#page/2/mode/2up
[8] Ibid.
[9] Ibid.
[10] Harold Schonberg 1964, op. cit.
https://www.nytimes.com/1964/02/07/archives/music-last-of-a-series-bernstein-et-al-conduct-5th-avantgarde-bill.html
[11] Ibid.
[12] Ibid.

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は11月24日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (26) 珍曲へのいざない 番外編 歌謡曲クラシック列伝

上田知華+KARYOBIN  WARNER L-10151E (1979年) *1
春野寿美礼 Chopin et Sand -男と女-  EPIC RECORDS ESCL 3495 (2010年)

クラシック音楽のポップス化は洋の東西でこれまで大量に行われています。ヒットチャートを飾った楽曲も少なくありません。日本でも古くはザ・ピーナッツの「情熱の花」(1959年)、同じ原曲のフレーズをさらに多く取り入れたザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」(1981年)、平原綾香「Jupiter」(2003年)、SEAMO「Continue」(2008年)あたりが売れましたね。中でも平原綾香は全曲クラシックというアルバムをこれまで3枚リリースしています。まぁ「Jupiter」でデビューした平原綾香がクラシックを演るのは当たり前な感じがあるのですが、意外なところではその昔、殿様キングスが全曲クラシックネタというアルバム「パロッタ・クラシック」(1983年)というのを出してました。その中の収録曲では「係長5時を過ぎれば」は多少知られてますかな。楽曲がヒットしたわけではないですが、人口に膾炙したといえばCM NETWORKの「ちちんVVの唄」(ディスコバージョンよりオーケストラバージョンの方が面白い)もありました。CM音声からはわかりにくいのですが、この曲の歌詞はかなり春歌っぽく、令和の世で人前で歌うことは厳しいものがあります。そういえばシュワちゃんのCMが流れた1990年のレコード藝術誌の読者投書欄に「ちちんVVの唄はショスタコーヴィチに対する許しがたい冒涜だ」という檄文が載ったのも覚えています。あの頃はまだそんな純粋培養系聖クラマニが棲息していましたし、レコ藝誌側もそんな投稿を掲載したりする感覚が残存していたのですね。

さて、歌謡ポップス化したクラシック、しかもピアノ曲からのものをいくつかご紹介しましょう。全曲ピアノ曲という由紀さおり・安田祥子のアカペラスキャットアルバム「ピアノのけいこ」が一般的には良く知られてると思います。バイエルから4曲歌うなど見事な大衆路線である一方、トリに収録されたトルコ行進曲などは中々に見事です。ただ、このアルバムはクラシックの楽曲を歌謡ポップス側の人がほぼ音符そのままで「声で演奏」したもの。どうせなら歌詞を付けちゃったものの方が余計なイメージが色々と添加されていて面白い。

まずは上田知華+KARYOBINが1979年に発表したアルバムに入っていた「BGM」という曲。大人になり切れないお馬鹿さんな彼より私の方が先に大人になってしまった、という内容の別れを予感させる歌詞です。さぁ、この曲、何でしょうか。実はベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第3楽章なのです。わりと原曲に沿ったアレンジで、ABACA形式からACAでワンコーラスを創っています。Cのところの歌詞なんて「笑い転げて生きられたなら 少女は女にならずに済むわ」(作詞:山川啓介)ですからね。ベートーヴェン様もびっくりでしょう。よくCをこういう風に変えたもんだと感心すると同時に、ちょい苦笑のツボに嵌ります。上田知華+KARYOBINはピアノ五重奏(ピアノ弾き語り+弦楽四重奏)というかなり特殊な編成のグループでしたので、こういうクラシックな楽曲には音色的に合っていました。編曲及び音楽ディレクターは作曲家の樋口康雄。ピアノ五重奏版の悲愴ソナタ第3楽章としても随所に良い感じを醸し出していて納得のアレンジです。

ピアノ曲の歌謡ポップス化アレンジとして珍しいものには、ショパンの幻想即興曲があります。もちろん古いミュージカルナンバー「I’m always chasing rainbows(虹を追って)」は有名です。アメリカの往年のシンガーは結構歌っていて、幻想即興曲の中間部のメロディをゆったりと引用して淡い夢と希望を紡ぎます。で、中間部のメロディーをポピュラー音楽として歌うのは想像の範囲内なのですが、2010年に幻想即興曲のあの急速な冒頭部分に歌詞を付けて歌うという快挙(または暴挙)に出たアルバムが発売されます。歌ったのは日本の春野寿美礼。元宝塚歌劇団花組トップスターで、2007年の退団後もミュージカル女優として活躍しています。彼女が発表した「Chopin et Sand -男と女-」はクラシックから5曲(ショパン3曲、シューマン、マーラー)選んで歌っているミニアルバムです。この中の「メモワール -Memories of Paris-」が幻想即興曲なのです。さすがにあのフレーズを急速なままは歌いません。テンポをぐっと落とし、ものすごくムーディーに壊れかけた恋を歌うのです。冒頭のフレーズに付いた歌詞は「私がこのままこの部屋出て行けば 永遠にあなたを失うでしょう」(作詞:菅野こうめい)です。原曲の13小節目からなんて「ねえ何か話してよ まだ愛してるなら」ですからね。ウーーーム、雰囲気や良し。問題はメロディラインです。たとえテンポを落としたとしても、人間が歌うことなんて全く想定外で書かれているメロディですから、音域は極めて広く、ぽんぽん飛びます。これを歌うだけでも大変な作業と思われますが、宝塚っぽさとアンニュイな雰囲気を保ったまま歌い続けた春野寿美礼の努力には頭が下がります。ま、でも、結果的には選曲ミス、かなぁ。いずれにしろあの幻想即興曲をここまで変容させてしまった音楽的衝撃という点では弩級でしょう。なお、同じアルバムにはショパンの夜想曲第20番をタンゴっぽく演った「追憶のバルセロナ」も収録されていて、これもかなりのインパクトがあります。

メタモルフォーズされた音楽は、作曲者が思いもしなかったような魅力が引き出されることがたまにあります。その新たな魅力、往々にして時代の最新の衣を纏った魅力は、原曲の演奏解釈にプラスになることがないわけではない……ようなやっぱダメなような……ともあれ演奏においてオモシロイ“抽斗”にはなるでしょう。開けるかどうかは別としてね。それが歌謡曲クラシックの魅力のひとつです。なかなか見つけにくい存在ですが、ぜひとも探索してみてください。ひたすらにアンニュイな幻想即興曲とか、「笑い転げて生きられたなら少女は女にならずに済むわ」という詞が脳裏に木霊するような悲愴を聴いてみたいじゃないですか。

クラシックには良質のメロディーがわんさかあります。ネタに困った音楽プロデューサーやミュージシャンが新たな発掘と改変を続けて行ってくれることでしょう。改変の幅は創造力の続く限り広大無辺です。その中でもかなり振り切った方の好例として春野寿美礼のアプローチは語り継がれると思います。ま、私は本稿の脱稿後、二度と聞かないとは思いますが・・・

*1:上田知華+KARYOBINのアルバムは演奏者名とアルバムタイトルが同じ。

《補足:その他の私のおすすめ歌謡ポップス化クラシック 3題》

  • ブリーフ&トランクス 「ティッシュ配り」(1998年)
    ラヴェルのボレロにギャグ系の歌詞を付けたブリトラの傑作。メロディだけではなく低弦と小太鼓が刻むリズムの方にも歌詞を付け、そちらを先行させたのが秀逸。彼らにはクラシックネタの楽曲がいくつかあり「小フーガ ハゲ短調」「カテキン」などもよい。
  • ザ・ズートルビー 「水虫の唄」(1968年)
    イントロにベートーヴェンの田園交響曲冒頭、歌のサビにメンデルスゾーンの春の歌を引用して創られている。ギャグ系の歌詞だが、春の歌の部分の歌詞は曲想に合っていて麗しい。
  • 薬師丸ひろ子 「花のささやき」(1986年)
    モーツァルトのピアノ協曲第23番第2楽章。薬師丸ひろ子の合唱部的な透明感あふれる歌唱が美しく、ヲジサンの中の乙女心に切なく響く。クラシックの歌謡ポップス化の中の名品と溺愛している。女優歌唱の珍品としては高岡早紀の「バラ色の館」もある。妖しい雰囲気が良いが歌唱力に難があって薬師丸には遠く及ばない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

ショータの楽譜探訪記(1)

こんにちは、突然ではありますが、本日から「ショータの楽譜探訪記」というお題でこれまでに蒐集してきた楽譜コレクションについて月1回の目安で連載を行っていきます。

軽く自己紹介を。私、小学5年生を迎えた頃、ベートーヴェンの「月光」を自宅の自動演奏ピアノで聴いて衝撃を受け、ピアノの学習を本格的に始めたわけですが、その頃から楽譜には異常な関心を抱いていました。この関心がどこから湧いてきたのか…今考えても理由はよく分かりません。まず買い集めたのは春秋社刊行の世界音楽全集(井口基成・校訂)でした。楽譜蒐集の第一歩が世界音楽全集だったのは、当時習っていたピアノの先生宅のレッスン室壁一面に世界音楽全集が並んでいたからでしょう。両親と近所の楽器店に寄る度に楽譜をせがんでいたのが懐かしいです。そこから主にネット上でアマゾン、国内輸入楽譜屋、海外楽譜屋やオークション、ヨーロッパ留学中は海外の図書館まで行動範囲を広げ今に至るわけです。

第1弾は今月手元に届いた楽譜について話をしてみようと思います。

先々月の真夜中、ネットサーフィンをしていたところ、イギリスのオークションサイトで驚愕のロットを見つけました。それは、去年亡くなったアメリカの大ソプラノ歌手であるジェシー・ノーマンの遺品、楽譜80冊でした。(詳細はコチラから)

生前、ジェシー・ノーマンの音楽コレクション 約29000点(!)はアメリカ議会図書館に寄贈されたというニュース記事を見かけたことがあり、もう市場に出回ることはないと思い込んでいました。

今回、オークションに出品された楽譜の数多くはノーマン本人による書き込みがあり、彼女の演奏解釈を読み解く上で一級の資料となり得ます。中には、フランシス・プーランクのオペラ「人間の声」の楽譜も入っていました。この作品は、2004年、ノーマンによる日本公演で話題となっています。幸運なことに、当時の公演模様はコチラで見ることができます。

恐らく、この機会を逃したら一生出会うことはないでしょう。楽譜との出会いは常に一期一会です。悩みに悩んでオークションに参加することにしました。結果、無事に落札することができたわけですが、諸手続きにそれなりの日数を要し、1か月半ほど経って遂に手元に届きました。

厳重な梱包を解くと、そこにはA3ほどの大きさの紙製の箱が8個が入っていました。今回受け取った楽譜1冊1冊を丁寧に確認をしていくと約2/3の楽譜に、ノーマンによる速書きのサイン “JN”がありました。そして、約1/4にノーマンによる演奏に関する膨大な書き込みがありました。ちなみに、前知識が無ければ、サイン”JN”がノーマンによるものだと認識するのは困難なのではないでしょうか。なお、アルノルト・シェーンベルクのオペラ「期待」についてはフルスコア、ピアノスコア、ポケットスコアなど合わせて10冊ほどありました。彼女が得意としていたレパートリーなだけあります。

他には、ピアニストのロバート・ウィルソンと共演した際に使用したフランツ・シューベルトの歌曲集「冬の旅」の楽譜がありました。例えば、その歌曲集の「回想」では”turn head to begin song(歌い始めるために振り返って)”など、それぞれの歌曲の冒頭に舞台上の動きに関する注釈が見受けられます。また、ロベルト・シューマンの「女の愛と生涯」では、ドイツ語歌詞、一単語ずつを丁寧に翻訳(逐語訳)した跡もしっかりと残っています。他にはEMIから録音が出ているリヒャルト・ワーグナーの「ヴェーゼントンク歌曲集」(ピアノ伴奏版)の書き込み入り楽譜もありました。その楽譜にはブレスの個所、テンポ感、フレーズ、協調するべき子音などが鉛筆で書かれています。音楽に対して一切の妥協を許さなかった様子がこれらの楽譜から伝わってきます。

今回購入した楽譜は状態が悪いものも多いために近いうちにスキャンしてデータ化を急ごうと思います。これからの連載の中でそれらの楽譜を定期的に紹介をしていくつもりです。最後までお読みくださりありがとうございます。

最後に…
私はミューズ・プレスの創業当時から代表社員として働いていましたが、私事で2019年8月末に一線を退いていました。ですが、先月から休日のみの稼働のもと代表社員としてミューズ・プレスの出版業務に携わっていくことになりました。上質な楽譜が皆様にお届けできるように努力して参ります。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (25) 珍曲へのいざない その4 恐るべし、高校ブラバン部

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 BRAIN MUSIC BOCD-7355
ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部 BRAIN MUSIC OSBR-25005

《前口上の言い訳》
筆者は吹奏楽部の経験はなく、日本の吹奏楽界では当たり前のことも知らない元ピアノヲタクです。ですので本稿は吹奏楽経験者には「なんもわかっとらんな、こいつ」という内容に溢れていますが、あくまでもピアノ系マニアから観た拙劣な感想文であることをご寛容のほどよろしくお願い申し上げ奉ります。

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊

《本文》
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン作曲「おお、神秘なる力よ!」という楽曲名を見た時、第1交響曲の終楽章?法悦?プロメテ?遺作の神秘劇???そんな曲、あったっけな?と、衰え行く記憶力を奮い立たせましたが、一向に思いつきませんでした。で、これ、実はピアノソナタ第5番op.53の吹奏楽編曲版に付けられたタイトルだったのです。あの複雑で小難しいピアノ書法てんこ盛りの第5ソナタを吹奏楽でピーヒャラパンパカパーンと演るとは何考えとんのじゃっ、と呆れにも似た感情で聴き始めました……ありゃ?……うへっ……おをっ……畏れ入りました。私が悪うございました。ちゃんとやってますね、スクリャービンの5番。陸上自衛隊の皆様、どうか無知蒙昧な私を抹殺しないでくださいませ。編曲者は吹奏楽の世界では高名な田村文生せんせ。さらに驚いたのは、編曲を共同で委嘱したのが4つの高校の吹奏楽部とのこと。う~~~む、難しいだけでなく、この曲はクラシック音楽史上もっともエロい音楽と思っているのですが、それを高校吹奏楽部がお願いするなんて。恐ろしや、恐ろしや。

曲のタイトルにはピアノソナタ第5番の編曲とは全く書かれていません。曲の進行はほぼ原曲通りなのですが、編曲者の創造性が大きく加筆されているためと思われます。まず冒頭。打楽器の強打からピアノ原曲を遥かに超えるオドロオドロしさで始まります。ただ、この段階で「あ、スクリャービンの5番だっ」と気付く人は少ないかも。直後のLanguido(13小節)からは蕩けるような世界が始まり、「おっ、スクリャービンの5番じゃん。うわぁ、陶酔感マシマシじゃん」となります。ここからしばらくは堂々たるスクリャービン5番の吹奏楽版を堪能できます。独自のいじりを見せるのは96-97、100-101、104-105小節。原曲にはない上昇音階を入れていますが、これはピアノ版に逆輸入する価値があるかもしれない良い改編です。その後はちょこちょこ独自の小さな改変が続き、273-274小節、277-278小節で原曲がアルペジオっぽいのを弾くところでは管楽器独奏による独自のカデンツァを入れています。中々に蠱惑的で素晴らしい創造編曲です。で、原曲と大きく違うのが329小節からのPrestissimoの部分。原曲ではリズミカルに昂まってゆく部分なのですが、この編曲では逆にぐっとテンポを落とし、リズミカルなことも止め、ねとーーっとした泥濘のような耽美をまさぐります。私の個人的な感想としては、う~~む、ちょっと、ねぇ、でしょうか。原曲においてここの昂まりは輝きに満ち、全曲の中でも屈指の エレクトポイントと溺愛していたのですが……この変更はもったいないなぁ。で、357小節あたりから音楽は従来の活力を取り戻し、最後の高みへと昇っていきます。417小節からの大歌い上げは流石多人数合奏の豪奢なパワーが漲っていて羨ましくなります。特に金管の絶頂咆哮は圧倒的、これはピアノでは真似できませんねぇ。原曲から完全に逸脱するのが、ラスト16小節のPresto部分。ここは編曲者が「《法悦の詩》の終結部の様式をピアノソナタ第5番の動機を用いて(*1)」新作しています。原曲が昂奮の坩堝の中で射〇的に終了するのに対し、あくまでも荘厳に神々しく終了します。まさに「おお、神秘なる力よ!」。教育的配慮もバッチリです。

まさかのテンペスト、ブラバン編曲(異国情緒風)まで

このCDを出しているブレーン株式会社という吹奏楽中心の音盤製作会社はこれまで全く知ることがありませんでした。かなりの数の吹奏楽のCDを出しており、それを見るとピアノ曲からの編曲ものが結構あります。リストのスペイン狂詩曲・バッハの名による幻想曲とフーガ、ラフマニノフの音の絵(op.33-2,4,6, op,39-9)・パガニーニの主題による狂詩曲(10分短縮版)、ラヴェルのクープランの墓からトッカータなどなど、まさに恐るべしです。そんなラインナップの中から一つ。ベートーヴェンのピアノソナタ第17番op.31-2「テンペスト」の第3楽章をご紹介しましょう。編曲は宍倉晃せんせ、演奏は埼玉県の吹奏楽強豪校・埼玉栄高校です。

ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部

結論から言うとピアノで弾くテンペスト終楽章とはイメージがだいぶズレますが、素晴らしいアレンジです。カスタネットなどの打楽器を多用したり、リズムの取り方がワルツっぽい3拍子を刻んだりするので、感触的にはスペイン風舞曲に近いものがあります。あのテンペストが味付け一つでこんなに異国情緒になるなんて、実に素晴らしい。(皮肉ではありません、本当に賛美しています。念のため。)冒頭から提示部はほぼ譜面通りに音楽は進みます。ま、47小節あたりから刻むカスタネットのリズムが最初の「おやぁ?」でしょうか。展開部はかなり編曲者独自の対旋律や装飾が付加されています。113小節あたりの半音階下降もハマってますし、150小節からのベースライン変更も切なくて良いですね。193小節からは小太鼓が入って来てかなり明確な3拍子ダンスになり、再現部に向けての長い小太鼓ロールは妙に納得感があります。小太鼓ロールで盛り上げた後ですので、原曲の再現部は弱奏指示ですが「f」で力強く来ます。これも大納得。このあたりから付けてる和声がちょっとお洒落で今っぽい感じになり、247小節の濁った感じの装飾は(ちょっとズッコケますが)おもしろい。270小節で吃驚の全休止してから、ガツンと271小節を始めるところも良い演出です。音楽は次第に盛り上がり、350小節からは豪華絢爛大舞踏会状態に突入。原曲のラストは弱奏で終わりますが、こちらは大舞踏会状態のまま強奏で終わります。で、私個人は圧倒的にこの編曲の終わり方が好きです。もうベートーベンではありません。でも本当に素敵な音楽です。しかも演奏は高校生ですからね。大したもんです。(*2

この素晴らしいテンペストはピアノ独奏用に逆編曲すべきでしょう。タイトルは、Valse-caprice de concert sur le finale de “Tempest” Sonate de Beethoven=Shishikura かな。結構イケる気がします。

今回、高校生たちの想いのこもった吹奏楽によるピアノ音楽演奏、感服いたしました。ピアノ音楽にはみなさんのアレンジの魔手が延びてくるのを心待ちにしている名曲がうじゃうじゃいます。とりあえずはバラ4かアルカンの交響曲、ラフマニノフの第2ソナタあたりからよろしくお願いいたします。

注*1:CD解説より引用
注*2:同じアルバムには、狂詩曲「ショパン・エチュード」というピアノ弾きに喧嘩を売ってるような楽曲も入っています。Op.10-4,12、op.25-7-11の4曲による自由なパラフレーズで、op.10-4とop.25-7は原曲のテンポ感で、op.10-12はゆったりエレジー風に、op.25-11は哀しきファンファーレのように使われてます。Op.10-4は演奏が大変そうでかなりゴクロウサンです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

2020年10月の新刊情報(フォンテーヌ、ナモラーゼ、濱川)

10月末の新刊情報です。発送は10月27日(火)より順次行います。

アレクサンドル・フォンテーヌ:前奏曲とフーガ 作品44

フランスを拠点に活躍する作曲家 アレクサンドル・フォンテーヌは、彼の友人でもある福間洸太朗の依頼によって、ひとつのピアノ作品を完成させました。その名は『「なんと儚く、なんと虚しいことだろうか」- 前奏曲とフーガ』。「前奏曲とフーガ」という題名から想起されるように、フォンテーヌはバッハに対するオマージュとしてこの作品を書き下ろしました。

2ページほどの短い前奏曲では、重々しくも華やかなコラールが展開され、徐々に音量が増しピアニスティックなフーガへと突入します。フーガには対位法、対主題、反行はもちろん、黄金比やフィボナッチ数列などの数学的技法も取り入れられています。本作品は、2012年11月8日に福間洸太朗よりベルリンにて世界初演され、2015年1月27日に東京オペラシティで開催された「B→C」(ビートゥーシー)にて日本初演されています。福間洸太朗による演奏の音源を以下の動画で聴くことができます。


突如現れた異色の天才ピアニストであるニコラス・ナモラーゼ。クラシック音楽最高峰のコンクールのひとつ、カナダのカルガリーで開催されたホーネンス国際ピアノコンペティションで2018年に優勝し、国際的な注目を浴びるようになりました。世界中の様々なメディアからは絶賛され、来年はイギリスのクラシックレーベルのハイペリオンよりCDのリリースも予定されています。ピアニストとして活躍する一方、彼は作曲家としても活動しており、これまでにチェルシー音楽祭、ホーネンスフェスティバル、サンタフェなどの音楽祭から作品委嘱を受けています。今回ミューズプレスが出版するものは、彼がピアノのために書いた作品です。この出版プロジェクトはSonetto ClassicsのCEOである澤渡朋之氏の協力によって実現しました。

ニコラス・ナモラーゼ:エチュード I – VI

2015年から2019年にかけて書かれたピアノのための「エチュード I-VI」は、テクスチュアや音型の基盤となる特有のピアニスティックな技術的課題に着想を得ている点で伝統的なエチュードと言えますが、「長音階」「主に三和音」「動く鏡」「崩された和音」「もつれた糸」 「二つの音」と言ったやや異質なタイトルを持ち、現代的なアプローチでエチュードという形式が追求されています。技術的にもかなり高度なものが求められるために演奏は容易ではありませんが、少しでも演奏者の助けになるために8ページほどの練習法を記した別冊が付属します。先に述べたホーネンス国際ピアノコンペティションでの自演(エチュードIからIIIまで)がコチラで聴けます。


ニコラス・ナモラーゼ:アラベスク

作曲者によると「アラベスク」は、ヴィジュアル・アートの分野で定義される「アラベスク」の法則、つまり装飾的で、螺旋状に織り込まれたパターンという法則に基づいていて作曲されたそうです。 ピアニストの両手が複雑に交差しつつ、それぞれ2本の手があたかも独立した意思を持つような表現を求められる作品です。この作品もまたナモラーゼ本人による演奏でコチラから聞くことができます。

「アラベスク」の冒頭

ニコラス・ナモラーゼ:月、屈折する – 滝廉太郎の「荒城の月」に基づく変奏曲(2019)

「Moon, Refracted(月、屈折する)」は、ニコラス・ナモラーゼが初めての日本ツアーのために先んじて作曲されました。滝廉太郎によって作曲された歌曲「荒城の月」の主題に基づき、単一変奏曲が続きます。日本的な美学であり「侘び寂び」の概念の中にある要素に影響を受けながら、ナモラーゼは新たな「荒城の月」を生み出しました。2019年の来日の際に演奏された様子がコチラで聴けます。

ニコラス・ナモラーゼはアイエムシー音楽出版の招聘により2020年6月に来日が予定されていましたが、現在発生しているCOVID-19の影響により公演中止となってしまいました。詳細は未定ですが再来日も計画されているそうです。


濱川礼:左手のための「横濱ノスタルジア」

電気メーカー勤務を経て2020年現在、中京大学工学部教授も務める作曲家・ピアニストの濱川礼は横浜に大変な愛着を寄せ、横浜の持つ異国情緒や伝統・近代化をひとつの曲に仕立て上げました。その名も「横濱ノスタルジア」。本作品は、2018年に作曲コンクール RMN International Call for Piano Solo Worksで優勝を果たし、RMN Musicよりリリースされたピアノアルバム「Modern Music for Piano」にも収録され、注目を浴びました。

濱川が横浜らしさの一つとして着目したのが、山下公園に設置された少女像でも有名な「赤い靴」(作曲:本居長世、作詞:野口雨情)です。その「赤い靴」の和声進行から新たな旋律を創造、またその旋律に新たなハーモニーをつけたり(リハーモナイズ)、ジャズの4ビート(いわゆるスイング)を援用したり、4ビットのバイナリ(2進法)に基づくリズムを用いたりと、個性的な作曲技法が凝らされています。また、中間部には花火を模した特殊奏法も登場し、横浜をよりいっそう強く感じることができます。本作品は左手のみで演奏されるピアノ曲です。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(7) 1960年代前半の記譜法−自由な持続の記譜法

(筆者:高橋智子)

 フェルドマンの作品を見渡す際に最も重要と言えるのが記譜法の変化だ。この連載の初回から見てきたように、彼の創作の変遷は記譜法の変化と重なる。1950年から始まる図形楽譜、1950年代後半から見られる音価の定まっていない楽譜や極端に音符の少ない五線譜など、彼が書いた楽譜の数々にはその時期における彼の音楽観が強く反映されている。今回は図形楽譜に次いでユニークな記譜法である1960年代の自由な持続の記譜法を見ていく。

1. 「自由な持続の記譜法」にいたるまで

 これまでのフェルドマンの記譜法の特徴と変遷を簡単に振り返ってみよう。1950年代のフェルドマンの創作は五線譜と図形楽譜の両方で試行錯誤を重ねていた。初期の図形楽譜の狙いについて、フェルドマンは「この曲(訳注:「Projection 2」)での私の願いは「作曲すること」ではなく、音を時間に投影し、ここには必要のない作曲のレトリックから音を解放することだった。My desire here was not to “compose”, but to project sounds into time, free from a compositional rhetoric that had no place here.」[1]と振り返っている。「Projections 1-5」(1950-51)「Intersections 1-4」(1951)といった初期の図形楽譜では慣習的な書法とは全く異なる地平での作曲の可能性を探求した。ただ、これまでも何度か述べてきたように、これら初期図形楽譜の楽曲では音高の選択が演奏者に任されているので即興演奏と混同されることが多く、実際の演奏においてフェルドマンの意図が完全に達成されることはほとんどなかった。この大きな問題を解決するために、前回とりあげた打楽器独奏曲「The King of Denmark」(1964)では演奏方法(この曲ではマレットやスティックの使用が禁じられている)と、曲の中で鳴らすべき音色がこれまでの図形楽譜より具体的に指示されている。一方、フェルドマンの五線譜の記譜法もその段階ごとに異なる様相を見せる。例えば第4回で解説した「Piano Piece 1952」(1952)や第5回で解説した「Piece for 4 Pianos」(1957)には小節線が書かれておらず、どちらの場合も拍節やリズムの感覚が希薄である。さらに「Piece for 4 Pianos」では4人の演奏者が同じ楽譜を見て演奏するが、演奏のペースは各自に委ねられているので偶発的な音の重なりによる響きが具現する。慣習的な五線譜、演奏結果が不確定な図形楽譜、今回解説する自由な持続の記譜法、それぞれの特性の違いがあるものの、フェルドマンの記譜法は3つの要素——作曲家の創造性、演奏者の創造性、音に内在する特性——が決して均等ではない力関係で絡まり合っている。音そのものに着目し、音に内在する特性を最大限引き出すために音高や音価(音の長さ)を不確定にした結果、実際の演奏では演奏者の創造性や個性が予想以上に前面に出てしまうのが1950年代前半の図形楽譜での試みだった。他の作曲家と同じく厳密かつ精密に記譜すれば自分の理想とする響きを得ることができるが、それは「音の解放」や「抽象的な音の冒険」といった自身の理念と矛盾するのだとフェルドマンは自覚していた。このような逡巡が図形楽譜や、小節線のない五線譜といった初期の記譜法に駆り立てたともいえるだろう。

 1953年から58年までフェルドマンは図形楽譜を一旦中止し、「正確さ」を求めて五線譜の楽曲に専念する。しかし、以下の発言から、ここでも彼は満足な結果を得られなかったようだ。

だが、正確さも私にはうまくいかなかった。それ(訳注:五線譜による正確な記譜)はあまりにも一面的だった。まるでその記譜法は、どこかで動きを「生み出さないと」いけない絵を描いているようだった——私が満足できる可塑性はそこでもまだ得られなかった。やはりこの記譜法はあまりにも一面的だった。それは、どこかに常に水平線が引かれている絵を描いているようで、正確に作業しつつも常に「動き」を作り出さなければいけなかった——それでも私は充分な可塑性を得られなかったのだ。2つの管弦楽曲で図形楽譜に戻り、今度は「Atlantis」(1958)と「Out of Last Pieces」(1960)において個々のパッセージが最小限に抑制された、より垂直な構造を用いた。

But precision did not work for me either. It was too one-dimensional. It was like painting a picture where at some place there is had to “generate” the movement—there was still not enough plasticity for me either. It was too one-dimensional. It was like painting a picture where at some place there is always a horizon, working precisely, one always had to “generate” the movement—there was still not enough plasticity for me. I returned to the graph with two orchestral works: Atlantis (1958)[2] and Out of Last Pieces (1960) using now a more vertical structure where soloistic passages would be at a minimum.[3]

 文中でフェルドマンは五線譜による記譜を2度も「あまりにも一面的 too one-dimensional」と評している。それは何を意味するのか。楽譜は音符を紙上に書きとめることによって成り立っており、通常このことは自明とされているし、楽譜は書かれた音符を演奏として具現する機能と役割を持った実用的な側面も備えていないといけない。これに疑問を挟む余地はないだろう。だが、たとえ楽譜の上に記された出来事であっても、何かが書きとめられて静止している状態、または固定された状態は、ジャクソン・ポロックによるドリッピングや、ウィレム・デ・クーニングによる荒々しい筆の動きとその痕跡をキャンヴァスに投影した抽象表現主義絵画に共感していた当時のフェルドマンにとって当たり前のことではなかったようだ。もちろん、実際に鳴り響く音に動きや方向を感じることができるが、フェルドマンは記譜にも可塑性や運動性を求めた。だが、楽譜や記譜に運動性や可塑性を持たせることは可能なのだろうか。楽譜をアニメーションで作成すれば、文字どおり音符が動く楽譜が実現するが、もちろん、ここでフェルドマンが言おうとしていたのはこのような即物的な話ではない。しかも時代は1960年代である。今のように誰もがコンピュータでアニメーションを作成時代できる時代でもない。では、この当時、フェルドマンが記譜に求めた可塑性とはいったい何なのだろうか。

 たいていの五線譜の場合、拍子に即して音符を書き連ねることでリズムが生じ、音楽の輪郭や動きも生まれる。楽譜に記された音符の連なりと、そこから予測される動きや展開は楽曲のあり方、響き方、聴こえ方にも深く結びついている。従って、通常は記譜の精度が高いほど、記譜された音符と、実際の鳴り響きとの隔たりが縮まる。多くの楽譜は音符だけでなく、様々な記号や文言を駆使しながら、このような隔たりを縮めるための工夫がなされている。西洋の近代的な芸術音楽における記譜法の歴史を紐解けば、その歩みが記号や言語で曲のあらましを具体的に記述する方法を模索する歴史だったことがわかるだろう。一方、拍子、音価、音高のどれかを厳密に規定せず、どこかを必ず「開いておく」フェルドマンの記譜法では、五線譜と図形楽譜両方の場合において整数分割にきちんと当てはまらない特性が否応なしに出てきてしまう。むしろ彼自身はこの割り切れない、不合理な特性を1950年代の自分の音楽の独自性を打ち出すために積極的に打ち出してきた。輪郭のはっきりしたフレーズやパッセージといった言葉よりも、出来事やジェスチャーといった刹那的で何かしらの動きや曖昧さを含む言葉の方がフェルドマンの音楽を描写する際に向いている理由もここにある。始まり・中間・終わりのプロットに基づき、周期的な拍節に即した時間とともに展開する五線譜は、一目すれば事の成り行きをある程度、正確に見渡せるので、フェルドマンには「あまりにも一面的」で膠着した慣習に映ったのかもしれない。

 図形楽譜を一旦休止して五線譜に専念し、それからまた図形楽譜に戻ったフェルドマンが作曲した2つの管弦楽曲「Atlantis」と「…Out of ‘Last Pieces’」は、第5回で解説したマース・カニングハムのダンス作品「Summerspace」のための「Ixion」(1958)と同じく、小さな渦のようなジェスチャーが次々と現れては消えていく散発的なテクスチュアの楽曲だ。「Atlantis」の編成はフルート、ピッコロ、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ハープ、シロフォン、ヴィブラフォン、ピアノ、チェロ、コントラバス。「…Out of ‘Last Pieces’」の編成はオーボエ、バスクラリネット、バストランペット、バストロンボーン、打楽器(テナードラム、大太鼓、アンティーク・シンバル、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、モーター付グロッケンシュピール、シロフォン、テンプル・ブロック)、ハープ、エレクトリック・ギター、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、コントラバス。どちらの曲も中規模編成で、前回述べたように同時期の小編成の室内楽曲と同様にあまり見慣れない組み合わせから成っている。これら2曲はマス目に演奏すべき音の数、グリッサンドやピツィカートなどの演奏法、装飾音が記された図形楽譜で書かれている。他の図形楽譜と同じく具体的な音高は指定されていない。楽譜の外観からはフェルドマンが求めた可塑性はほとんど感じられないが、回転するジェスチャー、アタックを最小限に抑えたどこからともなく立ち上がってくる持続音、異なる音色の交差などの現象が、この2曲が生み出す動きの感覚に大きく寄与していることがわかる。これら2曲がもしも五線譜だったら、複雑な拍子とそのめまぐるしい交替、クラスターの頻出、不合理分割による連符が多用された譜面になっていたことだろう。理論上、この曲の記譜は正確で緻密な五線譜でも不可能ではないものの、一筆描きのような音のジェスチャーを実際の演奏で得るには、整数分割に基づいた既存の五線譜のシステムよりも、やはり曖昧さや不合理性に対して間口を開けておく図形楽譜の方が適しているといえる。フェルドマンが自分の楽譜の中に書きたかったのは直線や直角よりも、曲線や滲んだ線のイメージだったのかもしれない。

Feldman/Atlantis(1959)
Feldman/ … Out of ‘Last Pieces’ (1960)

 先の引用で「Atlantis」と「…Out of ‘Last Pieces’」についてフェルドマンは「より垂直な構造 a more vertical structure」と述べているが、音楽における垂直な構造の最もわかりやすい例は、音と音とが同じタイミングで垂直の方向に(縦に)重なってできる和音である。和音は単体では垂直な構造だが、規則に即して和音同士の連結を繰り返しながら全体へと発展する機能和声の場合、和音は連続性を獲得する。同じく旋律も音と音との水平な連続から生まれる。

音が出来事の水平な連なりとみなされるなら、水平な考え方に都合のよいものにするために音の特性すべてを抽出しないといけない。多くの人々にとって、今やいかにこうした音の特性を抽出するのかが作曲の過程となってきている。こんなに間隔が詰まった複雑な時間の秩序を明確にするために、ここでは差異を作り出すことが作曲の最優先事項として強調されていると言い出す人もいるだろう。ある意味、このアプローチから生まれた作品には「音」がないと言えるだろう。私たちが聴くのはむしろ音のレプリカだ。もしもこのアプローチでうまく行ったのならば、マダム・タッソーの有名な美術館の人形のいずれにも劣らず驚くべきことだ

When sound is conceived as a horizontal series of events all its properties must be extracted in order to make it pliable to horizontal thinking. How one extracts these properties now has become for many the compositional process. In order to articulate a complexity of such close temporal ordering one might say differentiation has become here the prime emphasis of the composition. In a way, the work result in from this approach can be said not to have a “sound.” What we hear is rather a replica of sound, and when successfully done, startling as any of the figures in Mme. Tussaud’s celebrated museum.[4]

 ここでのフェルドマンは、水平な、つまり連続的に流れる時間の秩序に即して作曲し、記譜することで音の特性が失われるのだと主張する。このような方法で作曲された音楽の中で鳴る音と聴こえる音は音の複製物(レプリカ)に過ぎず、音そのものを聴いているのではないというのが彼の考えだ。複製物ではない音を追求し、「水平」を忌避したフェルドマンが試みた「より垂直な構造」の中では、音が立ち現れるその都度の出来事やジェスチャーが各自の中で完結する。水平で連続する時間の中での音(ここでのフェルドマンはこれを音とは認めていないが)とは異なり、そこでは前後の論理的なつながりはほとんど重視されない。むしろ、それぞれの音は連続性を生み出すことがないように注意深く配置されている。これは1950年代、1960年代までの彼の多くの楽曲に当てはまり、彼はパターンとして認識できる音の動きをできるだけ回避することで、連続性とは異なる楽曲の進み方と時間の感覚を獲得した。

2. 自由な持続の記譜法の楽曲 「Durations」1-5(1960-1961)

 「より垂直な構造」という新たな概念を見出したフェルドマンは五線譜で書かれた小編成の室内楽曲シリーズ「Durations」1-5を1960年に始める。前回は、この時期のフェルドマンのオーケストレーションと音色の用法が楽器や声の特性を活かすよりもそれぞれの音色の出自を曖昧にする効果を狙っていたことを解説した。様々な音色をほぼ均等に扱う彼のやり方は、一見ランダムな図形楽譜の高・中・低音域が実はほぼ同じ割合で配置されている全面的なアプローチを思い出させる。「Durations」シリーズは全5曲が拍子記号と小節線のない五線譜で書かれている。拍子や拍節がなく、さらには符尾のない音符で占められたこの記譜法では、それぞれの音価(音の長さ、持続)が演奏者に委ねられていることから、「自由な持続の記譜法 free durational notation」と呼ばれている。自由な持続の記譜法は1950年代の図形楽譜に次いでフェルドマンの特筆すべき記譜法である。既に1950年代後半にこの様式の記譜が用いられていたが、「垂直な構造」の発見により、この記譜法は「自由な持続の記譜法」として定着する。この新たなシリーズについてフェルドマンは次のように語っている。

「Piece for Four Pianos」と他の同様の楽曲では、演奏者たち全員が同じパートのスコアを読む——そこで経験するのは、同じ響きの源泉から生じたリヴァーヴの連続のような効果だ。「Durations」では、それぞれの楽器が各自の独立した音の世界の中で自分たちの独立した生を生きる、さらに複雑な様式に到達した。

In “Piece for Four Pianos” and others like it, the instruments all read from the same part—and so what you have there is like a series of reverberations from an identical sound source. In “Durations” I arrived at a more complex style in which each instrument is living out its own individual life in its own individual sound world.[5]

 「Piece for 4(Four) Pianos」や「Two Pianos」(1954)は同じ楽器の複数の奏者が同じ楽譜を用いるが、それぞれのペースで曲を進めていく方法で演奏されるので、ここでフェルドマンが言うように、同じ音色が時間差でリヴァーヴ効果のように聴こえてくる。一方、彼の新たな「さらに複雑な様式a more complex style」の「Durations」は、上記2曲と同じく演奏者が各自のペースで演奏するが、今度は異なる楽器による室内楽曲編成なので、当然そこでは同時に様々な種類の音色が鳴り響く。聴こえてくる音色の種類と幅が増えることによって、響きの構造も複雑さを増すと同時に、聴き手が感じる時間の性質にも変化が生じる。Saniによれば、「Durations」でのフェルドマンの意図は「聴き手の聴覚的な記憶を消し去ること。つまり、その前に起きたことに対する聴き手の音楽的な意識を混乱させること to erase the aural memory of the listener, and that is, to confuse the listener’s musical awareness of what had come before.」[6]にある。通常の楽曲、特に調性音楽ならば曲を聴き進めていくうちに、その旋律などが記憶に残り、曲の途中や後半で再び同じものが現れるとそれを察知できるが、フェルドマンの音楽はそのような慣れや親しみを歓迎しない。一度、曲の中で以前に起きたことは二度と同じかたちで現れないか、もし再び登場したとしても、それ以前の音高と半音1つ分だけ違っていたり、音域や演奏パートが異なっていることがあるので、まったく同じものが現れる可能性はとても低い。彼の音楽はわざと覚えにくく作られていると言ってもよいだろう。楽譜を見ずに耳だけで音を追いかけていると、この覚えられなさ、馴染めなさはさらに強まる。聴き手の感覚や記憶に挑むかのような傾向は1960年代から1980年代の晩年の長大な楽曲に至るまで、彼の創作の中で徐々に増していく。「Durations」シリーズの意図的な記憶抹消効果は「String Quartet II」(1983)、「Piano and String Quartet」(1985)といった後期の演奏時間の長い楽曲の予兆としても考えられる。

Feldman/ Durations 1-5 (1960-61)

 アルトフルート、ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる「Durations 1」(1960)は4つのパートの楽譜上での重なりによってできる156種類の和音から構成されている。これらの和音の大半はトーン・クラスターのような半音階的な重なりによってできている。そのうちのどの1つも構成音が完全に一致する同じ和音はない。「Durations 1」の標準的な演奏時間は約10分。この10分間に耳に入ってきた音の響きを記憶し、それらを呼び起こすことはとても難しい。人間の記憶は反復によって強化されるが、この曲ではある音が反復されたとしても常に微細な差異を伴うので、その現象が他の現象と同一であると認識するに至らない場合が多い。

 「Durations」シリーズをはじめとする自由な持続の記譜法で書かれた楽譜の和音は、楽譜の中に記された音符の縦の重なりとしての外見上の和音に過ぎない。実際の演奏の中では、和音としての音のまとまりや重なりよりも、それぞれのパートが各自のペースで鳴らす音の散発的な響きが多数を占め、ここで私たちが主に耳にするのは音の揺らぎと余韻である。「Durations 1」の場合は156種類の音の重なりの瞬間が記譜されているが、それらは全てがタイミングを揃えて鳴らされるわけではないので、楽譜上の音と、聴こえてくる音とは必ずしも一致しない。楽譜に記された音符でたどっている音の動きや楽曲のあらましは楽譜の中の出来事であり、演奏によって現れる響きとは別の次元にあるともいえるだろう。

 「Durations 3」も聴き手に記憶の拠り所を作らせない音楽だ。「Durations 1」同様、聴き手がこの曲の音の動きを追ったり、覚えたりすることは難しい。「Durations 3」の編成はヴァイオリン、チューバ、ピアノ。楽譜には小節線が引かれていない。曲全体はテンポ表示の異なる短い4つの部分——Ⅰ:Slow, Ⅱ: Very Slow, Ⅲ:Slow, Ⅳ:Fast——に分かれている。どのパートもアタックをできるだけ抑えて演奏されるはずだが、筆者はCD等の録音を聴くと、高音域で鳴らされるチューバの音に最も注意を惹かれてしまう。パートⅠは全ての楽器が一斉に音を鳴らすテュッティで始まり、3つの楽器が徐々に中心から離れるように各自のペースで進む。パートⅡはテュッティで始まるのではなく、チューバ、ピアノ、ヴァイオリンの順で始まる。全ての楽器の響きが渾然一体となった「Duration 1」と違い、ここではそれぞれの楽器がある程度の独立性を保っている。パートⅡと、速いテンポで演奏されるパートⅣは比較的それぞれの音の動きを追いやすいが、反復や覚えやすいフレーズが出てくるわけではないので、やはり記憶し難い音楽には変わりない。

 テュッティで始まるパートⅢは4つの部分に分けることができ、DeLioはこれらの部分をジェスチャーと呼んで分析している[7]。表の最上段の数字は3つの楽器の垂直な重なり(楽譜では和音に見える)を示す。このような垂直な重なりから生じる全体的な響きを、DeLioの方法に倣い、曲の進行に伴うテクスチャーの変化に即して4つのジェスチャーに区分けした。ジェスチャー1は1-15番目、ジェスチャー2は16-21番目の、ジェスチャー3は22-29番目の、ジェスチャー4は30-37番目の音の範囲である。表中の塗りつぶしはF#、G、A♭の3音が現れる箇所を示す。

Durations 3 パートⅢ

ジェスチャー1 *( )はヴァイオリンのハーモニクス

 12345678
violinA♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)F#5 (B5)F#5 (B5)F#5 (B5)
tubaF#1F#1F#1F#1F#1G2G2G2
pianoG5G5G5G5G5A♭6A♭6A♭6
 9101112131415
violinG4 (C5)G4(C5)G4 (C5)G4(C5)A♭5 (D♭6)A♭5 (D♭6)A♭5 (D♭6)
tubaA♭3A♭3A♭3A♭3F#2F#2G1
pianoF#2F#2F#2F#2G6G6F#7

ジェスチャー2

 161718192021
violinG4F#5A♭3G3 (C4)F#4A♭6
tubaF#3A♭2F#4G3A♭1G5
pianoA♭2G5G5F#1G5F#3

ジェスチャー3

 2223242526272829
violinD4 F5G♭4A3 (D♭4)G6F4G5 G6(装飾音)
tubaA2G1C#3D2A3 G3B♭3
piano A♭6 F#2G4 A♭6C4 B5B4/A♭4 F#2/G3C1A♭4/G5 F#3A♭4/G5 F#3

ジェスチャー4

 3031323334353637
tubaC3B1D2B♭1E3D#3G#1C2

 表を見ると、ジェスチャー1とジェスチャー2に出てくる音高が半音階的に隣り合った3音——F#、G、A♭——に限られており、曲の半分以上がこの3音で占められている様子がひと目でわかる。ここまでの範囲は各楽器間での3音の受け渡しだけで構成されている。だが、3つの全く異なる種類の楽器の音色と、その都度変わる音域の組み合わせから、ここまでの範囲がたった3つの音でできていることを耳だけで把握するのはあまり簡単ではない。

 ジェスチャー3から曲の様相が徐々に変化する。ピアノの音高は大半が依然としてF#、G、A♭を占め、この曲の響きの枠組みを守っているように見えるが、ヴァイオリンとチューバはこれまで登場しなかった新たな音高を少しずつとりいれ始める。DeLioは「曲のテクスチュアがさらに異質で断片的になる結果として、それぞれの楽器が新たな、より独立した役割を果たし始める。The instruments begin to take on new, more independent roles as a result of which the texture becomes more heterogeneous and fragmented」[8]と指摘する。これは、最初は同質かつ均等に扱われてきたヴァイオリン、ピアノ、チューバの三者の間に微かな関係性の変化が生じていることを意味する。特にチューバはその後も存在感を増して行き、曲を締めくくるジェスチャー4ではついにチューバ独奏となる。ジェスチャー4でのチューバは、ジェスチャー3での極端な跳躍に比べると、旋律のようななめらかな動きさえ見せる。今までの3音による同質的なテクスチャーは、まるでこのチューバ独奏のための序章だったかのようだ。

 「Durations 1」も「Durations 3」も特に劇的な音楽的効果は用いられていない。特に「Durations 3」は一見、同質なテクスチャーが楽器や音域の配置によって微細な差異を獲得しながら静かに進むので、今聴いている音と、その前に聴いたはずの音とがそれほど遠くない関係にあるのだと気づきにくい。複雑でとりとめのない音楽に聴こえるが、楽譜を見てみると限られた音が少しだけ姿を変えて現れるだけで、実はそれほど複雑な構造ではないことがわかる。次にとりあげる「For Franz Kline」ではその傾向が強まり、楽譜と鳴り響きの関係もさらに乖離する。

3. 「For Franz Kline」(1962) スコアを眺める目が泳ぐ曲

 「Durations」シリーズと同じく自由な持続の記譜法で書かれた「For Franz Kline」(1962)の編成はソプラノ(ヴォカリーズ)、ホルン、ピアノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロ。前回はこの曲のオーケストレーションが楽器独自の音色を活かすのではなく、むしろそれを消し去ろうとしていることを指摘した。このような音色の抽象化はこの曲が捧げられた画家、フランツ・クラインの黒と白を基調にしたモノトーンの作品と重なる。今回は楽譜と実際に聴こえてくる音との乖離に着目してこの曲を見ていく。

Feldman/ For Franz Kline (1962)

score: https://issuu.com/editionpeters/docs/fm22

 ペータース版のスコア冒頭にはフェルドマンによる演奏指示が書かれている。

最初の音は全ての楽器が同時に鳴らす。それぞれの音の持続は演奏者に任せられている。全ての拍はゆっくりと。全ての音は最小限のアタックで。装飾音をあまりにも速く演奏すべきではない。音と音の間に記された数字は無音の拍を示す。ダイナミクスはとても控えめに。同じ弦で鳴らされる音の時はピツィカートで再び鳴らすのではなく、最初のピツィカートを維持できるよう指を弦の上に強く落とす。ホルンの音については楽譜のとおり。

The first sound with all instruments simultaneously. The duration of each sound is chosen by the performer. All beats are slow. All sounds should be played with a minimum of attack. Grace notes should not be played too quickly. Numbers between sounds indicate silent beat. Dynamics are very low. For sound occurring on the same string, instead of rearticulating pizz., drop finger heavily to carry through the sound of the first pizz. Hn. sounds as written.[9]

 弦楽器やホルンの具体的な演奏指示以外は「Durations」シリーズとほとんど変わらず、ゆっくりとしたテンポ、最小限のアタック、速すぎない装飾音、全休符とほぼ同じ意味を持つ数字が記されたフェルマータ(上記の演奏指示では「音と音の間に記された数字」と表現されている)は、この時期のフェルドマンの楽曲にとっては定番の事柄といってもよいだろう。「Durations」シリーズの一部でも既に用いられていた、同じ音符を結ぶ点線の登場頻度が「For Franz Kline」では格段に増している。この点線は通常の五線譜におけるタイと同じ役割を持ち、点線で結ばれた拍の分だけ音をのばす。点線で結ばれた持続音はその場面に求められている響きの土台を作るともいえるだろう。

 曲の出だしではソプラノのE5(3拍分)、チャイムのD4(5拍分)、チェロのF3(4拍分)が点線で結ばれている。対して、残りのピアノ、ホルン、ヴァイオリンは単音を1つ鳴らす。このように、冒頭では持続音と散発的な音とが対比されている。他の自由な持続の記譜法による楽曲と同じく、全パートが始めにほんの一瞬、揃った後、それぞれが各自のペースで進む。

 スコアをただ眺める限りでは1950年代後半の五線譜の楽曲に並んでなんとも言い難い楽曲なのだが、少し詳しく見ていくと、この曲を構成する3つの要素を見つけることができる。1つ目は点線で結ばれた持続音、2つ目は他の音とつながりを持たない独立した単音または和音、3つ目はいくつかの単音のまとまりからできるジェスチャー[10]。この3つの視点で楽譜を見ると、先に言及した「Durations 3」パートⅢのように曲の進行に伴って徐々に変容するテクスチャーと、さらには先にあげた3つの要素の役割が明確になってくることがわかる。

 スコア1ページ目は3つの要素全てが満遍なく出揃った賑やかな見た目だ(実際の鳴り響きは賑やかではないが)。1ページ目前半では、幅広い跳躍のチェロの3音のジェスチャーに重なるように、ソプラノが7度音程による2音のジェスチャー(A4-B3)を歌う。フェルマータ2つ分の休止を経て、ソプラノの10拍、つまり音符10個からなる長めのジェスチャーが続く。このソプラノのジェスチャーもフェルドマンが好んで用いる7度音程(D4-C5、G5-A♭4、A♭4-B♭3、F4-E5)を主としている。7度音程を基調とするソプラノのジェスチャーは1ページ目後半にもA5-B4-C#4の3音として現れる。ヴォカリーズで声を用いる場合、フェルドマンは声と他の楽器の音色とをほぼ同質に扱う傾向にあるが、ここではピアノ、ヴァイオリン、チャイムが和音を鳴らし、ホルンとチェロが音をひきのばす中でソプラノのジェスチャーが唯一の連続する動きとして際立たせられているように見える。他に目を引くのは、徐々に積み上がっていくチャイムの和音(D4-F4-C#5-E5)と、1ページ目の後半で複数回鳴らされるピアノの和音(D3-F#3-F4-A♭4-E♭5)だ。この和音は3拍分ひきのばされた後、左手の2音が1オクターヴ上に移高し、フェルマータを挟んで3回繰り返される。

 2ページ目に入ると、ソプラノに加えてホルン、ヴァイオリン、チェロがジェスチャーを担う。ピアノとチャイムは引き続き和音に徹し、場面全体の響きの土台を形成している。この2つのはざまで、時折ピアノとチェロが和音を単発で鳴らす。混沌とした1ページ目に比べて、2ページ目以降からは混沌がやや収まり、先に述べた3つの要素を見つけやすい。

 3ページ目のジェスチャーは、ソプラノのE♭5-C5からなる反復的な音型、その後の息の長い10音(B3-E♭4-D4-A♭4-C5-C#4-E4-G5- A♭4-B3)、音域の離れた2度音程を基調としたホルンの4音(G#3-A4-D♭4-C3)、ヴァイオリンによる3音(D5-G-5-F#6)、ページ最後のチェロによる4音(A♭3-D4-A4-F4)の5箇所である。点線で結ばれた持続音は各パートに満遍なく割り当てられている。このページの最後ではチェロ以外の全パートが点線で結ばれた持続音を鳴らす。

 最後となる4ページ目にジェスチャーは現れず、チェロとピアノによるアルペジオの和音以外は持続音が全体を占めている。これまでは3つの要素がそれぞれのページに必ず現れて、動きと静止の両方の性格を曲中に見出すことができた。しかし、4ページ目では持続音が多数を占めるので、曲全体のテクスチュアが同質化し、静止している印象が強まる。

 ここまでの記述は楽譜に書かれた音符だけを頼りに行ってきた。では、実際のこの曲はどのように鳴り響くのだろうか?読譜に慣れていれば、譜面だけで音の鳴り響きをある程度想像して再現できるし、スコアを目で追いながら聴くこともそれほど難しくない。だが、この曲の場合は事情が異なる。いくら曲を熟知していてもスコアを目で追いながら聴くのが難しい。なぜなら、ひとたび曲が始まると6つのパート全てが違うペースで進むので、時間の経過とともに各パート間の差異が明確になってくるからだ。どれか1つのパートが全体のテンポから大きく逸脱することはないものの、アンサンブルやオーケストラ編成での自由な持続の記譜による楽曲では、全てのパートの動向を一度に把握することは容易ではない。随所に挿入されるフェルマータもスコアに基づいた聴き取りを難しくする要因の1つだ。あるパートがフェルマータに記された数字の拍だけ無音でいる間にも、他のパートはそれを関知するはずもなく次々と音が鳴る。他のパートの音に気を取られているうちに、そのパートの無音の部分は終わり、既に新しい音が鳴ってしまっている。どこか1つを見ているだけでは不十分だが、だからと言って全体を見渡そうとしても、常に足並みが揃わないので全てが五里霧中になるような状況に陥ってしまう。加えて、それぞれのパートの音色の特性を活かさないフェルドマンのオーケストレーションがこの状況をさらに難しくする。このことは、普段、私たちが音のどの側面を頼りに音色を特定しているのかを逆説的に明らかにしている。演奏指示に記されているように、この曲で求められているのはアタックを極力抑えた演奏だ。彼の様々な楽曲で目にするこの演奏指示は音に対する彼の考え方を反映している。

音のアタックはその音の特性ではない。実際、私たちが耳にしているのはそのアタックであって音ではない。しかし、減衰は音の去り際の風景であり、音が私たちの聴取のどこに存在するのかを示してくれる——音は私たちに向かっているというより私たちから去り行く。

The attack of a sound is not its character. Actually, what we hear is the attack and not the sound. Decay, however, this departing landscape, this expresses where the sound exists in our hearing—leaving us rather than coming toward us.[11]

 フェルドマンの考えに倣えば、音の特性はアタックではなく減衰、つまり音が消え行くプロセスにある。音の減衰は響きや余韻でもあり、これらは時間の経過と共に存在する。この曲の聴取に際しては無理に音色を特定しようとせず、声と楽器が混ざり合った響き全体を聴けということなのだろうか。だが、この連載では彼の音楽を楽しむだけでなく「知る」ことも目的としているので茫洋と聴き流すのとは違う聴き方を提示したい。

 「For Franz Kline」を聴いていて最もわかりやすい音の目印はチャイムの音である。楽譜の中では声によるジェスチャーがこの曲の中で際立った存在だが、実際の鳴り響きでは楽譜から読み取ることのできる姿とは別の姿が浮かび上がってくる。楽器の特性を加味すると、アタックを極力抑えてもハンマーで打ち鳴らすチャイムからアタックを完全に消し去ることはできず、曲中では思いがけず強い存在感を放つ。チャイムのような、どうしても消し去ることのできない楽器の特性と音色が聴き手に道標を与えてくれる。スコアを見る目が泳いでどのパートがどこを演奏しているのかわからなくなったら、アルペジオのように1音ずつ積み重なるチャイムの響きを探してみてほしい。

 楽譜は概念や創造性を具現し、表現する場であると同時に、演奏や記録のための実用性も備えている。それはもちろん「For Franz Kline」においても同じだ。この曲の出版譜は全6パートの音が垂直に整然と並んでいる。読譜から想像できるのは、6つのパートが一体となって1つの和音を作り、それが次々と鳴らされる響きだろう。しかし、先に見てきたように、「For Franz Kline」を実際に聴いてみると、スコアに整然と並んだ音符からは想像できない混沌が響きとして現れる。自由な持続の記譜法による楽曲では、楽譜と鳴り響きとの隔たりが大きくなる傾向があるが、この曲はその隔たりが「Durations」よりもさらに著しい。スコアを具に見れば見るほど、楽譜の中の音像と実際の演奏から現れる音像との距離がますます開いていくように感じるのだ。自由な持続の記譜法はむしろこの2つの縮まらない隔たりを是とし、聴き手の読譜と聴取の技量を試しているようにも思われる。

4. フェルドマンにとって記譜法とは? 伝統と革新、論理と直感との間

 もしも、フェルドマンが楽譜と鳴り響きとの隔たりを縮めようと試みたならば、どのような記譜がこの曲に適しているのかを想像してみよう。先に見てきたように、アタックをできるだけ抑えて演奏される「Durations」と「For Franz Kline」には、複数の音の響きとその減衰が混ざり合って生まれる効果を聴かせる狙いがあると考えられる。これらの曲の楽譜の外見と実際の鳴り響きのイメージとを一致させようとした場合、均質に色が塗られ、形が整えられた音符の符頭が規則的に配置された楽譜ではなく、ぼやけた輪郭と不均質な濃淡の符頭が不規則な感覚でぽつりぽつりと配置された楽譜が浮かんでくる。演奏のための実用性を考慮しなくても済むのなら、作曲家が求める音のイメージを忠実に再現した楽譜はこのような姿になり、楽曲で求められている音のイメージを演奏者に対して具体的に喚起することもできる。今ここで勝手に想像している楽譜に記された、ぼやけた輪郭と不均質な濃淡の音符はクライン、デ・クーニング、フィリップ・ガストンら、この当時のフェルドマンと親しく付き合っていた画家たちの作風を彷彿させる。彼らの作品もまた、キャンヴァスという固定された媒体に衝動や運動を描きつける方法をそれぞれの方法で模索していた。フェルドマンが五線譜による正確な記譜法を「一面的」で可塑性を欠いているとみなしたことと、抽象表現主義画家がキャンヴァスに動きの要素をもたらそうとしたことは、その根底で同じ方向を希求していたといえるだろう。だが、フェルドマンは絵画に詳しかっただけでジョン・ケージのように絵の才能があったわけではなく[12]、同時代のフルクサスのような実験芸術にもそれほど共感していなかったので、記譜法そのものを根本的に覆す自分独自のセンセーショナルな楽譜を書こうとはしなかった。フェルドマンが楽譜の外観と音の関係に注意を払っていたが、楽譜自体の見た目の美しさや革新性にさほど関心がなかったことは、彼の最晩年に当たる1986年にオランダ南西部の都市、ミデルブルフで行われた連続講義での次の発言からわかる。

私はスコアがどんな風に見えるのかで頭がいっぱいだ——ほとんど数学的ともいえる等式に気付いた。自分の記譜法が狂えば狂うほど、それはよりよく鳴り響くのだった。視覚的な見た目が必ずしもこの種の音響を把握する鍵になるわけではなかった。だから私は記譜法にとても興味があり、図像的な魅力よりも、ポリフォニーから逸した音響的な現実性を記譜から得ようとしている。

I’m very involved with how the score looks—I found an almost mathematical equation: that the crazier my notation was, the better it sounded; that the visual look not necessarily was the key towards that type of sonic comprehension. So I’m very interested in notation, of trying to get the sonic reality of the piece, rather than its graphic attractiveness, which is out of polyphony. [13]

 フェルドマンは例えばバッハが書いたようなポリフォニーの楽譜に見られる秩序や洗練を記譜に求めていなかった。このことは後述する学生への助言でも明らかだ。彼が1950年から始めた図形楽譜は歴史的に見ると革新的だが、左から右へと読むなど五線譜の仕組みを踏襲し、その外観も比較的単純だ。1960年代に本格化した自由な持続の記譜法も1つの曲の中に複数の音楽的な時間を創出する点での革新性を持っているが、五線譜を基調としているのでそれほど突飛な見た目ではない。彼は他の作曲家のように[14]音符そのものの形を変える自分独自の記譜体系を作ろうとはせず、五線譜の基本的な枠組みを維持した。

 1960年代の自由な持続の記譜法では、楽譜の中の音符から符桁ふこう(音符のはたの部分)を取り去り、音符と音符とを連桁れんこう(連符を作るために用いられる音符の旗の部分)で水平方向に繋げず、音符をひとつひとつ楽譜に置いていった。このように音符と音符とを結びつけて束縛せず、せめて見た目だけでも独立させることで、楽譜の中の音符を少しでも自由にしようとしたのかもしれない。自由な持続の記譜法は、小節線の引かれた伝統的で慣習的な五線譜に比べれば革新的ではあるものの、突飛になり過ぎることもない記譜を模索していた彼なりの最良手段だったともいえるだろう。

 より精緻な五線譜による記譜法へと完全に移行した1980年のインタヴューで、フェルドマンは「少なくとも自分にとって、記譜法がその曲の様式を決める notation, at least for me, determined the style of the piece」[15]と発言している。この発言を受けて、図形楽譜または自由な持続の記譜法が五線譜に対する断絶を意味するのかとたずねられた彼は、「私はそれ(訳注:図形楽譜または自由な持続の記譜法)を本当に全く別個のものとして見なしている。ある人が彫刻も作れば絵も描くのと同じようなことだ。I saw it, very, very, differently. I saw it somebody does a sculpture and then does a painting.」[16]と答え、記譜法の選択はその時の自分の創作に適した語彙と手段であることを強調した。彼の作曲にとって記譜は音楽の様式を決める重要な事柄に変わりないが、どれを使うかはその時々によるということなのだろう。だが、実際の彼の作品変遷を見てみると、図形楽譜は1967年頃に終わり、自由な持続の記譜法は1970年代以降ほとんど用いられていない。フェルドマンは「伝統的な記譜法に回帰したことは本当になかった。I never really ‘returned’ traditional notation.」[17]と言っているものの、実際のところ1970年代以降の楽曲に用いられている五線譜の記譜法は年代が進むにつれて精度が上がって正確さが増し、彼がいう「伝統的な記譜法」にどんどん近づいて行っている。このような発言の矛盾はさておき、彼自身が言うように、記譜法がこの作曲家の音楽の様式を決めることはたしかであり、この連載でもこれまでに何度か言及してきた。1950年代、1960年代におよそ10年周期で記譜法を変えてきたフェルドマンは楽譜を書く作業をどのように捉えていたのだろうか。先に引用した1986年のミデルブルフでの講義で彼は学生たちを前にこのように語っている。

記譜法にまつわる考え方の全ては音符の配置についてのなんらかの思いつき、音符をここかあちらかに置いて、それを動かす際のアイディアを授けてくれる。私は何か形式的なことについて話しているわけではない。本能でやってのける人もいるだろうと言っているのだ。ここに音符を書けばあそこにも音符を書く。あなたたちは対位法をあまり勉強しなかったのでは?そうでしょう?ご存知の通り、対位法は楽譜のページ設計を見せてくれる点で役に立つ。すばらしいことだ。あなた方は本能の力を伸ばしている…

The whole idea about notation is to give you some idea of placement, of putting it here or there, moving the note around. I am not talking about anything formal, really. I am talking about one might even do it by instinct. You put it here and you put it there. You didn’t study much counterpoint, did you? No. Well, you see, what counterpoint does is it gives you a look of the design of the page. It’s marvelous. You develop an instinct…[18]

 本能や直感に従って音符を書いていくことと、唐突に出てきた対位法がここで対比されている。これは作曲の基本的な訓練をどれほどしたのかを問うフェルドマンから学生たちへの皮肉のようにも見える発言だが、1960年代の自由な持続の記譜法によるフェルドマンの楽曲も完璧に構築された対位法の楽譜や記譜法とは全く相容れない。従って、上記の発言は学生への皮肉であり、フェルドマン自身に対する自己批判とも解釈できる。

 本能や直感か、それとも規則や論理なのかという問いは、既存の作曲のレトリックの超克を模索したフェルドマンの創作に一貫する命題でもあった。最終的にフェルドマンは、「あなたたちはよい耳を持っている You have a good ear.」[19]と言い、対位法に長けたバッハのような俯瞰的な視野を持たなくとも作曲と記譜を発展させていく方法を学生たちに語る。フェルドマンはその具体的な方法として「正確に記譜し、それを眺めて、その楽譜の均整が取れているかどうか悩め。notate exactly and then you see and worry about the proportions」と学生たちに助言する。「だが、さらにうまくやりたいなら… もっとうまくやる方法を教えよう。とにかくもっと慎重になれ。But if you want to do it better…I tell you how to do it better. Just be more selective.」[20]と続けて彼は学生たちを鼓舞した。上記の発言から、フェルドマンにとっての作曲は、対位法のような音の設計と構築を指すのではなく、音をじっくり聴くことを通して、音を慎重に選び取り、それを楽譜に書き付けていく作業を意味するのだとわかる。だが、ここでの学生たちへの助言も素直に受け止めてよいものではない。「Durations 3」パートⅢの冒頭からしばらく続く3音の受け渡しのように、無作為に抽出されたかに見える音の配置であっても、楽譜を詳細に見ていくとそこになんらかの類縁性や関係性が浮かび上がってくることがよくある。直感的、本能的に書かれたかのように見える自由な持続による記譜でも、そこには音と音とのなんらかの関係性が必ずどこかに隠れているのだ。このことも1960年代前半のフェルドマンの楽曲の中で、楽譜と音の鳴り響きがいかに乖離しているのかを物語っているといえるだろう。

 「垂直」を発見した1960年代のフェルドマンはしばらく自由な持続の記譜法を続ける。だが、「垂直」ばかりに気を取られていては、一見よくわからない楽譜に潜む微かな関係性や類縁性を見落とす危険があり、やはり記譜された音符を水平と垂直の両方向から見ていく必要がある。引き続き、次回は自由な持続の記譜法で書かれた楽曲と、フェルドマンのいう「垂直」についてさらに詳しく考察する予定である。


[1] Morton Feldman, “Autobiography”, in Essays, Kerpen: Beginner Press, 1985, p. 38
[2] ここでフェルドマンは「Atlantis」の作曲年代を1958年、「Out of Last Pieces」の作曲年代を1960年と書いているが、パウル・ザッハー・アーカイヴでの資料調査に基づいてSebastian Clarenが作成した作品カタログ(Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000に収録)によると、前者の作曲年代は正しくは1959年、後者の作曲年代は正しくは1961年。「Out of Last Pieces」のタイトル表記はカタログ、出版譜、CD等では「…Out of ‘Last Pieces’」とされることが多い。本稿でも引用を除いて「…Out of Last Pieces」と表記する。
[3] Ibid., p. 39
[4] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 12
ここで言及されているマダム・タッソーの美術館とは、歴史上の人物や有名人の蝋人形を展示しているマダム・タッソー蠟人形館である。ロンドンを拠点に世界各国にこの蠟人形館がある。
[5] Feldman 1985, op. cit., p. 39
[6] Frank (Francesco) Sani, “Feldman’s ‘Durations Ⅰ’: a discussion”, in Morton Feldman Page www.cnvill.net/mfsani1.htm
[7] Thomas DeLio, “Toward an Art of Imminence: Morton Feldman’s Durations Ⅲ, #3”, originally published in Interface, vol. 12, 1983, pp. 465-480, published online in Morton Feldman Page https://www.cnvill.net/mftexts.htm in 2008. 今回はオンライン版を参照したので引用した箇所のページ数は不明である。
[8] Ibid.
[9] Feldman, For Franz Kline, Edition Peters, EP 6984, 1962.
[10] ここでの「ジェスチャー」は、先に引用したDeLioの用法(3つの楽器の全体的な響きから生じるテクスチャーの意味)とやや異なり、曲中に現れる各パートの音の連続とその動きを意味する。
[11] Feldman 2000, op. cit., p. 25
[12] フェルドマンの著述や講義録に掲載されているいくつかのイラストや図を見る限り、彼には絵画の才能とセンスがなかったことがわかる。
[13] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Band Ⅰ, Köln: MusikTexte, 2008, p. 58
[14] 例えばフェルドマンやケージとも親交のあったヘンリー・カウエル Henry Cowell(1897-1965)は1930年にNew Musical Resourcesを出版し、既存の五線譜とは異なる自分独自の理論と記譜体系の構築を試みた。
[15] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 91
[16] Ibid., p. 91
[17] Ibid., p. 91
[18] Feldman 2008, op. cit., p. 296
[19] Ibid., p. 298
[20] Ibid., p. 298

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は11月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (24) 珍曲へのいざない その3 執念の人々

Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions John Kersey(p)RDR CD30
Piano music of Sydney Smith (1839-89) Original works and paraphrases John Kersey(p)RDR CD24

忘れられた作曲家や埋もれた作品を世に出すことに凄まじいパワーを注いだピアニストがいます。代表的なのはアルカンの復活に心血を注いだ人たち。19世紀末頃はリストやショパンと並ぶ大作曲家と言われていたのに、20世紀前半段階でほとんど誰も弾かなくなっていた(ま、そりゃ無理ないかな)アルカンの復活にRaymond Lewenthal(1923 – 1988)とRonald Smith(1922 – 2004)は凄まじい情熱を傾けました。この2人が交流を持っていたのか、どう影響し合ったのかはわかりません。しかしこの2人の執念なくしては、アルカンの復活は無かったでしょう。日本でも中村攝(金澤攝)が1990年頃、アルカン・リバイバルに執心していました。今現在は森下唯が集中的にアルカンに取り組んでいます。これまでの先人たちが難しすぎて手を出さなかったスケルツォ・フォコーソop.34に見事な演奏で光を当てたのは森下の素晴らしい成果と思います。ともあれ21世紀になってピアノサークルの発表会やストリートピアノでもアルカンを弾く人がいるような世の中になったのはLewenthalとSmithのおかげです。彼らの執念に深く深く感謝しましょう。(余談ですが、Kapustinが世界中に知られて弾かれるようになったのは、日本のピアノ愛好家たちの力と私は思っていますが、どうでしょう。)

さて、忘れられた作曲家や埋もれた作品の復活に心血を注ぐ演奏家は、数多く存在していると思います。その中でもかなりアツイのがイギリスの音楽学者でピアニストのJohn Kersey先生でしょう。彼は19世紀ロマン派のピアノ音楽の発掘に執念を燃やしており、自ら録音してリリースし続けています。彼のCDは(私が買った時、そしてたぶん今も)輸入CD店やamazonでの取り扱いはなく、彼のホームページから直接買うしかありませんでした。そのCDリリース数たるや凄まじく、聞いたことのない作曲家名や珍曲に溢れたサイトのカタログアーカイブスコーナーもあり)を見るだけで嘆息の嵐となってしまいます。一応連番であるCD番号はすでに103です。

私が買ったのは「Unknown Piano Music of Alkan」と「Piano music of Sydney Smith」の2枚。ただでも珍曲作家扱いのアルカンのさらに「知られざるピアノ音楽」とは何だ?と見てみると、

  1. Handel=Alkan: Chœur des Prêtres de Dagon from ‘Samson’
  2. ‘Il était un p’tit homme’: Rondoletto, op. 3
  3. Weber=Alkan: Chœur-Barcarolle d’Obéron (Les filles de la mer)
  4. Beethoven=Alkan: Chant d’Alliance (Wedding Song)
  5. Désir, petit fantaisie
  6. Variations quasi fantaisie sur une barcarolle napolitaine, op. 16 no. 6
  7. Grétry=Alkan: Marche et Chœur des Janissaires
  8. Nocturne no 3 in F sharp major, op. 57
  9. Marcello= Alkan: ‘I cieli immensi narranno’ from Psalm 18
  10. Gluck=Alkan: ‘Jamais dans ces beaux lieux’ from ‘Armide’
  11. Variations on ‘La tremenda ultrice spada’ from Bellini’s ‘Montagues and Capulets’, op. 16 no. 5
  12. Réconciliation: petit caprice mi-partie en forme de zorcico, ou Air de Danse Basque à cinq temps, op. 42
  13. Variations on ‘Ah! segnata è la mia morte’ from Donizetti’s ‘Anna Bolena’, op. 16 no. 4
  14. Anon=Alkan: Rigaudons des petits violons et hautbois de Louis XIV
Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions

初期作品や編曲もの中心のラインナップで、リリースされた2007年当時では世界初録音曲が含まれていました。初期アルカン作品は変態的な難技巧や過激な書法はほとんどなく、エルツやピクシスを思わせるようなサロン風の明るさと程よい華美に包まれています。中でもOp.16 no.6 の変奏曲はリストのタランテラの中間部と同じ旋律を使っていて、結構興味深く聴けます。編曲ものもおとなしめのものばかり。これは執念の人John Kersey先生がアルカン全盛期の変態的難技巧をあびせ倒すようなテクをたぶん持っていないことにも起因していると思います。確かにKersey先生はアルカンの交響曲のライブ録音もリリースしてます。が、アルカンに取り組んだ豪腕系ピアニストたちと比べると多少酷な感じです。もちろん「Unknown Piano Music of Alkan」の各曲はきちんと弾いてはいて、たどたどしくはないです。ただ、華麗なる系のフレーズをピアノ的美感に昇華させるまでのピアノ弾きではありません。

Piano music of Sydney Smith (1839-89)

もう1枚はイギリスの作曲家シドニー・スミス (1839-1889)の作品集。シドニー・スミスはいくつかのペンネームを使い分けながら、いわゆるサロン風ピアノ曲をわんさか書いていた人です。自作だけでなく有名管弦楽曲やオペラのブリリアントなパラフレーズも量産しています。LPやCDやYouTubeのなかった時代、音楽鑑賞と普及がこうしたピアノ編曲によって行われていたことは有名な話です。さて、このCDの注目曲は「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲によるパラフレーズ」です。オペラ楽曲や歌曲、管弦楽曲のピアノ独奏用編曲は普通にありますが、ヴァイオリン協奏曲によるものはかなり珍しく、ゴドフスキが編曲したゴダールのカンツォネッタ(Concerto Romantique Op.35第3楽章)くらいしか知りませんでした。早速聴いてみると、全3楽章で25分くらいある原曲をそのままの順番で14分サイズに縮めています。何じゃこのカットは、という突っ込みどころは満載。第2楽章の温存度は高いですが、両端楽章はかなりザックリ行っています。ピアノ技巧的には妙なキラキラフレーズを入れたりせずに素直に創っています。楽譜はIMSLPのメンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲のArrangementタブの中にあります。ザックリカットに耐えられるならば、ピアノ学習者用コンテンツにはなる気がします。なんといっても原曲が超有名ですからね(*1)。さて、その他にはスミスの自作曲や有名オペラパラフレーズなどが8曲ほど収められています。Kersey先生によるベストセレクションなのでしょうが、特に自作曲は身震いするほどツマラナイです。無名で終わった作曲家の実力が遺憾なく発揮されていますので、ぜひ歯を食いしばってご堪能ください。

Kersey先生が後の世で「●●●の曲が世界中で弾かれるようになったのはKerseyの執念のおかげ」と言われるかどうかはわかりません。彼の膨大な発売CDを全て買って聴き込み、その執念に共感するところから未来は広がるでしょう。私は財力もなく、スミスの曲を聴いた徒労感から、その冒険に出ることはないでしょう。未来はKerseyの門を叩いた貴方から始まります。どうぞどうかお気張りやっしゃ。

注*1:CDには収録されていませんが、スミスは同じメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の短縮独奏版も作っているようです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。