あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-2

2 フェルドマンのピアノ曲

文:高橋智子

 「Triadic Memories」の考察に入る前に、このセクションでは、これまでのフェルドマンの楽曲におけるピアノ曲の位置付けと変遷について概観する。現在までに作曲年代が判明しているフェルドマンのピアノ曲をSebastian Clarenの著書Neither[1]とウェブサイト Morton Feldman Pageの「Works」[2]を参照して下記にまとめた。ここにまとめたのはピアノ独奏曲か複数ピアノによる楽曲で、ピアノと他の楽器による楽曲は含まれない。1950年以降の楽曲の( )の数字は演奏者の人数およびピアノの台数を表す。同じ( )に記されているのは初演時のピアニストの名前で、Tはデイヴィッド・チュードア、Cはジョン・ケージ、Fはフェルドマンを表す。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-1

文:高橋智子

 前回は、中東の絨毯との出会いをきっかけに1977年頃からフェルドマンの音楽が新たな局面を迎えたことを解説した。前回に引き続き、絨毯にまつわる知識の深まりと熱意から生まれた概念「不揃いなシンメトリー」を参照しながらフェルドマンの楽曲における反復技法を考察する。

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吉池拓男の迷盤・珍盤百選(35) 文豪、鍵豪、二足の草鞋

THE 19 HUNGARIAN RHAPSODIES Played by 19 Great Pianists – VAI AUDIO VAIA/IPA 1066-2 1994年
Strauss Waltz Transcriptions Janice Weber(p) – ASV C DCA 540 (LP)1985年
WIEN, WEBER und STRAUSS Janice Weber(p) – IMP Masters MCD 12 1989年
RACHMANINOV transcriptions – Janice Weber(p) IMP Masters PCD 1051 1993年
Lola Astanova: Beautiful Classical Pianist, the Original Anti-Anxiety Adult Coloring Book 2020年

「正気だった6人の大人がセックス台風に巻き込まれる」、
「疲弊したシニシズムを笑いとセックスと陰謀の陽気な行列で着飾っている」、
「深い思考を刺激しないが雨の日の良い伴侶となるようなテンポの良いサスペンス」
「映画化権を譲渡!」━━━

 米amazonのBooksサイトにこんな内容紹介や書評が躍っている女性作家がいます。彼女の公式サイトでは7冊の小説が紹介されています。中でも、表の顔はヴァイオリニスト、しかしてその実態は米国秘密諜報員というLeslie Frostを主人公にしたちょいお色気スパイアクション小説はシリーズ化されています。残念ながら日本で邦訳出版されたものはありませんが、映画化権も売り買いされているようなので、米国ではそれなりに人気の大衆小説家なのでしょう。作家の名はジャニス・ウェーバー(Janice Weber)。小説の主人公さながらに彼女にももう一つの顔があります。それはピアスニトです。彼女の公式サイトには「作家」と「ピアニスト」の2つのページが用意されています。トップページでは「作家」の方が左側、「ピアニスト」が右側に並んでいるので、「左の方により重要なものを配置する」というホームページデザイン原則に則れば、彼女は「作家」としての自分をより重視しているように思えます。

Lola Astanovaの本は本当に塗り絵のようです

 ジャニス・ウェーバーのように二足の草鞋を履いたピアニストは沢山います。音楽関係のエッセイや教育本や自伝などを著した人は数知れずでしょうが、特大の草鞋はなんといってもイグナツィ・ヤン・パデレヅスキ(Ignacy Jan Paderewski)。第1次大戦中からポーランド独立のために活動し、ポーランド共和国第二共和政の第2代首相になっています。政界進出中はピアニストとしては活動しなかったようですが、引退後復帰。第2次大戦中は亡命政府の首相にもなっています。まさに音楽史上空前の二足目草鞋でした。20世紀前半の最高のピアニストとして語り継がれるヨゼフ・ホフマン(Josef Hoffman)は発明家としても活躍し、自動車の装置などを開発して特許を取りまくり、かなり儲けたといいます。俳優業ではピアニスト役(しかも本人役)が多いものの美貌で人気を博したアイリーン・ジョイス(Eileen Joyce)がいますし、かのスヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)はグリンカの伝記映画でロン毛のフランツ・リスト役を務めていて大いに笑えます。ちなみにリヒテルは絵も得意だったそうで一時は画家を目指していたそうです。珍しいところでは週刊誌で水着グラビアを披露したリューボフ・チモフェーエワ(Lubov Timofeyeva)。どこかの海岸の岩の上で撮影したショットを今でも覚えています。クラシックのアルバムも出しているローラ・アスタノヴァ(Lola Astanova)はオトナの塗り絵本モデルを務めています。タイトルは「Beautiful Classical Pianist, the Original Anti-Anxiety Adult Coloring Book」、スゴいですねぇ。著作権の関係で中身はお見せできませんが、彼女の肉体美を全面的に展開したオトナの塗り絵が満載です。塗り絵本の表紙には「100% SATISFACTION」などと意味深な文字が躍っています。

THE 19 HUNGARIAN RHAPSODIES Played by 19 Great Pianists

 さてジャニス・ウェーバーに戻りましょう。彼女はピアニストとしてはどうなのか。その力量を如実に示すのは、VAIから1994年にリリースされた「THE 19 HUNGARIAN RHAPSODIES Played by 19 Great Pianists」でしょう。これは歴史上の有名ピアニストの録音を一人一曲ずつ選んで全曲盤に仕立てた企画アルバムで、グレゴリー・ベンコ(Gregor Benko)とウォード・マーストン(Ward Marston)というピアノマニア界の大巨頭がプロデュースしています。ここで錚々たる歴史的ピアニストたちと並んで大トリの第19番の演奏を務めているのがジャニス・ウェーバーなのです。しかも、この企画のために大巨頭たちからの要請で新録音をしています。いかに”そのスジの人”の間で彼女が評価されているかお分かりかと思います。

 彼女はマニアの間でもう一つの記録の持ち主としても知られています。ゴドフスキーのシュトラウス両手用編曲全3曲を1985年と1989年の2度録音しているのです。この複雑な難曲の全曲盤を複数回リリースしたのは彼女しかいません。2回とも他にローゼンタールやフリードマンのシュトラウス編曲ものも併せて弾いていて、しかも全く同じ選曲(収録曲順は違う)です。録音の演奏時間データは下記の通りです。

 ASV DCA 540 (LP)  1985IMP Masters MCD 12 1989
Rosenthal: Fantasia on Johann Strauss7:4711:16
Godowsky: Wein, Weib, und Gesang8:0813:21
Friedman: Frühlingsstimmen7:139:03
Godowsky: Kunstlerleben13:1916:51
Friedman: O Schöner Mai8:089:11
Godowsky: Fledermaus8:5011:59

 演奏時間が大きく違うのは、ASV盤の方では曲中の繰り返しをほとんど行っていないためです。演奏自体もASV盤の方がテンポが速めで勢いがあります。IMP Masters盤は音楽の潤い重視の大らかアプローチで、最初に聴いたときは別人かと思ったものです。確かに5年という短いインターバルで同じ収録曲のアルバムを出す場合には、こうした差異をわかりやすく演出するのも手でしょう。ASV盤はおそらくCD化されていません。シュトラウス=ゴドフスキーの両手用全3曲が入ったアルバムでは、完成度の点からはアムランに軍配が上がるでしょうが、ウェーバーのASV盤も多少粗削りな情熱に彩られた魅力ある1枚といえるでしょう。

 ジャニス・ウェーバーは1993年にユニークなラフマニノフ編曲集をリリースします。「愛の喜び」「愛の悲しみ」といった定番の編曲以外に、歌劇「アレコ」から「若いジプシー乙女の踊り」「ジプシーの男の踊り」の作曲者によるピアノ独奏版という珍しいものも弾いています。特に「ジプシーの男の踊り」のノリノリキレキレの突っ走り演奏は呆気にとられます。で、このアルバムの最も珍なるは最後に収められた「イタリアン・ポルカ」。この曲は1906年に作曲者本人による2台ピアノ版が出版されています。ここで演奏されているのは1938年にそれを改訂したバージョン。2台ピアノに加えてトランペット独奏が入ります。このトランペットのおマヌケな付け足し感と言ったら相当なもので、これまた呆気にとられます。CDの解説によればラフマニノフのマネージャーの企画発案だったようですが、うーーーむ、やめておいた方が良かったかと。ま、おかげでジャニス・ウェーバーのアルバムの忘れらない想い出とはなりました。

 ジャニス・ウェーバーはこの他にも演奏不可能な難曲として有名なリストの超絶技巧練習曲1838年版の全曲録音、さらにオルンスタイン作品集、最近では「薔薇」とか「海」をテーマにした作品集などをリリースしています。つまり、変な人、なのです。バリバリ系の豪腕を有する鍵豪ピアニストですが、レパートリーがとにかく変。フツーの刺激では我慢できない体質なのかもしれません。このあたりが「正気だった6人の大人がセックス台風に巻き込まれる」小説の作家でもある彼女のこだわりなのでしょうか。

SWIEN, WEBER und STRAUSS Janice Weber(p) –ASV番
IWIEN, WEBER und STRAUSS Janice Weber(p) – IMP Master盤
RACHMANINOV transcriptions – Janice Weber(p)

 マルチな活躍をするアーティストはマルチな刺激によって芸を多角な側面から磨くことがあります。こうした二足の草鞋を履いたピアニストの個性も楽しみの一つです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -2

2. 絨毯からの影響 1970年代後半から1980年にかけての楽曲の変化

 絨毯の結び目の種類、織り方、染色、パターンによる構成についての知識が深まるにつれて、フェルドマンは絨毯の技術や製法に引きつけて自分の創作を思索し始める。先のセクションに引き続き、「不揃いなシンメトリー Crippled Symmetry」の概念の解釈の可能性を探りながら、絨毯が彼の楽曲に与えた影響を考える。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -1

文:高橋智子

 1976年のベケット三部作、1977年の唯一のオペラ「Neither」を経たフェルドマンの音楽はその後どのように変化したのだろうか。今回は「Neither」以降の彼の音楽を知るうえで欠かせない事柄の1つ、中東地域の絨毯からの影響と、フェルドマンの後期作品を物語る概念「不揃いなシンメトリー」を考察する。

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シャルル・ケクラン~フランス音楽黄金期の知られざる巨匠(1)

文:佐藤馨

 1950年12月31日、地中海を望む南仏のカナデルにて、一人の音楽家がその生涯に幕を下ろした。同地に建てられたこの人物の墓には、「私の作品の精神と私の生涯を全うする精神は、何よりも自由の精神である」[1]という言葉の後に、「シャルル・ケクラン――作曲家」と墓碑銘が刻まれている。この「作曲家」という肩書は、彼自身が生前にそう呼ばれることを望んだものだった。しかし、83年にわたる長い生涯の中で、その望みが十分に果たされたとは言い難い。

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吉池拓男の名盤・珍盤百選(34) 絶滅危惧の罵詈雑言芸

クラシック名曲「酷評」事典(上・下) ニコラス・スロニムスキー編 YAMAHA(書籍) 
d‘Indy Orchestral Works 2  Symphony No.2 etc.  Rumon Gamba/Iceland so.  CHANDOS CHAN10514

 ミューズプレスの細谷代表から本が送られてきました。『クラシック名曲「酷評」事典』。この本について好きに書いてほしいとのこと。どうやら私の事を黒豹組(良い変換だ)の一員だと思っているらしいのです。無礼千万雨霰、私には「人と違う何かをやろうとしたアーティストへの愛」があります。ただその愛情表現がちょっとゆがんで下手なだけです。この本の酷評群にはそのような「愛」がほとんど感じられません。何のためにこれほどの「酷評」を書いたのか不思議なほどです。(お前には言われたくはないというツッコミは謝絶)

 もっとも酷いのは、編者のスロニムスキーも前書きで特筆していますが、1903年にニューヨーク・サン紙に載ったドビュッシーの作品に関しての評で(要約すると)

「この前ドビュッシー本人に会ったけど、東洋のお化けのようなチョーキモイ顔した奴で、着てるもんもチョーダサ。こんな顔した奴の曲だもんでチョーヒデェ。」

というものでしょう。書いたのはJames Gibbons Haneker (1857-1921) という人物でWikipediaにも長々と経歴があるように、あらゆる芸術ジャンルの評論家として大変に高名だった人です。おそらく当時のアメリカで有数の文化人でした。大正13年に日本で刊行された「ショパンの藝術:全作品解説」の著者ジェームス・ハネカーもこの人ではないかと思われます。これほどの人物が公表したドビュッシー評が先ほどのもの。元の文章には顔のディテールの悪口がもっと細かく書かれています。今の時代なら、大炎上一発レッド。ネット上の匿名の書き込みでもこんなレベルのものは少ないでしょう。時代的にロンブローゾの影響でもあったのでしょうか。ま、ファッションのダサい奴の作品はアカンというのは、なんとなく首肯できますが……。マーラーに関する1909年の批評も酷いもんです。(要約すると)「こんなユダヤ人訛りのドイツ語を話しているような音楽は意味なしで空っぽ」です。書いたのはRudolf Louis(1870-1914)という指揮者兼評論家。まぁ、今の時代ならモサドに抹殺されそうですよね。

 本に収録されている多くの「酷評」は罵詈雑言ではありますがさすがにこれらほど酷いのはあまりありません。真面目に音楽解析的に書いているものも(少ないですが)あります。しかし、正直、大多数の酷評は、その音楽がどういうものだったのかもよくわからないようなひたすらの酷評。酷評そのものを一つの文学ジャンルとして切磋琢磨しているとしか思えないクリエイティブな罵詈雑言のオンパレード。まさに “酷評芸”とでもいうべき世界です。そこに「他人の不幸は蜜の味」という人類共通のニーズがマッチし、酷評芸合戦というべき醜態が繰り広げられています。もう、サイコパス映画のように悪意のエンターテインメントとして楽しむしかありません。ま、残念ながら勧善懲悪はありませんが。

Vincent d’Indy: Orchestral Works, Volume 2

 この本の罵詈雑言がどの程度正鵠を射ているか、試せる曲が1つあります。上巻のp.148~9にダンディの交響曲第2番の酷評がずらっと並んでいます。ダンディの交響曲第2番と聞いて音楽がすぐ思い浮かぶ人はおそらく日本では特殊な数人しかいないでしょうから、かなりコアなクラシックファンでもCDもしくは配信で聴けば、当時の評論家の気持ちで「初演」を体験することができます。どうですか? そこに書いてある酷評の数々、納得できましたか? 確かに当時よりは不協和音だらけの世界に慣れた私たちの耳ですが、虚心坦懐、ダンディの交響曲第2番をどうお感じになったか、お聞きしたいものです。

 さて、この本を読み進めていくと、少し残念な情報の欠落に気付きます。それは酷評が書かれた経済的な背景です。評論家(もしくは文化部系記者)といえどもお仕事です。お仕事で罵詈雑言を書く場合はかなりの覚悟が要ります。狭い業界で罵詈雑言をまくしたてていては、次のお仕事が来なくなって、あっという間に失業してしまいます。雑誌や新聞は広告や情報が頂けなくなるでしょう。演奏会にご招待ではなく自費で行き続けるのも結構な負担になります。罵詈雑言を公言するからには、必ず経済的保証があるはずなのです。例えば世を二分するような芸術運動のどちらかの流派に寄稿先が属していて、どんなに他派の罵詈雑言を書いても自分の属する流派からはお仕事が約束されている(ハンスリックはこれかな?)とか、音楽家本人のいる地域社会から物凄く遠いので何言ってもたぶん報復は来ない(アメリカの新聞社はこれか?)とか、音楽とは無縁の本業があって原稿依頼が来なくなってもなんとでもなるとか、某新聞や某週刊誌のように記事の正しさなんてどうでもよくって滅茶滅茶なことをウケ狙いで書いて売るのが営業方針とか。いずれにしろそのあたりの情報が全くないのがなんとも残念です。人間の行動には多くの場合経済的事情があります。その経済的事情にまで踏み込んだ考察が欲しかったですね。例えばリヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」をボロクソに酷評した評論家が11年後に一転して絶賛している例が取り上げられています。これは評論家の耳が新しい音楽に慣れたからだと編者は語っていますが、本当にそんな単純な理由でしょうか? 前言撤回もほどがある場合、なんかウラがありそうに思えます。ま、評論家なんてもともと節操がないもんよ、と切り捨てることもありでしょうがね。この本はあくまでも「事典」なので列記表記に留まらせていると思います。が、どなたかさらに一歩踏み込んで、音楽評論業界の歴史的な業を抉り出していただけないでしょうか。

 今の時代、ここまでの酷評はなくなりました。下手に酷評なんぞしたら訴訟に巻き込まれる世になったのかもしれません。ましてや人の生まれ持った容姿や人種などをネタにして嘲るなどもってのほか。ネットの炎上は一歩間違うと社会的生命(時には本当の生命)を失うことになりかねません。なによりも業界がますます狭くなって、評論家やライターの経済的背景が濃密になり、音楽雑誌への寄稿やCDや演奏会の解説書きのお仕事をいただくためには、滅多なことでは酷評なんてできないというシガラミ地獄が一層顕著になっているのかもしれません。少し前の話ですが、某評論家氏は時折匿名で音楽業界や演奏への強烈な批判記事を非音楽系雑誌に書いていました。彼にはそういう道しかなかったのだと思います。ま、その記事は非常に面白かったですがね。

 絶賛も酷評も心の汚れた私はみなウラがあると思っていますので一概に信じることはできません。しかし、絶賛や酷評そのものを一つのエンターテインメントとして受け止めれば、それはそれで成立する……あ、だからこの本で取り上げられるような「酷評芸」が華開いたのかな。しかし、本書で取り上げているような酷評はもう絶滅危惧種です。最も使われている非難語は「不協和音」と思われますが、すでに「不協和音」の使用は何の非難の対象でもなくなっています。「旋律がない」も多用されていますが、これだって今どきは珍しくもない。「不道徳」だって様々な芸術ジャンルで人類交尾くらい描かれるのは当たり前。本書で「なじみなきものへの拒否反応」(編者の前書きより引用)として罵詈雑言の原動力となった要素が現代では批判の対象になりません。ポリコレとかコンプライアンスとかSDGsとかの御旗が高らかに振られている現代において、新たなるクリエイティブな罵詈雑言=ちょっと口の悪い建設的進言の道はどこにあるのか、人としてあまり美しくはないですが、探し求めるのも現代文化ライターの課題なのかもしれません。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-2

文:高橋智子

2. オペラ「Neither」

 1976年7月に「ベケット三部作」による一通りの試作を終えたフェルドマンは1976年9月18日に行われた「Orchestra」初演のためグラスゴーに滞在していた。[1]グラスゴーでの初演の後フェルドマンはベルリンに赴き、9月20日の昼頃シラー劇場で「あしあと Footfalls」と「あのとき That Time」のリハーサルをしていたベケットと初めて会う。[2]劇場の中は照明が暗転して真っ暗だった。暗闇の中でベケットはフェルドマンの親指に握手した。[3]これが彼らの初対面の瞬間だ。フェルドマンはベケットを劇場近くのレストランにランチに誘い、ここで彼は自身のオペラについて話した。[4]「自分の考えだけでなく彼(訳注:ベケット)の考えにひれ伏したかった I wanted slavishly to adhere to his feelings as well as mine.」[5]と語り、ベケットを信奉していたフェルドマンはベルリンで交わした会話を次のように回想している。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-1

文:高橋智子

 前回は1975年の楽曲「Piano and Orchestra」を中心に、フェルドマンのオーケストレーションと協奏曲について考察した。今回は彼の1970年代の楽曲のハイライトともいえるオペラ「Neither」と、このオペラのための習作として位置付けられているベケット三部作をとりあげる。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(12) フェルドマンとオーケストラ-2

文:高橋智子

2 反協奏曲 Piano and Orchestra

 その曲を構成する音または音符に楽器の選択、音域、ダイナミクス、タイミングといったあらゆる要素の必然性を求めたフェルドマンの態度は、1970年代に集中的に書かれたオーケストラ曲にどのように反映されているのだろうか。このセクションでは独奏楽器とオーケストラによる協奏曲編成の楽曲を中心に、フェルドマンのオーケストラ曲とオーケストレーションの特徴を考察する。

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